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2015年5月20日水曜日

スーパープレミアムソフトWバニラリッチ

この題名を書くのに二度もサイトを確認してしまった。

地方に住むと良いことも悪いこともあるが、最大の難点は、演劇、舞踏などをみる機会が無いこと。自然、TV、ほとんどEテレ、BSか、スカパーかが唯一の情報源。週末の夜、ボッと眺めていると、とっても妙な動きに、何か惹かれて見入ってしまいました。

なにぶん、研究しか知らない毎日。全く知らなかった、岡田利規。そして彼が主催するチェルフィッチュという、これまた覚えにくく書きにくい、劇団による、このタイトルを題名とした演劇。この単語は二度と書く気がしないですが、この3日間、毎夜見てます。録画をはじめたのが、途中、それもかなり後ろのほうになってしまいましたが。

この動きと、永遠に終わらない若者言葉と、バッハの平均律、これらがコンビニの安っぽい舞台の上で繰り広げられる。この劇団のサイトによると、平均律の通りに、24x2シーンあるらしい。しまった、最初から見ておくのだった。再放送は、この手のはほとんどないんだよなあ・・

平均律の24曲、前奏曲とフーガ合わせて48曲にあわせたシーンがあり、ただこれは、音楽とは違って、やはり演劇で、終曲の一つ手前には妙に胸に迫る場面があります。見ていて、相米慎二の「台風クラブ」の中の、印象的なシーン、少年が一人で、ドアを開けては締めて、「ただいま」「おかえり」を繰り返す、そんな世界を思い出しました。面白いのは、最後の48曲目、これで締めるか、という、これが彼のウィットというよりは、現代の「てれ」なんでしょう。

これは見たい、でも上演は昨年の暮れ。次には韓国に行くらしいが、関東、仙台くらいまでなら、見に行くのだが。どこかでやらないものか。それにしても、一体、どうやればこういう劇が成り立つのか、それに一人一人の、何とも表現しがたい魅力。みずたにさん、と店長、明日も見てしまいそう。

2015年3月16日月曜日

キンドルPWとKOBO H2Oを比べる

散々文句も書いたけど、並べて比較。左がH2O、右はKindlePaperWhite (2013)。
これはバックライトを消してフラッシュを使った撮影。左は単行本で、右は文庫本の「国境の南」。左のは「ジョイスのための長い通夜」という単行本。この本を右のキンドルPWで読もうとするとなかなか目が疲れます。本をpdfに自炊して、余白をChainLPでぎりぎりまでトリミングしてmobi(PW)、またはcbz(H2O)に変換してますが、それでも、キンドルPWでは文庫本限定かな。ブルーバックスでもちょっと厳しい。こうやって並べると、結構、大きさが違うものです。画質はほとんど同じで微妙に色合いが違う程度です。

自炊した本を入れるのは、結局、DropBoxでアカウント名を打ち込みやすいものにしてダウンロードするのがベストのようです。このブラウザ、1980年代くらいにあったような代物で、一度ダウンロードするとブラウザを勝手に終了してしまうので、複数冊を入れるのは面倒ではあります。でも、普通は一冊ずつ入れるからそれほど手間でもないかな。

このブラウザで一度、あちこちのオンラインストレージを試してたとき、途中で全く動かなくなってしまって、焦りました。電源ボタンの長押しも、出荷時に戻す、という隠れボタンもだめで、電源がなくなればいいのかも、と翌朝までほってましたが、だめ。結局、PCにつないで解消しました。たぶん、これは電源が切れていて、前の画面の状態が残ったため、かな。他に転送ではOneDriveも使えはしましたが、さらに動作が遅く、ダウンロードがあまりストレートでないので、メリットは無し。

ともかく、家でまじめに読むときは、H2Oになりそうです。外でもバッグを持ち歩くようなときは良いかな。ポケットに突っ込んで茶店で読書、なんていうときはキンドル。慣れれば、悪くない買い物でした。

2015年1月10日土曜日

聖灰水曜日

最近、気がついたらTSエリオットを読んでいる。夜中に、真っ暗な中でキンドルの薄い光の中で、ずっと昔に生きたこの詩人の格闘が、胸を打つ。

これは死と生のあいだの緊張のひととき
3つの夢が、青い岩のあいだをゆきかう
寂寥の場である
しかし、イチイの木から振りおとされた声が流れさるとき
他のイチイをゆりうごかして、答えを求めよう。
祝福された修道女、清らかな母,泉の精、園の心よ、
われらがいつわりで自分たちをあざけるのを許したもうな
思うて、しかも思わないすべを教え給え、
これらの岩のあいだにあって、しかも
静かにすわるすべをおしえたまえ、
主の御心のなかにわれらの安らぎを
これらの岩の中に座すとも
修道女よ、母よ、
河の精よ、海の心よ、私を手放したもうな

我が叫びを主のもとへとどかしめたまえ。


これは聖灰水曜日、Ash-Wednesdayの最後のところ。The Waste Landの数年後に発表された。


こちらは「東方の博士がした旅」という妙な題名の、だけどこの詩、一番好きかもしれない。

・・・・・
 そのうちに夜があけて、おだやかな谷間にでた、
水気があり、雪がもうなくなっていて、草木のにおいがしていた。そこには
一条の小川が流れ、水車が一つ、あたりの暗やみに、たたくような音をひびかせていた、
 また、
木が三本、雲の低くたれこめた空につったっており、
老いぼれた白い馬が一匹、蹄の音高く、牧場を駆け抜けていった。
やがて、われわれは、居酒屋が一軒あるところに来た。葡萄の葉が、その入り口におおいかぶさっており、
そのあけはなした戸口のところで、男が6人、銀貨をかけてさいころをころがし、
からっぽになった葡萄酒の革袋を足げにしていた。
だがそこでは何のたよりも得られなかった、それでまた旅を続け、夕方
ちょうど良いときに、探していた場所に行きつき、
そこでともかく満足したのだ。

忘れもしない、これはみんな昔のことだ、
それで、もう一度、わしはああした事を繰り返してやってみたいと思う、
だが次のことをかきとめてもらいたいのだ、次の事を、
われわれが、はるばると目指して行ったものは、生誕であったのか、それとも死滅であったのか。
・・・・

書き写しているうちに、涙がこみ上げてくる。そう、これは旅の詩だった。 もちろん、これはイエスのこと、だけど、これはわれわれの、長い旅のこと。