最初は、大学院のときに、博多駅の近くの吉塚のアパートの4階に住んでた時のこと。ふと見ていた教育テレビで舞踏フェスティバルが放送されていて、名前だけは知ってたのでなにげに見ていたら、土方巽が出てきて、彼が舞踏について語ったそのわずか数分くらいの話。これが強烈で、繰り返し見て、来る人来る人に見せてはうさん臭がられてました。一体、何が言いたいのかよくわからない、だけど彼の語るそのイメージはあまりにも強烈。表現者とはまったく別次元の人間である事を認識した一瞬でした。
2回目は、何度も書いた、1987年か、88年にモントリオールで行われたMondern dance festivalの一環だった、勅使河原三郎。このモントリオール大学の講堂で行われたパフォーマンスは別格でした。まったく彼について情報のないままに入った会場で、お香の炊きつめられた場内で、ステージの奥の暗闇の中でうごめく彼のダンス。あれほど鮮烈だったものはありません。帰りの地下鉄の中でも呆然として、女房と顔を見合わせていました。
それから随分時を経て、この地福島で夜中に見た20分くらいのチェルフィッシュによるこの劇。最初は、一体、何でこの人こんなに動いてるのかわからず、ただ見ていただけですが、次第に引きこまれていきました。だけど見たのは、最後の1/3だけだったので、その全編が見たかった。オンデマンドとかでみれるのかなあといろいろとさがしました。
年末にふと思い立って検索したらこのDVDを発見。ふつう、演劇などの舞台パフォーマンスをテレビで見ても実際に見たときの印象とは大きく離れていて、がっかりすることもよくあります。というより、大抵そうなります。細部がよく見えるかということよりも、全体の動きがつくる大きなうねり・拍動と、その動きがつくる音、痛いくらいに張り詰めた空気が、パフォーマンスではもっとも大事。
これはドイツのマンハイム劇場の委嘱作品で、どこにでもある日本のコンビニでの日常を描いたものです。この作品、日本よりも海外での公演の方が多いようですが、生で見れた幸運な人はそんなに多くないかもしれない。だけど、この作品のDVD、意外なくらいとってもよかった。 もちろん、内容的に胸を揺すぶられるようなものではないし、高度に完成されたとか濃縮されたというのとは異なるものですが、ゲーム音楽のように演奏されるバッハの平均律に忠実に沿って展開され、異様なまでにデフォルメされた身体の動きを伴ったコンビニでの中身のない店員や客とのやりとりは、鮮烈。
なにより、これを輝かせているのは、新入りの店員、ミズタニさん(川崎真理子)。奇妙に誇張されたふわふわした身体表現、最近ではチェルフィッシュはダンスパフォーマンスのフェスティバルにも呼ばれてるようで、これがチェルフィッシュの特徴になってます。中でも、この人のパフォーマンスは特に饒舌です。いい人であろうとする善良なコンビニ店員として、我々がいつも聞いてる言葉と表情にこの動きが重なると、とても不思議な空気が生まれます。
この作品は、もちろん、このDVDの解説にあったようにコンビニに象徴される現代日本の生きにくさを描いたものです。だけどそう言ってしまえば、ちっとも面白くなく、見るわけもなし。だけどそれは表面的なことで、これが惹きつける理由には、もっとなにか普遍的な、この世界の悩みの表出のようなものがあるから、なのかな。矢沢誠演じる店長の最後の、まるでロボットの叫びのような独白には、同時代人としての共感させるものがあるかもしれない。
このアイロニー満載の題名、何度読んでも覚えられないのでネットで調べていると、なんと、今月末に東京で長く上演されることを発見。 テキストは変えず、動きをパワーアップしてもっとスタイリッシュに、という感じだとか。出演者を見ると、水谷さんはいるけど、矢沢誠がいません。店長がいない、どうなるんだろう。今頃チケットもないだろうし、再演が勝ることはないのは世の習い、それに会場は、よくわからないけど、小劇場が好きな平土間(苦手・・)のよう。行かないかな。