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2018年6月23日土曜日

番人


わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む

三浦雅士の「鏡の中の言葉」に引かれていた、寺山修司の初期歌篇のなかの一首。

知らなかった。彼らしい斬新な予感にあふれています。ひっそりとした光景ですが、いつも物語はそこからはじまる、そんなことを、この早熟な少年が意識してよんだのかどうか。まるで、村上春樹の「世の終わり・・」の終章近くに登場する、森と街の境に住んで、小さな発電所を守る番人のよう。

もしかするとこの初期歌篇はあまりよく読んでなかったのかもしれません。そういうのが残っていると、うれしくなります。


わが内にわれにひとりの街があり夏蝶ひとつ忘られ翅くる

最後のところは、とびくる、と読みます。三浦雅士が指摘するように、そこには、「われ」という宇宙を見つけた少年の心の高揚があります。方法を見つけた、まるで新しい実験方法をみつけた研究者のように。


それにしても三浦雅士はうらやましい。寺山修司と話して、彼を批評し、天井桟敷も体験してきたなんて。こういう天才は、無用な細部に至るまで照らされてつまびらかにされる今の時代となっては、もはや二度と現れないかもしれない。

2018年6月11日月曜日

幻と祈り

ディラン・トマスの書簡集の中で出版社宛に出された手紙にあった詩「幻と祈り」。書きうつしにくいが 


         あなた
       は誰なのか
       となりの部屋で
     生まれているのは?
    私の部屋にあまりに高く
   響くので、子宮の口が開いて
  闇がミソサザイの骨のように薄い
 壁の向こうで精霊と生まれたばかりの
子の上の覆いかかるのが私には聞こえる。
 時間の燃焼と回転と人の心の足跡には
  いまだ知られていないこの生誕の
   血にまみれた部屋のなかでは
    頬ずくのは洗礼などでは
     なくただ暗闇だけが
      この荒々しい子
       を祝福して
        いる。


彼は、編集者に対して、この詩が完璧な対称性を持って印刷されるようにと指示してます。ここではなかなかそうなりませんが。徳永暢三氏と太田直也氏によるじつに見事な翻訳。この高み!