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2019年12月2日月曜日

はじめて、ten Holtによるcanto ostinatoを聞いたのは、
https://www.youtube.com/watch?v=SUWI_g3pd2s

で演奏している二人のソウルの若者の動画を見たときでした。あのとき、女房がうしろで料理をしてて、私はテレビでDaznをつまらんなあとプチプチいじって、YouTubeにはなにかないかと探していたところ、何を見ていたのか、これに行き当たりました。最初、それほど興味があったわけではないけど、やはり、冒頭の繰り返しの中に入ってくる小さな不協和音に惹かれるものを感じ、じっと聞き入ってしまいました。

何の飾りもない、そもそもステージでもないので、無愛想な二人の若者が演奏しているだけ。演奏自体にも、技巧的な誇張や情緒的な装飾は一切なく、ただ、淡々と、目で時々合図を送りながら、この音楽を延々と弾き続ける姿。

なんだこの曲は、というのが最初で、以来、いろんな人の演奏を聴いてきました。多くはステージでの演奏で、にこやかにお辞儀をしてはじまり、いろんなvariationが繰り広げられます。素晴らしい技巧で、劇的な盛り上げとうまく作っているものもおおく、ピアノだけでなく、マリンバのもいい。

だけど、しばらくすると、ふと、また、この二人の演奏を気がついたら聞いています。ほんとにぶっきらぼうな、とにかく、自分らにはこれを弾くしかない、そんなぴりぴりした、いかにも若者な空気がなによりも漂っています。

ten Holtはどんな想いでこの曲を書いたのか。自分の作った音楽が、遠くアジアの半島で、若者の支えになるなんて、思いもしなかったかもしれません。これが録画されたのは5年前。それから、彼らはどのような道を歩んでいるのでしょう。兵役も逃れることはできないだろうし、激しい韓国の競争社会の中で、いろんな事にぶつかりながら生きているんだろうなと、想像します。

きっとそんな中で、このcanto ostinatoはいつも鳴り響いているはず。なにがあっても。ソウルのどこかの部屋で、仲間らとともに演奏した、この瞬間に共有したこの音楽のこと。絶対に忘れないはず。

他に