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2018年4月8日日曜日

あなたが涙を流せないもののために

「あなたが涙を流せないもののために私たちが涙を流し、あなたが声を上げることのできないもののために私たちが声を上げて泣くのよ」

気がついたら、ダンス・ダンス・ダンスが終わってました。もうこのところ、村上春樹の長編をずっと読んでました。さあ次は何を読もうかとライブラリを物色してたとき、ねじまき鳥クロニクルを実にほぼ20年遅れで読み終え、気がついたのは、騎士団長もIQも読んだけど、どうもちゃんと読めてなかったこと。ならば、とこの3部作に取りかかりました。といっても寝る前の30分限定のつもり。

この本、買ったのは札幌にいた頃、たぶん、 出版後すぐに買って、そのまま書棚。5-6ページしか読んでなかったと思います。書棚でそのまま眠って、去年ばらして、aura oneの中。そこで眠ってました。

村上春樹は短編は随分読んでて、風の歌が一番好きでしたが、まったくわかってなかったことを認識。彼は、自分でもいってるとおり、長編こそが、彼の仕事。これまで長く生きてきたけど、これを知らない世界で生きてきたのかと、後悔すら覚えました。滅多に後悔なんてしないのですが。

この3部作、読んでいるときは、特別な時間でした。読み終えたときは、それが終わってしまったという喪失感で一杯。

となると次は、やはり、羊をめぐる冒険、でした。この本、手にするのは実に30年ぶりくらい。最初に読んで、ちっとも面白いと思わず、本棚に戻しました。そもそもこのために、彼の長編にはあまり熱心にならなくなってしまったのですが。

友達はこの本をとても特別なものとしてました。私にはそれがわからなかった。その頃は寺山修司に出会い、山海塾に心をゆり動かされ、フェリーニにはまっていた頃、映画は沢山見ていたけど、何をよんでたのだろう。当時は、私にはこの本の読み方がわからなかった。

長編は、こういうことがよくあります。町田庸の「告白」もそうでした。最初は2ページも読んだかどうか。そもそも、小説を本格的に読み出したきっかけとなったトーマス・マンの「魔の山」も、高校生の頃、夏に向かうある日の午後、日の当たる部屋で後ろの方を適当にひろげたところから、はじまりました。

羊をめぐる冒険に戻って、彼の長編の世界の成り立ちがようやく見えてきました。なんという深み。 そしてダンスダンスダンス。順番がでたらめですが、これは、羊をめぐる冒険の続編なので、偶然でしたが、とってもよくわかった。途中、これはよどんできてるかもと思うところもあったけど、彼の、息を詰めて深く井戸を掘る作業、その誠実さは、冒頭にあげた終章近くのキキの台詞を生みます。

もっと前に読んでおくべきでした。だけど、知らないよりずっと良かった。




気がついたら、桜の季節。ラボに向かう道の途中、寄り道して通った桜の街道。