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2017年2月22日水曜日

元のグランドに

学生たちとノンアルコールの飲み会に行ったとき、気がついたら、後期試験がなかったという話をしていて、なんのことかしばらく気がつきませんでしたが、311のあとの試験のことでした。そうでした。もうすぐ311が来ます。

原発がなかば制御不能だったときに、山を隔てたとはいえ、一番違い大学で入学試験をやる事など不可能で、そのままセンター試験の点数だけで、入学を決めざるを得ませんでした。面接などできるわけもなく、難しい決断でした。それで後期試験がなかったわけではないのです。ともかく、そのときは、誰も口には出さなくても、心の奥では、そもそもうちの大学はここで存続できるのだろうか、という不安があったと思います。

少なくとも今のままの状態で落ち着けば、現実的な被害は実はそれほどたいしたことは無いだろうというのは、長年放射能を使って研究してればわかるものでした。ただ、それと人が戻って来るかは別。そこに我々は最大の不安を持ってました。でも、それは東北人を見くびってました。

今日、大学のグランドが元のグランドに戻ります。自衛隊のヘリから防護服を着た救助隊員たちが降りて、原発内での汚染水に足を使った作業員を運んだときから、長い時間がかかって、ついにもとのグランド、サッカーと、ラグビーと、陸上の部員たちが所狭しと駆け巡るグランドに戻ります。

学生たちはよく我慢してくれました。練習は近くのグランドを使ってくれと頼んでもおとなしくうなずいて(あとで何を言ってるかはともかくとしても)、直接の不満は聞いたこともありません。

汚れたなら、元に戻せばいい、時間がかかっても丁寧に隅々まできれいにすればいい。これも我々の社会が選んできたこと、文句を言わない。我々にはできるんだから。東北人のこの我慢強さは、ほんとうにあきれかえるほど。見せつけられました。

明日、大学に行けば、春休みのなか、誰か走ってるはず。それが早くみたい。

2017年2月3日金曜日

低地

この本が、普通に、本屋の書棚に並んでいることが、まず信じられない。ラヒリ、彼女の小説は、「停電の夜に」が有名です。だけど、インドから移民したアメリカ人、東海岸に住む若い作家、美人だし、いかにもという印象で、偏見が強くて、彼女の本は一冊も読んだことはありません。手にしたことは10回くらいはありますが。ただ、この「低地」は、ぱっと見、そんなところがなく、例によって適当にアマゾンで買った本でしたが、これほどの作品とは・・ 

よく、出版社の宣伝帯に、渾身の、という言葉が並びますが、これはまさに、彼女の、渾身の、まさに魂を込めた作品。ここまで書けるものかと思うほどの、重たい、とても重い、救いのない世界。読んでいて思わず空を見上げてしまうほど。

カルカッタの、葦の生い茂る湿地につながる家、ロードアイランドの港町と大学、交互に入れ替わる景色に、次第に、人と人とのむずびつきの難しさ、厳しさ、そして、癒えることのありえない、心の傷がのしかかります。

どうしてもこの世界のことを書かなければならなかった。優れた作家には、必ずそういう一冊があります。彼女はこれまで書き手として培ってきたすべてのものを費やして、この哀しい世界を描ききりました。哀しい世界、でも実はこれは、我々の生きている世界のこと。

それでいて、不思議なくらいこの作品には全編を通してカタルシスがあります。なぜだかわからない。もしかするとそれは、この世界を認識する格闘だから?

年末年始以降、あれやこれやで再び眠れぬ夜に陥っている中、雪に埋もれた福島の街並みを眺めながら、この世界のことを思います。