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2016年10月28日金曜日

ゲール語の歌

「彼もまた、心のなかで、ゲール語の歌に似た自分だけの歌を歌っているのかもしれない。誰にも真意の届かない、古い言語で個人的な歌を歌っているのかもしれない。そして弁護士にしろ歯医者にしろ、われわれと同じように、彼らなりの深く暗いアフリカへはいっていくのかもしれない。」(アステリア・マクラウドの「夏の終わり」)

カナダの北の西の方、セントローレンス川が大西洋に出るところを塞ぐように横たわるノーバスコーシャ、その名の通り、スコットランドからの移民が多く住む地方を舞台にして、とても静かな物語を描いたアステリア・マクラウド。中でも、一番好きな短編がこの「夏の終わり」です。そういえば、同名の、胸を締め付けられるような美しさと哀しみに溢れる短編が、近藤紘一にありました。

彼は大学で教えていました。寡作で、アンソロジーの短編を除けば、日本では3冊しか出てません。それもそのはず、そもそも長編は1つ、短編も16個とあと少しあるかどうか。

一度だけ、ゲール語の会話を聞いたことがあります。モントリオールでポスドクをしてたころ、ラボに出入りしてた一人の学生がスコットランド出身で、自分はゲール語が通じる相手にはゲール語で話すんだと言ってました。授業の終わりだったか、彼がその数少ないゲール語のわかる友達に話してたのを、たまたま耳にしました。

とても不思議な響きでした。英語とはかけ離れた音で、いろんなヨーロッパ言語の元となったはずですが、どことも似てません。強いて言えば、ラテン語の響きを思い出しましたが、意味なんてわかるわけもなし。

上の短編は、これからアフリカの炭坑でウランを採掘に向かう前、ケープ・ブレトン、ノーバスコーシャの大きな島にある海岸沿いの白い家で、天候の変わるのを待つ父親の、つかの間の夏の休みのお話。

絶壁の上を歩きながら思い出す日々。サスカチュワンの炭坑で、自分の目の前で埋もれて死んでしまった弟のこと、遙か昔に過ぎた人生の夏。上の文章の箇所では遠くに散った子どもたちに思いをはせます。長年の激しい労働に痛めつけられた背中に時々走る激痛に身をよじらせながらも、それでも今なおアフリカに向かう自分。これも彼のゲール語の歌なのかもしれません。


2016年10月22日土曜日

寝てます

外野がどうのこうのいうものではないにしても、BobDylanがレスポンスしないのに対してノーベル賞選考委員が批判してるとか。ほんとにそう言ってるとして、これまた異例。彼が賞を辞退したことはなかったような気がするので、しれっと当日は出てきて受けると思ってましたが、こういう批判には結構、彼は弱い。ただ、それをしっかりと受け止めて、次に生かすことで、今の彼があるわけですが、それはともかく。

どんな賞でも選考してる人が勝手に選ぶもので、確かに連絡しろと言ってるのに無視されるのは選考委員は良い気分でないのはわかるが、レスポンスする義務もないだろうに。傲慢はどちらだ?スケジュールも年内なんてぎっしり埋まってるだろうから、迷惑には違いないだろうし。ひょっとして、選考委員が熱烈なファンで、電話をもらいたかったとか。

ノーベル賞に決まったという電話連絡に、寝てます、といって出なかったのは最高。いかにも彼らしい。こちらの喜びに拍車をかけましたが、選考委員会はこれを後味の悪いものにしてほしくない。相手が悪い、とあきらめましょう。

今後、日本からも、選考委員会から電話をもらっても、寝てます、あるいは、お経をあげてます、とでも答えてくれるような受賞者が出てくることを希望します。


2016年10月16日日曜日

ミルクの森で

そんなわけで、ディラン・トマスの「ミルクの森で」を読み返してると、ふと気がついたことがあります。このまえもかいたもう一人のDylanの2009年のクリスマスソング集、誰もがひっくり返ったに違いないこのアルバムで一番印象的な曲、must be a Santa、この中で、なにより耳に残るのは、リフレインのなんだか規則性がわからない繰り返し。

こんな野放図な繰り返しが、どこからこんなのが出てくるのか、これがいつも彼の謎で、魅力なのですが、このくりかえしは、「ミルクの森で」の中の、引退したキャット船長の夢の中で、溺死者1から5が次々に現れて歌うフレーズのリズムとよく似てます。

と書くと訳わからないですが。彼の書いたこの最高の戯曲は、「小さな町の月のない夜」に、町の人々が見る夢を描いた詩劇です。最初に登場してくるのが、隠退した盲目のキャット船長で、「とびきり上等で小ぎれいな船室の自分の寝台に眠って、夢を見ています」。
そのゆめのなかに、長い船長の人生の中で、おぼれ死んでしまった船員たちが次々に現れて、船長とにぎやかに歌います。
こんな感じ。溺死者1から5が交互に登場しての台詞、

どんなぐあいかね、陸の、娑婆の方は?

ラム酒やアオサ入りパンはあるかい

胸のふっくらしたコマドリちゃんは?

手風琴は?

エベネゼルの鐘は?

殴り合いとタマネギは?

それから、雀と雛菊は?

ジャム壺の中のトゲ魚は?

バターミルクとホイペット犬は?

ねんねんようの赤ちゃんは?

網につるした目障りな洗濯物は?

居心地の良い居酒屋の、あのなつかしい女どもは?

・・・・

延々と続く、この小気味よい歌、このリズム、まさに must be a Santa。彼の天才が一番発揮された作品かもしれない。

先に書いた、激しい雨が降る、の本歌だと書いた部分もキャット船長が
「太陽と、彼がまだ蒼い輝く目をして、ずっと昔、快走船を走らせた海に向かってパッと開け放たれた窓辺で、うとうとしながら航海の夢を見て」
いたときに、その中に現れた、かつて彼が手を出した早熟な娘、ローズィの歌の一節でした。

そもそも、Bob Dylanの特徴的な早口の畳語は、まさにこの「ミルクの森」ととてもよく似てます。意識しているとは思えないですが、50年を隔てて、Dylan ThomasはBob Dylanとなって、歌になり姿を現したのかもしれません。

2016年10月14日金曜日

激しい雨が降る

まだ興奮冷めやらぬ中、Dylan氏は昨夜のコンサートで一言も触れなかったとか。さっすが。かつてサルトルが受賞の打診を受けたとき、断ったという有名な話がありますが、それについでくらいcool。まさか断ったりして?どちらでもいい、彼らしく決めてくれれば。単純なこの喜びは、自分でなぜ?と思うくらい、ほんとうれしい。

Dylan Thomasはてっきり受賞してたのかと思ってましたが、違ったようです。また、昨日、ソールベロー以来かと書きましたが、トニー・モリスンという黒人女流作家がそのあとで受けてたのですね、この人全然知らない。(←嘘、本が実家の書棚にありました。若い頃読んで、ちっとも残ってないようです)

60年代、後半に入って急に難解な詩を書き出したDylanに、「Dylanologist」たちが出てきて、彼の詩の研究と解説を始めたことがあります。迷惑げなBobDylanは、そんなのやらないで、トルストイとかやればいいのにと、ドキュメンタリー版のBringing it all back homeのなかで語ってた、そんな記憶があります。

前も書きましたが、「激しい雨が降る」は、長らくどこかのフォークロアのスタイルかと思ってましたが、Dylan Thomasの「ミルクの森の中で」、彼の有名な戯曲というのか、詩劇というのか、あきらかにこれが元歌。ディラン・トマス全集を古本屋で見つけて喜んで買って、読んでたときに、気がつきました。詩劇の中で歌われる詩です。多くの彼の作品を訳してくれた松浦直巳氏の訳では
「トム・キャットさん
どんな海を見たの
遠い遠い昔の
あなたの船乗り時代に
あなたがわたしの船長であったころ
のたうつ緑の海原に
どんな海獣がいたの

ほんとのことをいうと
あざらしのように海は吠え
波は蒼くまた緑
海には鰻に
人魚い鯨が一杯

どんな海を渡ったの
ねえ お年寄りの捕鯨者さん
ウェールズからシスコまで
ふっくらふくらんだ波に乗り
あなたがわたしの甲板長であったころ

ここにいるほど確かなことは
かわいいおまえがトムキャットの女だったこと
海に不慣れのローズィよ
おまえ 気楽な恋人よ
わたしのとってもやさしい
私のほんとの恋人と
海は豆のように緑で
アザラシの吠える月の夜は
海に白鳥が浮かんでいたよ
・・・ 」

延々と続きます。激しい雨が降る、ではこれを、全然違う場面に置き換えて、ひとつの様式として使ってます。寺山修司にちょっと似たところがあるのかな。そういえば、風に吹かれては盗作だという話がずっと昔ありました。どこかの民謡のメロディののせたものかもしれない。でもパクるのは芸術の基本。

詩そのものとしては、DylanThomasにかなうものではないですが、彼はそれを他の方法で表現しました。きっともっと若い頃、ものすごく読んでいたに違いない。すっかり彼自身になってます。たとえばDylan Thomasはこうやって、言葉だけで劇場を作りますが、

I see the boys of summer in their ruin
Lay the gold tithings barren,
Setting no store by harvest, freeze the soils;
と歌い出して、

I see you boys of summer in your ruin.
Man in his maggot's barren.
And boys are full and foreign in the pouch.
I am the man your father was.
We are the sons of flint and pitch.
0  see the poles are kissing as they cross.

と終わるように。神々しいまでの圧倒的な言葉の劇場を。だけど、もう一人のDylanはそのように自分の声で表現できます。希有の存在。Royal Albert HalllでLove Minus zeroをうたう彼のテープを見てると、神がかって見えます。それにしても、こうしてDylanThomasの詩を書いてみると、言葉の選択が強い影響を受けてるのがよくわかります。

そんな意味で、まさに吟遊詩人、Minstrel Boy。もっとも、73年以降の彼にはあまり心動かされるものがなくなってしまって、もうでてくるなとすら思って、ボストンに住んでいた頃、近くの大学でコンサートがあったときには行きもしませんでしたが、心臓発作から復活した後はさらにすごさをましたものを感じました。Time out of mind、何十年ぶりの衝撃でした。ノーベル賞委員会を動かしたのはこの後の活動かもしれない。何しろ、クリスマスソング集を出すとは思いも寄らなかったし、そのできばえには、目眩がしました。詩は73年以降もひたすら伸び続けたのかもしれない。

でもやはり最高峰は、65年前後、ロックを手にした直後から、バングラデッシュまででしょう。Fourth time aroundなんて、ありえない歌。はじめて、中学校2年の時に聞いて以来、これがなんなのか、永遠の謎。


付記 と書きましたが、どうやら激しい雨が降るの本歌は、ロード・ランダルという、やはり伝承歌のことだとか。独教大の先生がそういわれてるという話がどこかに書かれてました。なるほど。トマスの方はそれに乗せたのかな。確かに、いかにもそんな感じですね。BobDylanは両方ともよく知っててあの作品ができたのかな。