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2015年11月28日土曜日

西ロシア

怒濤のような一週間。雪も降り出してきました。荒川洋治の若い頃の詩が良いなと思うのはこんなとき。1975年に発表された詩集『水駅』から。

「西ロシア、クイビシェフ湖。水のおもてには、雪景がふるえながらひたされる。・・・」 

そう、これが詩の言葉。おととい、東京の高架下につながる賑やかな通りを歩いていたとき、ふと、パリやベイルートのテロの映像がかぶって、つい早足になって、なんだか逃げるように北に向かう新幹線に乗り込みました。情けないとは思うものの、これは、自爆テロという、理解を超えた人の行動への、無意識のレスポンスです。

でも人はこうやって、ちょうど若い荒川洋治がロシアの湖の前にたたずんでいたように(実際に旅したのか、地図の上だけだったのか知らないけど)、眺めるときがあります。人は言葉を得て、記録することで、行動を拡張し、生物としての行動の範囲を超え、果てしなくなりました。これ自体は、自らのあり方を突き進める行いで、素晴らしいこと。しかし、世界を破壊することすらできるほどになって、当惑するほどになってきました。行動は生きるための能力だったはずなのに、

もはや行動が目的となり、立ち戻るすべをどこかで忘れ、ひどく混乱してしまい、すくんでしまう。どれだけ混乱しても、消してしまえばいいのだからとささやかれると、それが救いのようにきこえるのか。眺めることを忘れた生物。

再び、荒川洋治。
「ひとつの夜仕事であろうか。目をさました所員は、塗りおえたばかりの地図を再び灯火にひきだす。湖水の青い線の均衡はかすかにこわれ、いくらか肌の色をおびている。・・・」

2015年11月22日日曜日

詩を書く意味

この前に書いたジョアンナ・ラコスの本には、サリンジャーが実際に何度か登場します。ほとんどは、電話口で、ボスはいるか、という呼び出しだけど、次第にラコスにも話すようになります。あなたは詩を書くのか、と何度も聞き、大学で文学を専攻し、詩も書いていた彼女がそう答えると、満足したように、そうかそれはいい、と答える。しばらくして電話が来ると、また何度も同じようなやりとりが繰り返されて。

サリンジャーも詩集を出してました。邦訳は読んだことがないですが(どこかで目にしたような気もするけど)、確かに、そうかもしれない。

福島に来て間もない頃、鎌倉に住んでいた高齢の詩人に会いに行ったことがあります。全くミーハー以外の何物でもなく、今思うとあんな高名な詩人によくもまあ、と冷や汗が出ますが。いやな顔ひとつせずどころか、海岸に連れて行ってくれて、食事までおごってもらって、一体何をしに行ったのやら。

とても好きな詩人でした。谷川俊太郎が「20億光年の孤独」で華々しく登場して、鮎川信夫の詩が敗戦前後の社会の空気を言葉で表現することで人々に生きることの希望を抱かせていた頃、もう一人、失われた時代の景色を実に的確に描いて、現代詩の3本柱ともくされたのが平林敏彦でした。現代詩のもっとも実り豊かな一瞬でした。

だけど、彼は2つの輝くような詩集を出した後、詩をまったく発表しなくなりました。それから34年が経ち、発表された詩集が「水辺の春」。そしてそれから、溢れるように詩集を発表し続けます。すでの90を超えてますが、毎年のように詩集を出し、2-3年前には、鮎川らが活躍していた戦後詩の時代を記録した本まで出して、毎年のように賞をもらっています。奇跡としか思えない活動です。

なぜ会いに行ったのか、書くのも恥ずかしいけど、これだけの言葉を持ちながら、なぜ詩を止めたのか、知りたかった、それだけ。たまたま、知り合いのデザイナーが彼と本を作っていたのでお願いしました。彼によると、それはごく普通のことらしい。人は詩を書かなくなるもの、詩を再び書き出すことはまずないけど、と、彼は話してくれました。

では何が彼を書き出すようにしたかについて、彼は何も言いませんでしたし、聞きもしませんでした。それは会ったらすぐにわかりました。素敵な奥さんです。これもまたごく普通のことで、彼女が彼に詩を書く意味を与えているのでしょう。だから、水辺の春、なのです。これも高邁な文学的な理由ではないけど、人を駆り立てるのはそういうこと。

あなたは詩を書くのか、とは、たぶん、そういうことなのです。日々において詩を書く意味を持っているのか、ということ。先日、横浜に住んでおられる詩人から、詩集を戴きました。彼もまた、長く詩をやめておられた方。戴くのが申し訳ないくらい、とても素敵な詩集です。

・・・・
光る海面にそっと身を滑り込ませ
ひと夜だけ許された姿で
懐かしい仲間に会いにいく

海から追放された昔日を知らず
追憶すれば人という名によって
神に似ようとした罪の形にたどりつく

心は震えるはずのないものに震え
巨大なものを見ようとすればするほど
わずかしか見えなかった目

忌まれながらの燭台を手に
彷徨い続けた異邦も滅びた上の匂い
涙は一体何のためにあったのか
・・・

(布川鴇 「水底の挿話」より)