ジョン・ウィリアムズの「ストーナー」、読了。床に入り寝付くまでの時間、このところ毎晩読んでましたが、ミズーリ大で古典を教えてる気分でした。作品社という聞いたこともない出版社の本。このまえ東京に行ったとき、丸善でアメリカ文学のところに山積みされていて、パラパラめくって即購入。
珍しい経緯の小説です。この作者はストーナーと同じ大学の古典の先生で、出版は50年くらい前。プロフェッショナルな作家ではないようです。出版当時はほとんど話題になることも無く忘れ去られていたそうですが、今世紀に入ってなぜか再版されたとき、ヨーロッパでよくあるキャッチコピーとともに随分話題になったとか。確かにアメリカで受けそうな本ではないです。日本では、翻訳大賞を受けたと、帯に書いてあったような気がします。
珍しく他の本に浮気することもなく、これだけに専念して、毎晩、寝るときにストーナーになってました。とにかく面白かったのは間違いありません。貧しい農家に生まれたストーナーが古典文学の世界に惹かれて学問の道に進み、大学で教えて死ぬまでの、特に何の変哲もない生涯が描かれています。何が面白いのかわからないですが、何か、惹きつけるものがあります。ただ、ちょっと引っかかったのは、むしろこの翻訳。この翻訳者のことが書かれた後書きを読むまでは、翻訳の世界にはまだそれほど経験のない、豊富な語彙を持ち文学を志す若者が気負って訳したのかと思っていました。が、なんと高名な翻訳者が亡くなる直前まで手がけていた作品だそうです。
そういうことを知るとなかなか書きにくいのですが、読んでいて、遙か昔に読んだトム・ウルフの「天使よ 故郷を見よ」を思い出しました。懐かしい本ですが、翻訳が妙に表に出てきて、違うだろう、という印象を持った記憶があります。同じように、これにもなんだこの訳はというところが結構あります。たとえば、学生だった彼が教授から大学に残るように薦められるときの台詞が「真摯なる文学の徒は、みずからの才が士の理法を読み解くには向かぬことを必ずや覚るものではないだろうか」。鼻白みます。原文はどうなってるんだろう。とても豊かな言葉を持っておられることはわかりますが、「「どういう意味です?」自分の声におののきの棘を感じる」、等、ちょっと時代がかってないか。
とはいえ、「遠い哀れみと、及び腰の友愛と、おなじみの敬意がわき起こってくる。そして、気鬱な悲しみ。」、など、確かに美しい文章にも多く出会います。どうも、翻訳者の強い思い入れが、このようなかなり気合いの入った文章になったのかもしれません。後書きはこの翻訳者のお弟子さんによるもので、彼女によるとこの小説にはストーナーの悲しみが底流にある、とのことでしたが(確か)、う~ん、そうかなあ。
作者は、ストーナーのことを、文学の世界を見いだした幸せな人間として描いてるように、私には思えました。奥さんと死の直前までうまく行かなかったり、学内抗争で昇進が妨げられたりしてはいても、そういうのは普通にあること。なにより、彼は貧しい農家の息子として生まれ、父親の期待を受けて入った大学で、少々道を踏み外してたまたま古典の世界を見いだして、のめり込み、死の前日まで研究を積み重ねることができ、彼を慕う学生たちがいたわけです。作者はむしろ大学人としての共感を込めて、ほとんど肯定的に描いたのではないのかな。
翻訳がどうも先に立って、なかなか微妙に、絶賛するわけにはいかないのではないですが、ともかく印象深い小説でした。
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2015年12月5日土曜日
ブーレとドゥーブル、シンフォニエッタ
意外な人からCDを貸してもらってそのままかけ流しで論文書いてると、バッハの無伴奏バイオリンパルティータ第一番ロ短調のブーレとドゥーブル、サラバンドとドゥーブルに遭遇。思えば、これが最初のバッハでした。大学に入りたての頃、ジャズばかり聴いてました。ピアノは弾けず、ギターを弾いてたのですが、本屋さんで楽譜を手にして眺めたら、単音だけだったので、これなら簡単だろうと買ったのがきっかけ。これほどいい加減な理由もないもので。
夜に風呂から上がってギター用にアレンジされたパルティータ集の適当なところを広げて、ギターで音を出してみると、わずか2小節、その音の並びが衝撃。こんなパッセージは、コルトレーンも出せない(これが当時の最大の賛辞)、8分音符が並んでるだけなのに、こんなに胸ふるわせるような音には初めて出会いました。しばらく、寝ても起きても、頭の中はこればかり。
人の演奏するこの曲を最初に聴いたときのことは、あまり覚えていません。彼女の部屋で聞いたことは覚えているけど、はたして誰の演奏だったのか。誰のを聴いても、ギターで弾いて耳にした音だけが、きこえてました。
そのうち、バッハを次々に聴き出すようになり、特にヘルムート・ヴァルヒャのクラビコードによるバッハを、ほぼ毎月、買ってました。そんななかで出会った最高の旋律は、ヴァルヒャの演奏する、パルティータ第2番のシンフォニエッタ。
その頃、18、19歳。地獄を素足で歩いてるようなものです。音楽はそのために必須でした。だから、今でも、学生たちを見て、なんとかして越えろよ、とつい思ってしまうわけですが。
ヴァルヒャのバッハは、どんな宗教よりも救いでした。特にこの、シンフォニエッタ、序章の和声の混乱の中から抜け出してくる、一筋の透明な音の流れ、それがまるで鳥のようにたわむれ、とび上がり、空で遊び舞い降りる様。音楽が自らを引っ張って次から次へと惜しげもなく姿をさらしていく、限りなく細く、だけど決して途切れることのない旋律。息をのみました。この提示部を終えて対位法に入ると、それらは並び、確かめ合い、追いかけあいます。これは2声の単純なフーガ、だけど、その2つの音の流れだけで、広大な世界が広がっています。この2つの音で挟まれた世界、それがまるで車窓の景色のようにすぎてゆき、私はそれを見つめてる、そんなイメージをいつも抱いていました。
そう、こんな世界がある。全く知らなかった世界が、この世にあることを知りました。何があっても、こんな世界があるからなんとかなるかもしれない、そんな気がしました。バス停で雨の降る中、サークルを終えて、今日もつまらなかったとひとりで立っているとき、朝、目を覚ますと昨日のことや、誰彼の言ったことが突き刺さったことが瞬時に脳裏に浮かんだとき、そのバッハの音の作る世界を思い浮かべたからこそ、何とか次に進むことができたのかもしれない。
付記 ふと思ってネットで調べてみると、やはりみつかりました。この旋律ではじまります。ハ短調です。

どこにでもありそうな音、どうしてこれがこんな世界を作れるのか。
夜に風呂から上がってギター用にアレンジされたパルティータ集の適当なところを広げて、ギターで音を出してみると、わずか2小節、その音の並びが衝撃。こんなパッセージは、コルトレーンも出せない(これが当時の最大の賛辞)、8分音符が並んでるだけなのに、こんなに胸ふるわせるような音には初めて出会いました。しばらく、寝ても起きても、頭の中はこればかり。
人の演奏するこの曲を最初に聴いたときのことは、あまり覚えていません。彼女の部屋で聞いたことは覚えているけど、はたして誰の演奏だったのか。誰のを聴いても、ギターで弾いて耳にした音だけが、きこえてました。
そのうち、バッハを次々に聴き出すようになり、特にヘルムート・ヴァルヒャのクラビコードによるバッハを、ほぼ毎月、買ってました。そんななかで出会った最高の旋律は、ヴァルヒャの演奏する、パルティータ第2番のシンフォニエッタ。
その頃、18、19歳。地獄を素足で歩いてるようなものです。音楽はそのために必須でした。だから、今でも、学生たちを見て、なんとかして越えろよ、とつい思ってしまうわけですが。
ヴァルヒャのバッハは、どんな宗教よりも救いでした。特にこの、シンフォニエッタ、序章の和声の混乱の中から抜け出してくる、一筋の透明な音の流れ、それがまるで鳥のようにたわむれ、とび上がり、空で遊び舞い降りる様。音楽が自らを引っ張って次から次へと惜しげもなく姿をさらしていく、限りなく細く、だけど決して途切れることのない旋律。息をのみました。この提示部を終えて対位法に入ると、それらは並び、確かめ合い、追いかけあいます。これは2声の単純なフーガ、だけど、その2つの音の流れだけで、広大な世界が広がっています。この2つの音で挟まれた世界、それがまるで車窓の景色のようにすぎてゆき、私はそれを見つめてる、そんなイメージをいつも抱いていました。
そう、こんな世界がある。全く知らなかった世界が、この世にあることを知りました。何があっても、こんな世界があるからなんとかなるかもしれない、そんな気がしました。バス停で雨の降る中、サークルを終えて、今日もつまらなかったとひとりで立っているとき、朝、目を覚ますと昨日のことや、誰彼の言ったことが突き刺さったことが瞬時に脳裏に浮かんだとき、そのバッハの音の作る世界を思い浮かべたからこそ、何とか次に進むことができたのかもしれない。
付記 ふと思ってネットで調べてみると、やはりみつかりました。この旋律ではじまります。ハ短調です。
どこにでもありそうな音、どうしてこれがこんな世界を作れるのか。
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