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2017年3月24日金曜日

netsh winsock reset

勝手にやってくれるWindows10の更新のおかげで、書き加えた文章が失われたり散々ですが(それをとめるためのアプリを入れたつもりだったのにどうも機能してない)、今度は、Outlook2016からブラウザ(Firefox)に飛ばなくなりました。メールのリンクをクリックしてもブラウザにとばないので、いちいち右クリックしてリンクURLをコピーしてFirefoxに入れないととべず、めんどくさいこと甚だしい。

既定のブラウザはFireFoxになってるのに、なぜか飛ばない。どうも、この前の月例更新で、それがはずれったぽい。この手の不具合はいつになったら修正してくれるのかわからないので、ネットで調べたところ、一つあてになりそうなのが見つかりました。とにかくやってみようと、管理者権限でコマンドプロンプトを立ち上げて、そこに
netsh winsock reset
といれて実行させるとあっさり解決しました。どうもWindowsのカタログの再設定が行われるようで、再起動するとようやく元通りに、つまりOutlookからブラウザに飛ぶようになりました。かなり便利。

確かに、OSをマイクロソフトの側でアップデートさせるのはOSの管理の側からは、一番便利でしょうが、端末の方は、それぞれに中身が異なります。すべての組み合わせをテストできるわけないので、修正を繰り返すのでしょうが、マシンでマイナーなことをやってると、なかなか対応してくれません。OulookはWin10の導入時に下書きの際に不具合があり、しばらく使いにくいままでした。ユーザーとすれば、まったくありがた迷惑。備忘録でした。


そんなことで騒ぐなと。

←4月の月例アップデートでも同じ現象。

2017年3月18日土曜日

Canto Ostinato by Son Semin, Lee Sangwook 2

前にも書いた、Canto Ostinato。無性に、これが聞きたくなることがあります。
ほんとは、昨日、妙につかれていて、早く家に帰って騎士団長を読みながら、これを聞きたかったのだけど、イヤホンの良いほうが行方不明になってることに気づき、今日まで待って。

演奏者に最大限の選択と自由を与えているten Holtのこの曲には、当然ながら様々な演奏で溢れています。ネットではテレビで放映されたらしいクリップや、街角、駅でのパフォーマンスも。駅にピアノが置いてあって、列車に乗りにきた人たちが通りすがりに眺めて、そんな中でピアノがこの曲を弾いてるシーンはいい。この曲を耳の奥に残してどこに行くのでしょうね。仕事なのか、それがあんまり楽しくなかったりして、買い物だったり、あるいは息子のところなのか、友達や恋人と遊びに行くのか。

CDからとったものや、演奏会のもの(これが一番つまらないかもしれない)、個人での演奏ももちろん。ピアノが一番多い。1台でも、2台でも、4台のもあります。4台のピアノに、オルガンも入ったのもあって、これはたぶん、オランダのどこかの劇場ので演奏がとてもよかったのですが、どこでみたのか、今は見つからない(←発見。アムステルダムの劇場。でもいすは取り払われ、人々は床に寝転がり毛布を掛けている人もいます。)。この曲は旋律的に、叩く楽器があうので、マリンバの演奏もいくつかあります。サクソフォーンや、チェロのアンサンブルのもあって、こうなると、ほとんど映画音楽の風情ですが、それも悪くない。

でもやはり、はじめてこの曲を聞いた、表題の韓国の若者二人による演奏が好き。

https://www.youtube.com/watch?v=SUWI_g3pd2s
 
ten Holtはミニマムミュージックの作曲家とされていますが、ほとんどこの曲しか知られていません。でもこれで音楽の広大な世界を作りました。これはほとんど言語のようなものなのかもしれない。この曲作りに3年を費やしています。彼にとって、奇跡の3年だったのでしょう。

この曲は、前も書きましたが、106のセクションからなり、それぞれに多くのvariationもあり、各セクションには簡単な指示、たとえば繰り返さないなどもありますが、事実上、無数の音楽を作ることができます。たいていの演奏では、セクション1なのか、特徴的な不協和音が登場してくる最初のセクションから入りますが、後ろの方からはじめてるのもあります。これからどうやって音楽を構築するか、演奏家に高い音楽性を要求します。

彼らは多くの他の演奏者たちと異なり、トランス的な要素ではない、もう一つの側面、この世に生きることの不安さ、焦燥感にフォーカスしているように思えます。女房が嫌いなのはそのせいかな。だけど、この世界は不安に満ちて、我々はいつもその意味を見いだしかねてあせっているじゃないですか。

ふと思いましたが、ネットではアジア人の演奏は他に見つかりません。なぜだろう。日本人は皆無にしても、珍しく、中国人も見当たらないかな。YouTubeでないサイトでは、ロシアなのか、読めないところの演奏が数多く。←いや、日本人の演奏も短いピースがでてました。

ふたりの若者の表情を見ることができるのも面白く、よく見ると曲の単位であるセクションの切り替えのところで、サインを送ってます。左のピアニストが指示してるのかな。各セクションの並びは決めてるのでしょうが、繰り返しの回数はそのときで違っているのかもしれません。これだけ弾けるのに、ネットで調べてもほぼ無名らしい。ひょっとしたら、Lee Sangwookによる曲?というのが見つかりました。

この二人とも音楽大学の学生なのかな?仲間同士で撮影して、皆で聞いてる?どこか不満げな、にこりともしない、何だよ、とでもいいたげな、無愛想でぶっきらぼう、こんな姿は演奏会で見ることのない、音楽仲間にしか見せない顔。私はこういう、道ばたで聴くような音楽が好きです。他の事は何も考えず、彼らはこの曲を、まるで自分たちの言葉のように語ります。

微妙に変化する音列、その複雑な繰り返し、次第に変化していっては、また基本の音の形に戻り、これらは、Bridgeと作曲者がよんでいるパートでつながります。この構造が陶酔感を起こすのかな。そう、音楽はいつまでもこうやって続いていて欲しいもの。こういうのがダンスミュージックに取り込まれて、今のクラブ音楽になってるのでしょうか。夜を徹して踊り明かしてる若者の気持ち。もっとも自分が若い頃は、やったこともなかったですが。

そろそろ、冬も終わり。昨日、ちょうど震災の年に大学院に入って、学位を得て遠くのラボで職を得た人が挨拶に来てくれました。ずっと一緒にjournal clubもやってきて、廊下ですれ違う度にうれしそうに挨拶してくれる女性でした。人が去るのはいつも寂しいものです。春は、花粉症に悩まされなくなった今でも、だからあまり好きじゃない。

ともかく。ソウルのこの二人の若者はほんとにいい。高い集中を必要とする90分にわたるこの演奏をおえて、床に座って聴いてる数人の若者たちに、軽く頭を下げるだけで、何事もなさそうにしてる、テレもあるのか。この体力と技量には、全く驚嘆します。ソウル、絶えず北からの緊張を強いられている大都会、日に日にその危機感が増す今、そんな街で彼らは何してるんでしょう。人は、こんな音楽を作ることもできるのに。