そう、平成は戦争が起きなかった年号でした。その前の年号までは、いつも戦争がありました(古い時代についてはもしかすると正確ではないかもしれないけど)。
元左翼としては、天皇のことを書くのは、なかなか難しく、さすがに、陛下と呼ぶのには抵抗があり、だからといって、天皇、だと、呼び捨てのよう。だけど、他に適当な呼称もないので、やはり、天皇、とかかざるをえません。
ともかく、平成の天皇としての最後の(?)記者会見を見て、胸を打つものがありました。こんなことを書くようになるとは思わなかったですが。
戦争のないのが当たり前のように感じられる今の日本。でも、それはほんの最近のこと。前の元号の時の戦争があまりにひどかったから、もうやらないと憲法を定めたわけで、それからまだ100年も経ってません。ほんとに、以前の元号では常に天皇は利用され、その名の下で戦争が行われ、多くの命が失われてきました。
ころころ入れ替わり責任をとらない政治家と違って、代わることの許されない天皇にしてみれば、自ら表す国の意志として、人の命が奪われていくのは、まったくたまったものじゃない、そんな胸のたけを感じます。だからこそ、この最後の会見ではあれだけ長く沖縄のことについて触れられたのでしょう。象徴としての最後の役目と思われたのかもしれません。だからこそ、11回も沖縄にいかれて、今年、天皇としての最後の年に行かれたわけですね。
これを書いてる今日はクリスマスイブ。エストニアの放送局Klassikaradioでは、ちなんだ曲がずっと流れています。礒山 雅氏による労作、「マタイ受難曲」によれば、イエス・キリストが教えを説いて各地を回ったのは、実際にはわずか2年余りだとか。そのときの社会にとっては、それだけの期間しか許されないような過激な思想だったのでしょう。
それから、2000年が経ち、我々は、北国の12月のでも穏やかに眠れるような科学という武器を手にしました。だけど、争いは絶えることはいっこうになく、無駄な命の奪い合いがこの世から消えた年なんて、一度もありません。
だからこそ、この平成という期間、つまり自分が表す日本においてだけは、国が表にたって人の命を奪うことはなかった、 このことを、もっとも誇らしいこととして、語られたのかもしれません。多くの哀しみの中で、これだけは、と。