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2015年12月5日土曜日

ブーレとドゥーブル、シンフォニエッタ

意外な人からCDを貸してもらってそのままかけ流しで論文書いてると、バッハの無伴奏バイオリンパルティータ第一番ロ短調のブーレとドゥーブル、サラバンドとドゥーブルに遭遇。思えば、これが最初のバッハでした。大学に入りたての頃、ジャズばかり聴いてました。ピアノは弾けず、ギターを弾いてたのですが、本屋さんで楽譜を手にして眺めたら、単音だけだったので、これなら簡単だろうと買ったのがきっかけ。これほどいい加減な理由もないもので。

夜に風呂から上がってギター用にアレンジされたパルティータ集の適当なところを広げて、ギターで音を出してみると、わずか2小節、その音の並びが衝撃。こんなパッセージは、コルトレーンも出せない(これが当時の最大の賛辞)、8分音符が並んでるだけなのに、こんなに胸ふるわせるような音には初めて出会いました。しばらく、寝ても起きても、頭の中はこればかり。

人の演奏するこの曲を最初に聴いたときのことは、あまり覚えていません。彼女の部屋で聞いたことは覚えているけど、はたして誰の演奏だったのか。誰のを聴いても、ギターで弾いて耳にした音だけが、きこえてました。

そのうち、バッハを次々に聴き出すようになり、特にヘルムート・ヴァルヒャのクラビコードによるバッハを、ほぼ毎月、買ってました。そんななかで出会った最高の旋律は、ヴァルヒャの演奏する、パルティータ第2番のシンフォニエッタ。

その頃、18、19歳。地獄を素足で歩いてるようなものです。音楽はそのために必須でした。だから、今でも、学生たちを見て、なんとかして越えろよ、とつい思ってしまうわけですが。

ヴァルヒャのバッハは、どんな宗教よりも救いでした。特にこの、シンフォニエッタ、序章の和声の混乱の中から抜け出してくる、一筋の透明な音の流れ、それがまるで鳥のようにたわむれ、とび上がり、空で遊び舞い降りる様。音楽が自らを引っ張って次から次へと惜しげもなく姿をさらしていく、限りなく細く、だけど決して途切れることのない旋律。息をのみました。この提示部を終えて対位法に入ると、それらは並び、確かめ合い、追いかけあいます。これは2声の単純なフーガ、だけど、その2つの音の流れだけで、広大な世界が広がっています。この2つの音で挟まれた世界、それがまるで車窓の景色のようにすぎてゆき、私はそれを見つめてる、そんなイメージをいつも抱いていました。

そう、こんな世界がある。全く知らなかった世界が、この世にあることを知りました。何があっても、こんな世界があるからなんとかなるかもしれない、そんな気がしました。バス停で雨の降る中、サークルを終えて、今日もつまらなかったとひとりで立っているとき、朝、目を覚ますと昨日のことや、誰彼の言ったことが突き刺さったことが瞬時に脳裏に浮かんだとき、そのバッハの音の作る世界を思い浮かべたからこそ、何とか次に進むことができたのかもしれない。

付記 ふと思ってネットで調べてみると、やはりみつかりました。この旋律ではじまります。ハ短調です。

どこにでもありそうな音、どうしてこれがこんな世界を作れるのか。