学生たちとノンアルコールの飲み会に行ったとき、気がついたら、後期試験がなかったという話をしていて、なんのことかしばらく気がつきませんでしたが、311のあとの試験のことでした。そうでした。もうすぐ311が来ます。
原発がなかば制御不能だったときに、山を隔てたとはいえ、一番違い大学で入学試験をやる事など不可能で、そのままセンター試験の点数だけで、入学を決めざるを得ませんでした。面接などできるわけもなく、難しい決断でした。それで後期試験がなかったわけではないのです。ともかく、そのときは、誰も口には出さなくても、心の奥では、そもそもうちの大学はここで存続できるのだろうか、という不安があったと思います。
少なくとも今のままの状態で落ち着けば、現実的な被害は実はそれほどたいしたことは無いだろうというのは、長年放射能を使って研究してればわかるものでした。ただ、それと人が戻って来るかは別。そこに我々は最大の不安を持ってました。でも、それは東北人を見くびってました。
今日、大学のグランドが元のグランドに戻ります。自衛隊のヘリから防護服を着た救助隊員たちが降りて、原発内での汚染水に足を使った作業員を運んだときから、長い時間がかかって、ついにもとのグランド、サッカーと、ラグビーと、陸上の部員たちが所狭しと駆け巡るグランドに戻ります。
学生たちはよく我慢してくれました。練習は近くのグランドを使ってくれと頼んでもおとなしくうなずいて(あとで何を言ってるかはともかくとしても)、直接の不満は聞いたこともありません。
汚れたなら、元に戻せばいい、時間がかかっても丁寧に隅々まできれいにすればいい。これも我々の社会が選んできたこと、文句を言わない。我々にはできるんだから。東北人のこの我慢強さは、ほんとうにあきれかえるほど。見せつけられました。
明日、大学に行けば、春休みのなか、誰か走ってるはず。それが早くみたい。