最近、気がついたらTSエリオットを読んでいる。夜中に、真っ暗な中でキンドルの薄い光の中で、ずっと昔に生きたこの詩人の格闘が、胸を打つ。
これは死と生のあいだの緊張のひととき
3つの夢が、青い岩のあいだをゆきかう
寂寥の場である
しかし、イチイの木から振りおとされた声が流れさるとき
他のイチイをゆりうごかして、答えを求めよう。
祝福された修道女、清らかな母,泉の精、園の心よ、
われらがいつわりで自分たちをあざけるのを許したもうな
思うて、しかも思わないすべを教え給え、
これらの岩のあいだにあって、しかも
静かにすわるすべをおしえたまえ、
主の御心のなかにわれらの安らぎを
これらの岩の中に座すとも
修道女よ、母よ、
河の精よ、海の心よ、私を手放したもうな
我が叫びを主のもとへとどかしめたまえ。
これは聖灰水曜日、Ash-Wednesdayの最後のところ。The Waste Landの数年後に発表された。
こちらは「東方の博士がした旅」という妙な題名の、だけどこの詩、一番好きかもしれない。
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そのうちに夜があけて、おだやかな谷間にでた、
水気があり、雪がもうなくなっていて、草木のにおいがしていた。そこには
一条の小川が流れ、水車が一つ、あたりの暗やみに、たたくような音をひびかせていた、
また、
木が三本、雲の低くたれこめた空につったっており、
老いぼれた白い馬が一匹、蹄の音高く、牧場を駆け抜けていった。
やがて、われわれは、居酒屋が一軒あるところに来た。葡萄の葉が、その入り口におおいかぶさっており、
そのあけはなした戸口のところで、男が6人、銀貨をかけてさいころをころがし、
からっぽになった葡萄酒の革袋を足げにしていた。
だがそこでは何のたよりも得られなかった、それでまた旅を続け、夕方
ちょうど良いときに、探していた場所に行きつき、
そこでともかく満足したのだ。
忘れもしない、これはみんな昔のことだ、
それで、もう一度、わしはああした事を繰り返してやってみたいと思う、
だが次のことをかきとめてもらいたいのだ、次の事を、
われわれが、はるばると目指して行ったものは、生誕であったのか、それとも死滅であったのか。
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書き写しているうちに、涙がこみ上げてくる。そう、これは旅の詩だった。 もちろん、これはイエスのこと、だけど、これはわれわれの、長い旅のこと。