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2018年11月25日日曜日

AuraOneで使えない文字

私の本、AuraOne(コミックversion)には9Gの空きが残ってます。大体、1000冊くらいで満杯になる模様。それぞれの本はだいたい1454x1872ピクセルで、文字は2ビットで入れてますが、もう少し、画素数を落とすことで、サイズを減らすことは可能。だけど、大変めんどくさい。auraOneをもう一冊買えばいいやと思ってましたが、最近では本は一冊だけにしたくなってきました。興味ない本、つまらなかった本はパソコン保存限定にするかな。

ところで、前から、auraoneに入れたはずなのにみつからないということがあったのですが、原因が判明。他の電子リーダーでもありましたが、禁則文字があるようで、他のOS上で入れることはできますが、パソコンへの接続を外して電子リーダーのOSで起動させると、ファイルが消えることがあります。

きっかけは、「螢・納屋を焼く」、村上春樹の短編集で、たまたま、なぜかこれだけ読んだことがなくて新たに買ってパソコンで入れて、寝る前にさあ読もうとauraoneをつけたところ、見当たらない。ごそごそ起き出してノートパソコンにつないで調べたところ、螢、という文字のファイルは、保存できないことがわかりました。。。

他に、町田康の名作「屈辱ポンチ」もファイル名として入れられず。これは「屈辱」のどちらかの漢字が禁則なのかと思ったら、なんと問題は「ポ」でした。「ポ」という名前のファイルは消されます。ひらがなの中でこの半濁音だけが、冒頭や、どこかにあるとファイルが消えます。だから、「ポール・エリュアール詩集」がみつからないんだと、ようやく納得。前から、何かないなあと思ってたのですが。

不思議なのは、「量子テレポーテーション」や「イル・ポスティーノ」は入ってること。前後の関係?普通、禁則文字であれば、どこにあってもだめなはずで、これは謎。

螢は、旧字体なので仕方ないにしても、ポはないだろう。ポールマッカートニーのファンは困りそう。

Windowsでも禁則文字はいくつかあり、OSを最初に設計したときの土台のルールなので、いくらversion upしても変わりません。特に困るのが>や<と、コロン、セミコロン。論文の題名にはコロンが良く使われるし、データ記録のときにこれをファイル名にしたいことがよくあり、仕方ないので全角にしていれてますが何とも面倒。マックの禁則文字は確か、バックスラッシュだけ。

Windowsはやたら使えないファイル名が多いというのが、以前のマックユーザーとしての感想。だけど、さすがに普通の文字が禁則になることはありません。auraoneはアンドロイドのはずだけど、大抵のスマホはアンドロイドなわけで、これが禁則文字というのはありえないし、不思議です。Androidのタイプなどがあるのかな。ともかく、備忘録でした。

PS そうか、以前、アポリネール詩集が入らなかったとぼやいてましたが、これは、ポ、が原因だったのか。ジャンポールサルトルなんかもだめか。Paulが件名につくことは多そうだから、これで大丈夫なのかとも思うけど、マニュアル通りに楽天経由で電子ブックを入れてる分には、パッチで表示されるようになってるのでしょう。


おまけ
休日、昔よく行ってたパン屋さんに久しぶりに行って、いいお天気だったので外で食べてたら、こんなのが出てきました。
 春生まれですね。うちのクロと同じだ。早く住まいを見つけないと。福島の冬は猫には厳しい。

パンを食べると、こぼれるからなあ。また来るしかないか。

2018年11月23日金曜日

ヤクザ者

「自分たちのようなヤクザ者がいなければ、原発の収束作業はどうにもならなかった」

今西憲之さんによるネット記事の一節。ここでいうヤクザ者とは、良く使う文学的表現ではなく、文字通りかつてヤクザだった者のこと。この話、よく聞きますが、福島の人間としては複雑な思いです。だけど、ほんとにそうだったと思うのも福島の人間。

壊れた原発を何とかここまでふみとどめさせてくれたのは、どうかすると一日で1ミリシーベルトも被爆したり、それはまだましな方で、真夏でなくても防護服の中はいつも蒸し風呂状態、それだけで命が奪われることもある、そんな現場での過酷な労働があったから、こそ。

とても難しい。入試と違ってどこにも正解などない、この世界。




だけど、猫の世界も難しいのかな。生きるからには、無数の選択があり、自由だからこそ、そうなのかもしれない。

2018年11月18日日曜日

鬼塚


福島は歴史のある街で、あちこちにいろんな石碑があります。小川の交わるところに、鬼塚という、変わった名前の小さな小塚があり、なんだか不思議な雰囲気があって、以前から気になってました。


いつも丁寧に手入れされていて、このお地蔵さんのような子どもの像には、いつもこんなかわいい掛け物がしてあります。寒くなるともっと暖かい着物に替えられます。

ひょっとしてお子さんが事故でなくなったのかと最初は思いましたが、こんな石碑や像が建つことはないだろうし。


休日に、なんだろうと車を止めて入ってみました。車で通るときには気がつきませんでしたが、掲示板があり、市の文化遺産のようなものに指定されているようで、鬼塚の説明がありました。だけど文字もぼろぼろに剥がれていて、一部読めないところもありました。だいたい、こんな話。

昔、ここにお寺がありました。そこに熱心に通ってくる子どもがいました。お坊さんはその子に、湘南の浜のお寺に高名なお坊さんがいるから、その人について学びなさい、と話しました。そこでその子は、湘南の浜までたどり着き、お寺を訪ねました。ところが、その高僧はなくなっておられたのか、どこかに移られたのかで、会うことができませんでした。

遠い昔のことです。湘南まで長い旅路だったはず。自分の願いが叶えられないことを知ったその子は、湘南の海に身を投げたそうです。それを知ったお寺では、その子を憐れんで稚児塚として供養している、だいたい、こんな意味だったと思います。記憶の中で物語が若干編集されてるかもしれませんが。ただ、稚児塚が、いつしか鬼塚、になったのか。

だけど、なんだか、不思議な物語。その子は、失意と共に、これでは故郷や自分のお寺に会わせる顔がないと思ったわけで、逆に、お寺の悔恨の念なのかな。小さな子に間違ったことを伝えて追い詰めてしまったという。だから、鬼塚、でもあるのでしょうか。誰しもが鬼になるかもしれない、という戒め、とか。

お寺はずっと昔に壊されたようですが、花はいつもきれいです。鬼塚は、おそらく地域の方が丁寧に守っておられます。