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2019年2月13日水曜日

IQ84

「青豆は自分の中にあるいくつかの小部屋を訪れ、魚が川を遡るように時間を遡った。そこには見慣れた光景があり、長く忘れていた匂いがあった。」

ながく読んでいたIQ84が連休の最後の夜についに読了。前に一度読んでましたが、やはり読み方がだめ。何読んでたんだろうと思います。

新たに読みふけっていると、なんだか具合悪くて横になるのも辛かった夜も、なんとかしのげました。私の本、kobo aura oneにはIQ84として3冊分、1500ページを超えるこの大長編の全体がはいってますが、BOOK2を終えて、Book3をさて、と続けて読み出したとき、なんと、この本は読んでなかったことに気がつきました。そういえば、以前はそんなに熱心じゃなかったので、買っただけであとで読もうと思って、そのまんま、書棚に並べてました。単純にうれしかった。まだ読んでいない彼の長編があったなんて。

「彼女の生きた感情はどこかよそにあるらしかった。少なくともこの場所にはない。別のどこかにある鍵のかかった小さな暗い部屋に、その心はしまい込まれてしまったようだった。」

BOOK2の終わり、青豆が高速道路上に一人たち、いぶかしげに眺めるベンツの女性を尻目に、ヘックラー&コッホをくわえて首都高の上で息絶え、かたや、天吾が青豆を探す決意を固める、このシーンは、とても感動的でした。

だけど、BOOK3では、なんと青豆は生きてたんだ、というところからはじまり、まるで手塚治虫の長編のようなクライマックス。決して皮肉ってるわけでなく、これだけ面白く、読むのが楽しみだった小説は、ほんの数えるくらいしかありません。

この壮大で神秘的な物語、 これを知らない人生は寂しい、というのが読み終えたときの率直な感想。村上春樹は、三題噺が得意で、お題をもらえばいくらでも話は出てくるといってましたが、それがよくわかります。この作品は最初BOOK1と2がでて、しばらくしてから3が発行されて驚きと歓声で迎えられました。これにはたぶん経緯があり、BOOK2の時点で、いったんはおわってたのかなと思います。だけど、この物語はもっと続く意志を持っており、彼はそれを書きとめた、というところでしょうか。

人は物語るもの。かつて人間がまだ洞窟の中で暮らしていた頃でも、おとなたちはたき火の前で外の闇に耳をそばだてながら、子どもたちに空の星たちの闘いのお話を聞かせていたに違いありません。

 それにしても、なんて見事な表現、イメージなんだろう。

「・・・まるでそこにかぶっていたほこりが夜の雨に洗い流されるみたいに。
不安と期待とおびえが、がらんとした教室の隅々にまで散らばり、臆病な小動物のように様々な事物の中にこっそり身をひそめていた。数式の消し残しのある黒板、折れて短くなったチョーク、日焼けした安物のカーテン、教壇の花瓶に挿された花、壁にピンでとめられた子どもたちの描いた絵、教壇の背後にかかった世界地図、床のワックスの匂い、揺れるカーテン、窓の外から聞こえてくる歓声ーそこにある情景を天吾はとても克明に頭の中に再現することができた。」

2019年1月19日土曜日

クリックボード履歴

Windows10の更新には悩まされて、いかに回避するかをいろいろとやってみてはいますが、どれも決定打がなく、今回も、知らぬうちに更新され再起動されてしまい、開いていたファイルが消えてしまった。。。立ち上げていたオフィスが自動更新したのは当然としても、PDF-XChange-Editorも設定で自動更新を指定できるのでいいとしても、研究系のソフトはほぼダメ。どれかなくなってるはずだけど、それがどれかがわからないという状態。

とはいっても、WIndows10はいつのまにやら便利な機能もつけてはいます。コピー履歴機能がそのひとつ。これまでマルチコピーのための常駐ソフトがいくつも出ては入れて、でもいまいちで使わなくなってましたが、ようやくOSで履歴保存として対応してくれるようになりました。Windowsの設定のところからシステムにはいってクリップボードを開いて、クリップボードの履歴をオンにするだけ。

コピーするのは普通にCont+Cで、貼り付けに、Cont+Vのかわりに、Win + vを使います。これで過去に保存したものが出てくるので、ひとつの文書から何カ所かコピーしておいて、別のファイルで貼り付けるときに、ペースト内容を選択できます。これはかなり便利。

ただ私のキーボードはRealforceなのでWinキーがないので、まずキーマッピングツールをどこから持ってきてインストールして、使ってないキーをWinに割り当てました。意外とこれは便利かもしれない。

他にも新たなフォントも入ってました。UDというのがついた日本語フォントのセットが2種類、BZタイプと教科書タイプ、入っています。もともとWIndows10のデフォールトは遊ゴシックで、とてもみっともなくて見にくいフォントなので、外してMeiryoのを使ってましたが、これよりも良い感じ。だけど、システムフォントの変更はそれほど容易じゃないのでアプリだけですが。

なにか目に見える良いことがないとね。

>>と思ったら、Outlook2016でメールの検索ができない・・ このトラブル、以前も何度か起きてて、今回もOSの更新が原因だな。マニュアルで探すなんて、時間かかりすぎ。そのうち修正されるだろうからほっておこう。
>>と思ったけど、これがないと仕事にならない。ならばインストールされた修正プログラムをアンインストールしたものの、変わらず。
>>ネットを見ると、マイクロソフトのサポートページは、毎度のことながらこの件でもとてもプロとは思えない回答で、ちっとも役に立たず。が、IT系のひろみのみさんが書いてくれてたやりかたで解決しました。これは簡単で、Outlookの検索>検索ツール>インデックスの状況、を見ると、インデックスをつけてる作業中である事がわかり、これが0になると、元通りになりました。どこかの時点でインデックスがはずれて、つけ直していたのか、あるいは、ここを開くことでプロンプトになったのかは不明。ともかく、これで解決。

2019年1月14日月曜日

冬の日

おだやかな陽射しのなか、ぼろぼろに使い込まれたカゴのなかでお昼寝。大好きな時間らしい。

年末の大雪のときに、半世紀ぶりに(!)女房と雪だるまを作って展示しておいたのだけど、すでにこんな状態。寒さは続くもののお日様の力は南東北ならでは。


夜にはこんな状態になります。


 つまり、一日寝てます。

2019年1月6日日曜日

スーパープレミアムソフトWバニラリッチのDVD

待望のDVD、チェルフィッシュの「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」が出ていたので、先月買って、正月に見ました。この劇団と岡田利規は、なにげにつけたEテレで衝撃を受け、何度も録画を見てました。こういう衝撃は、人生で何度もありません。

最初は、大学院のときに、博多駅の近くの吉塚のアパートの4階に住んでた時のこと。ふと見ていた教育テレビで舞踏フェスティバルが放送されていて、名前だけは知ってたのでなにげに見ていたら、土方巽が出てきて、彼が舞踏について語ったそのわずか数分くらいの話。これが強烈で、繰り返し見て、来る人来る人に見せてはうさん臭がられてました。一体、何が言いたいのかよくわからない、だけど彼の語るそのイメージはあまりにも強烈。表現者とはまったく別次元の人間である事を認識した一瞬でした。

2回目は、何度も書いた、1987年か、88年にモントリオールで行われたMondern dance festivalの一環だった、勅使河原三郎。このモントリオール大学の講堂で行われたパフォーマンスは別格でした。まったく彼について情報のないままに入った会場で、お香の炊きつめられた場内で、ステージの奥の暗闇の中でうごめく彼のダンス。あれほど鮮烈だったものはありません。帰りの地下鉄の中でも呆然として、女房と顔を見合わせていました。

それから随分時を経て、この地福島で夜中に見た20分くらいのチェルフィッシュによるこの劇。最初は、一体、何でこの人こんなに動いてるのかわからず、ただ見ていただけですが、次第に引きこまれていきました。だけど見たのは、最後の1/3だけだったので、その全編が見たかった。オンデマンドとかでみれるのかなあといろいろとさがしました。

年末にふと思い立って検索したらこのDVDを発見。ふつう、演劇などの舞台パフォーマンスをテレビで見ても実際に見たときの印象とは大きく離れていて、がっかりすることもよくあります。というより、大抵そうなります。細部がよく見えるかということよりも、全体の動きがつくる大きなうねり・拍動と、その動きがつくる音、痛いくらいに張り詰めた空気が、パフォーマンスではもっとも大事。

これはドイツのマンハイム劇場の委嘱作品で、どこにでもある日本のコンビニでの日常を描いたものです。この作品、日本よりも海外での公演の方が多いようですが、生で見れた幸運な人はそんなに多くないかもしれない。だけど、この作品のDVD、意外なくらいとってもよかった。 もちろん、内容的に胸を揺すぶられるようなものではないし、高度に完成されたとか濃縮されたというのとは異なるものですが、ゲーム音楽のように演奏されるバッハの平均律に忠実に沿って展開され、異様なまでにデフォルメされた身体の動きを伴ったコンビニでの中身のない店員や客とのやりとりは、鮮烈。

なにより、これを輝かせているのは、新入りの店員、ミズタニさん(川崎真理子)。奇妙に誇張されたふわふわした身体表現、最近ではチェルフィッシュはダンスパフォーマンスのフェスティバルにも呼ばれてるようで、これがチェルフィッシュの特徴になってます。中でも、この人のパフォーマンスは特に饒舌です。いい人であろうとする善良なコンビニ店員として、我々がいつも聞いてる言葉と表情にこの動きが重なると、とても不思議な空気が生まれます。

この作品は、もちろん、このDVDの解説にあったようにコンビニに象徴される現代日本の生きにくさを描いたものです。だけどそう言ってしまえば、ちっとも面白くなく、見るわけもなし。だけどそれは表面的なことで、これが惹きつける理由には、もっとなにか普遍的な、この世界の悩みの表出のようなものがあるから、なのかな。矢沢誠演じる店長の最後の、まるでロボットの叫びのような独白には、同時代人としての共感させるものがあるかもしれない。
 

このアイロニー満載の題名、何度読んでも覚えられないのでネットで調べていると、なんと、今月末に東京で長く上演されることを発見。 テキストは変えず、動きをパワーアップしてもっとスタイリッシュに、という感じだとか。出演者を見ると、水谷さんはいるけど、矢沢誠がいません。店長がいない、どうなるんだろう。今頃チケットもないだろうし、再演が勝ることはないのは世の習い、それに会場は、よくわからないけど、小劇場が好きな平土間(苦手・・)のよう。行かないかな。


2018年12月24日月曜日

戦争が起きなかった年号

そう、平成は戦争が起きなかった年号でした。その前の年号までは、いつも戦争がありました(古い時代についてはもしかすると正確ではないかもしれないけど)。

元左翼としては、天皇のことを書くのは、なかなか難しく、さすがに、陛下と呼ぶのには抵抗があり、だからといって、天皇、だと、呼び捨てのよう。だけど、他に適当な呼称もないので、やはり、天皇、とかかざるをえません。

ともかく、平成の天皇としての最後の(?)記者会見を見て、胸を打つものがありました。こんなことを書くようになるとは思わなかったですが。

戦争のないのが当たり前のように感じられる今の日本。でも、それはほんの最近のこと。前の元号の時の戦争があまりにひどかったから、もうやらないと憲法を定めたわけで、それからまだ100年も経ってません。ほんとに、以前の元号では常に天皇は利用され、その名の下で戦争が行われ、多くの命が失われてきました。

ころころ入れ替わり責任をとらない政治家と違って、代わることの許されない天皇にしてみれば、自ら表す国の意志として、人の命が奪われていくのは、まったくたまったものじゃない、そんな胸のたけを感じます。だからこそ、この最後の会見ではあれだけ長く沖縄のことについて触れられたのでしょう。象徴としての最後の役目と思われたのかもしれません。だからこそ、11回も沖縄にいかれて、今年、天皇としての最後の年に行かれたわけですね。

これを書いてる今日はクリスマスイブ。エストニアの放送局Klassikaradioでは、ちなんだ曲がずっと流れています。礒山 雅氏による労作、「マタイ受難曲」によれば、イエス・キリストが教えを説いて各地を回ったのは、実際にはわずか2年余りだとか。そのときの社会にとっては、それだけの期間しか許されないような過激な思想だったのでしょう。

それから、2000年が経ち、我々は、北国の12月のでも穏やかに眠れるような科学という武器を手にしました。だけど、争いは絶えることはいっこうになく、無駄な命の奪い合いがこの世から消えた年なんて、一度もありません。

だからこそ、この平成という期間、つまり自分が表す日本においてだけは、国が表にたって人の命を奪うことはなかった、 このことを、もっとも誇らしいこととして、語られたのかもしれません。多くの哀しみの中で、これだけは、と。

2018年12月18日火曜日

Finnpipette Focus Short, no longer available

いくらお金があってももはや買うことのできない実験器具、フィンピペットのFocus Short。研究者の絵筆のような、微量溶液を加えるための器具としては、ピペットマンという代名詞になってるGilsonがもっとも一般的。だけど、私は小ぶりで軽量のフィンピペットのほうが好きです。これはその名の通り、フィンランド生まれ。このフィンは、なぜか、ギルソンと違って、モデルをころころ変えます。このFocus Shortは、確か、10年以上前のモデル。5年間くらい売られてたでしょうか。もっとあったかもしれませんが、気がついたら、使いにくいモデルしか買えなくなってました。

ラボの使ってない引き出しから出てきた左のP-3のタイプ、チップディスペンサーがついた形ののが出てきました。ダイヤル回し、チップdispencer、サイズ、重量、ともにベストで、すごく貴重。
 P-200やP-1000はまだ完全型のがラボに数本ありますが、P-3というか、FocusShortの良さには当時はあまり気がつかず、あまり買ってなかった上に、特にP3はディスペンサーの部分が壊れやすいのか、残るはこの1本だけ。

メーカーにはいつも、これを復活させてくれと御願いしてますが、作ってくれる由もなし。以降出てきたモデルはいずれもいろんな難点があり、仕方なく買いますが、何でこんなの作るのかなというのばかり。

ただ、ネットで探すと、このタイプも見積もり依頼、というのが出てきます。ひょっとして、世界のどこかに秘密工場があって、そこではひろかにFinnpippete Focus Shortを作り続けてる、などと妄想したいところ。でも、たぶん、このサイトは、こんなマニアを狙った個人情報の抜き取りサイトのよう。確かに、ついクリックしてしまいそうだ。この世はいつもこんなものです。

2018年12月14日金曜日

牛乳を飲む猫

この猫は牛乳が好き。だけど、飲むのが下手で、いつもこんなになってしまう。

本人はあんまり自覚がないらしく、何をこちらが喜んでるのかといぶかしげだ。