FireFoxがQuantumになってTab Mix Plusが使えなくなって以来、ブラウザはWaterFoxという、英国のAlex Kontosが興した会社のFireFoxの64bit nativeのを使ってます。何にも問題ないですが、女房のPCにもこれを入れようとしたら、Tab Mix plusがFirefoxのadd-onサイトから消えてました。おそらく、FireFoxでは使えなくなったからでしょう。ま、そうですよね。
代わりに、現在のFireFoxでも使えるTab Mixなんとかいうのが入ってますが、これはダメ、設定をAbout.configで別に行う必要があると書いてありますが、こうやっても機能せず、plusの大事な機能がつかえません。
ただ、それは単にFireFoxが載せてないだけで、どこかにあるだろうと調べてみると、やはりありました。https://bitbucket.org/onemen/tabmixplus/downloads/?tab=downloads
からダウンロードできます。これをadd-onからファイルとしてインストールするとWaterFoxにTab mix plusを入れることができました。これに、設定したファイルをインポートして、できあがり。
もっとも、Tab mix plusのupdateは自分でここに行ってマニュアルでインストールする必要があります。だけど、してなくても現実的にどれくらいのリスクがあるのかしりませんが。ともかく、めでたし。
左下の、ゴミ袋のようにみえる黒いかたまりは眠るちびくろ。それを優しく見守るお姉さん猫、な訳がない。数秒後には争いが始まりました。
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2019年5月27日月曜日
2019年5月25日土曜日
聖ジュネ
斧が私の首を切るずっと前に、
わたしのなかで死んだ朗らかな子供
実家に帰ったときに持ち帰ってきた新潮文庫の「聖ジュネ」、このサルトルの本、実に懐かしい。高校生の頃、懸命に読んでたものです。相当ハードで、ほんとに懸命に読んでました。最初から読めば実はそこまで難渋なものでもないのですが、適当に開いて途中から読むと、ほぼ意味がつかめない。
だけど、これは救いでもありました。なぜだかわからないけど、それは、たとえば、この聖ジュネの第一章の章題、実はこれは、ジャン・ジュネの書いた詩の一節。訳も素晴らしい。何かあると、よくこの言葉を思いうかべてました。これがこの本、ジャン・ジュネの評伝の主題です。この長大な本では、繰り返し、この解題が行われます。だから、高校生でも読めたのかもしれない。
「幼年時代のある思い出に関してある事件が彼の身に起きて、この思い出は神聖なものになった。 若年に宗教の儀式に似たドラマが演じられ、彼はそのドラマの祭司となった。つまり彼は楽園を識ったが、それを見失った。子供であったが、幼年時代から追放されたのである。」
ジャン・ジュネは若い頃、札付きの犯罪者で、何度も投獄され、だけど悔い改めるどころか、脱走を繰り返し、犯罪を賞賛し、ついには終身刑が科せられようとしていたころに(フランスでは10回有罪になると無期懲役になるという制度があるそうで)、サルトルやコクトーらの請願により恩赦されました。彼はちっとも喜びませんでしたが。
不幸な幼年時代、何が彼を犯罪に向かわせたのか、なぜ彼は描いたのか、なぜ彼は悔いることなく犯罪を繰り返し、それを称えたのか、この本のmotivationはそこにあります。だけどジャン・ジュネの小説や戯曲のほうは私にはちっとも面白くなく、数ページ以上読めたこともありません。詩は、冒頭の句は素晴らしいけど、訳にも寄るのでしょうが、あまり感じるものはありません。ただこれは単に私には縁遠いというだけで、仏文科の卒業論文には数多く、彼を対象にしたものがあるに違いありません。この「聖ジュネ」はその頂点でしょう。
彼を理解しようとするサルトルの試みは素晴らしく感動的なほど。そして、その行為は不思議な魅力に満ちています。今でも、改めてそう思うくらい。読むほうに進歩がなさすぎだろう、というのはさておき。
ただ、これを読んだジャン・ジュネはショックを受け、その後ほとんど書けなくなります。それはそうだろう。ここまで分析され、解決されると、これ以上何を生む必要があるのか。研究と同じようなものです。彼を、評伝、分析対象とするには余りにも早かった。知性とは残酷なものです。
わたしのなかで死んだ朗らかな子供
実家に帰ったときに持ち帰ってきた新潮文庫の「聖ジュネ」、このサルトルの本、実に懐かしい。高校生の頃、懸命に読んでたものです。相当ハードで、ほんとに懸命に読んでました。最初から読めば実はそこまで難渋なものでもないのですが、適当に開いて途中から読むと、ほぼ意味がつかめない。
だけど、これは救いでもありました。なぜだかわからないけど、それは、たとえば、この聖ジュネの第一章の章題、実はこれは、ジャン・ジュネの書いた詩の一節。訳も素晴らしい。何かあると、よくこの言葉を思いうかべてました。これがこの本、ジャン・ジュネの評伝の主題です。この長大な本では、繰り返し、この解題が行われます。だから、高校生でも読めたのかもしれない。
「幼年時代のある思い出に関してある事件が彼の身に起きて、この思い出は神聖なものになった。 若年に宗教の儀式に似たドラマが演じられ、彼はそのドラマの祭司となった。つまり彼は楽園を識ったが、それを見失った。子供であったが、幼年時代から追放されたのである。」
ジャン・ジュネは若い頃、札付きの犯罪者で、何度も投獄され、だけど悔い改めるどころか、脱走を繰り返し、犯罪を賞賛し、ついには終身刑が科せられようとしていたころに(フランスでは10回有罪になると無期懲役になるという制度があるそうで)、サルトルやコクトーらの請願により恩赦されました。彼はちっとも喜びませんでしたが。
不幸な幼年時代、何が彼を犯罪に向かわせたのか、なぜ彼は描いたのか、なぜ彼は悔いることなく犯罪を繰り返し、それを称えたのか、この本のmotivationはそこにあります。だけどジャン・ジュネの小説や戯曲のほうは私にはちっとも面白くなく、数ページ以上読めたこともありません。詩は、冒頭の句は素晴らしいけど、訳にも寄るのでしょうが、あまり感じるものはありません。ただこれは単に私には縁遠いというだけで、仏文科の卒業論文には数多く、彼を対象にしたものがあるに違いありません。この「聖ジュネ」はその頂点でしょう。
彼を理解しようとするサルトルの試みは素晴らしく感動的なほど。そして、その行為は不思議な魅力に満ちています。今でも、改めてそう思うくらい。読むほうに進歩がなさすぎだろう、というのはさておき。
ただ、これを読んだジャン・ジュネはショックを受け、その後ほとんど書けなくなります。それはそうだろう。ここまで分析され、解決されると、これ以上何を生む必要があるのか。研究と同じようなものです。彼を、評伝、分析対象とするには余りにも早かった。知性とは残酷なものです。
2019年5月9日木曜日
日焼け止め、紫外線吸収剤は安全なのか
紫外線が強い季節になりました。そんな頃にタイムリーな、この論文、
Effect of Sunscreen Application Under Maximal Use Conditions on Plasma Concentration of Sunscreen Active Ingredients
前から気になっていましたが、最近では日焼け止めを積極的に塗ることが推奨されています。オゾン層が薄くなったせいなのか、紫外線は昔よりは強くなりました。だけど、日焼け止めをメーカーの推奨のように塗ると、相当な量になります。日焼け止めには相当いろんな成分が入っていますが、そんなに安全なものなのかなと思って、つけたことはありません。が、女房はまじめに塗ってます。いいのかなと気になってはいても、たいした根拠もないし、塗らないとシミが増えるとか皮膚ガンになってもいいのね、とか絡まれても困るし。
この論文では一般的な日焼け止めの成分であるavobenzoneを例にして、どれくらい血中に取り込まれるかを調べてます。これは血中濃度が0.5ng/mLよりも低ければ生物学的影響はないとFDAはしていますが、言い換えれば、それ以上だと、発がん性や催奇性などの毒性検査が必要になるとされています。24人で調べたところ、血中での最高値が4ng/mLで、安全とされるレベルを一桁超えてます。
avobenzoneは紫外線を吸収して分解されることで、皮膚が紫外線に曝されることを防ぎます。だけど、同時に、構造からわかるように、皮膚に浸透して細胞内に入り、血中まで容易に到達するでしょう。この手の紫外線吸収剤はどれも似た性質があるようで、Oxybenzoneはもちろんですが、OctinoxateやHomosalateも、名前からなかなかぴんときませんが、構造を見ると同じような浸透性を持つだろうことくらいは、化学者ではない私でもわかります。
たぶん、紫外線吸収剤は芳香環を使うのが簡単なので、水に溶けにくく油に溶けやすい化合物が使われているのでしょう。いずれも、もちろんそんなに毒性が高いものではないですが、日焼け止めクリームで使う量は大量です。飲み薬は厳しく摂取量が管理されてますが、塗り薬はほぼ放置されてます。紫外線吸収剤は取り込まれるとどれくらいの早さで代謝されて放出されるものなのか。だけど、その前には血中に入って全身を回って肝臓に入らねばなりません。
おそらく紫外線散乱剤である二酸化チタンや酸化亜鉛のナノパーティクルの方がまだ安全でしょう。これらナノパーティクルの安全性がどうかわからないとは言われていますが、ただ、これらが蓄積することはあんまりないかな?少なくとも上に書いた吸収剤よりは体内吸収がかなり低そう。
皮膚ガンのリスクか、日焼け止め薬の毒性か、どちらを取るか。一番安全なのは中東のように布をかぶることだとは思います。宗教は人が生きるための知恵でした。
Effect of Sunscreen Application Under Maximal Use Conditions on Plasma Concentration of Sunscreen Active Ingredients
前から気になっていましたが、最近では日焼け止めを積極的に塗ることが推奨されています。オゾン層が薄くなったせいなのか、紫外線は昔よりは強くなりました。だけど、日焼け止めをメーカーの推奨のように塗ると、相当な量になります。日焼け止めには相当いろんな成分が入っていますが、そんなに安全なものなのかなと思って、つけたことはありません。が、女房はまじめに塗ってます。いいのかなと気になってはいても、たいした根拠もないし、塗らないとシミが増えるとか皮膚ガンになってもいいのね、とか絡まれても困るし。
この論文では一般的な日焼け止めの成分であるavobenzoneを例にして、どれくらい血中に取り込まれるかを調べてます。これは血中濃度が0.5ng/mLよりも低ければ生物学的影響はないとFDAはしていますが、言い換えれば、それ以上だと、発がん性や催奇性などの毒性検査が必要になるとされています。24人で調べたところ、血中での最高値が4ng/mLで、安全とされるレベルを一桁超えてます。
avobenzoneは紫外線を吸収して分解されることで、皮膚が紫外線に曝されることを防ぎます。だけど、同時に、構造からわかるように、皮膚に浸透して細胞内に入り、血中まで容易に到達するでしょう。この手の紫外線吸収剤はどれも似た性質があるようで、Oxybenzoneはもちろんですが、OctinoxateやHomosalateも、名前からなかなかぴんときませんが、構造を見ると同じような浸透性を持つだろうことくらいは、化学者ではない私でもわかります。
たぶん、紫外線吸収剤は芳香環を使うのが簡単なので、水に溶けにくく油に溶けやすい化合物が使われているのでしょう。いずれも、もちろんそんなに毒性が高いものではないですが、日焼け止めクリームで使う量は大量です。飲み薬は厳しく摂取量が管理されてますが、塗り薬はほぼ放置されてます。紫外線吸収剤は取り込まれるとどれくらいの早さで代謝されて放出されるものなのか。だけど、その前には血中に入って全身を回って肝臓に入らねばなりません。
おそらく紫外線散乱剤である二酸化チタンや酸化亜鉛のナノパーティクルの方がまだ安全でしょう。これらナノパーティクルの安全性がどうかわからないとは言われていますが、ただ、これらが蓄積することはあんまりないかな?少なくとも上に書いた吸収剤よりは体内吸収がかなり低そう。
皮膚ガンのリスクか、日焼け止め薬の毒性か、どちらを取るか。一番安全なのは中東のように布をかぶることだとは思います。宗教は人が生きるための知恵でした。
2019年4月29日月曜日
デカフェのコーヒーはどうやって作られているか
ポスドクしていたモントリオールやボストンではデカフェのコーヒーはよく飲まれていて、茶店やフードコートでも普通に選択できました。ただ、どうやってコーヒーからカフェインだけを除けるんだろうと疑問に思って聞いたところ、トルエンだよ、といわれて、だから絶対飲まない人がいるんだ、と言われました。トルエンはかなり有害なので、まさかとは思ってましたが、じゃあ、なんだろうと調べたら、液化炭酸ガスで除いてる、という話をどこかで読んで、ならば大丈夫かとも思って、時々飲んだことあります。今も、ラボにはおいてあります。でもコーヒーに比べてあまりうまいものではないですが。
Gigazineに
デカフェのコーヒーはどのように作られているのか?
という記事が出ていたので、興味津々で読みました。これは
How Is Decaf Coffee Made?
という記事の概要翻訳でした。 これによると、当初はベンゼン(ベンジンかと思ったが、ほんとにbenzeneらしい)で抽出していたが、発がん物質なので、今ではジクロロメタンなどに切り替えられてる、と・・・
私の聞いてたトルエンというのがベンゼンの間違いだったことはわかりますが、ジクロロメタン??こちらも有害性では負けません。妙だなと元記事を読むと、ジクロロメタンと酢酸エチルで抽出しており、ジクロロメタンは毒性があり神経にダメージを与えるという懸念があって、FDAが調べたところ、残留する濃度では健康への被害は出ないとされたとのこと。
ちゃんと訳せよ、と思いますが。元記事では、もう一つの方法、私が理解していた液化炭酸ガスを使う方法もあることが書かれていて、Gigagineでも訳されてますが、元記事ではもう一言、こちらもwidely usedと書いてあります。
あと一つ、元記事を読んでも理解できない謎な方法が書いてあります。これはわからないのですが、ともかく、元記事にある一番大事なメッセージは、今飲まれているデカフェがどのようにして作られたものかは消費者は知る事ができない、ということ、これがGigagineでは書かれてない。スポンサーかもしれないメーカーへの忖度なのかな。
ここでConsumer Reportsというが引かれていて、読んでみました。どうやら、これがほんとの元記事らしい。ここをリンクするだけでいいだろうがと思いましたが。ここではちょっとだけ詳しく、この謎の方法の意味も、水で抽出する方法で、かなり手間がかかるということ、酢酸エチルとジクロロメタンを使う方法も用いられていることがわかったくらいで、大体同じ。
ともかくやはり、デカフェは碌でもないものの可能性があるかな。液化炭酸ガスは、単なる炭酸ガスなので成分としては安全で、うちのラボでは電子顕微鏡試料の調製に使ってますが、これを大量にやろうとすると、高圧で行う必要があるので、コストがかかりそう。やるかな?危険だし。
ジクロロメタンが使われてたにしても、抽出に使われた薬品の残留物の量は基準にあってはいるのでしょうが、手法はなんで公開されてないの?いずれにしてもデカフェはやめた方が良さそう。ラボにおいてるのも棄てることにしよう。
Gigazineに
デカフェのコーヒーはどのように作られているのか?
という記事が出ていたので、興味津々で読みました。これは
How Is Decaf Coffee Made?
という記事の概要翻訳でした。 これによると、当初はベンゼン(ベンジンかと思ったが、ほんとにbenzeneらしい)で抽出していたが、発がん物質なので、今ではジクロロメタンなどに切り替えられてる、と・・・
私の聞いてたトルエンというのがベンゼンの間違いだったことはわかりますが、ジクロロメタン??こちらも有害性では負けません。妙だなと元記事を読むと、ジクロロメタンと酢酸エチルで抽出しており、ジクロロメタンは毒性があり神経にダメージを与えるという懸念があって、FDAが調べたところ、残留する濃度では健康への被害は出ないとされたとのこと。
ちゃんと訳せよ、と思いますが。元記事では、もう一つの方法、私が理解していた液化炭酸ガスを使う方法もあることが書かれていて、Gigagineでも訳されてますが、元記事ではもう一言、こちらもwidely usedと書いてあります。
あと一つ、元記事を読んでも理解できない謎な方法が書いてあります。これはわからないのですが、ともかく、元記事にある一番大事なメッセージは、今飲まれているデカフェがどのようにして作られたものかは消費者は知る事ができない、ということ、これがGigagineでは書かれてない。スポンサーかもしれないメーカーへの忖度なのかな。
ここでConsumer Reportsというが引かれていて、読んでみました。どうやら、これがほんとの元記事らしい。ここをリンクするだけでいいだろうがと思いましたが。ここではちょっとだけ詳しく、この謎の方法の意味も、水で抽出する方法で、かなり手間がかかるということ、酢酸エチルとジクロロメタンを使う方法も用いられていることがわかったくらいで、大体同じ。
ともかくやはり、デカフェは碌でもないものの可能性があるかな。液化炭酸ガスは、単なる炭酸ガスなので成分としては安全で、うちのラボでは電子顕微鏡試料の調製に使ってますが、これを大量にやろうとすると、高圧で行う必要があるので、コストがかかりそう。やるかな?危険だし。
ジクロロメタンが使われてたにしても、抽出に使われた薬品の残留物の量は基準にあってはいるのでしょうが、手法はなんで公開されてないの?いずれにしてもデカフェはやめた方が良さそう。ラボにおいてるのも棄てることにしよう。
2019年4月26日金曜日
レッツノートCF-J10をWindows10にする
今はノートはVaioを使ってますが、2-3年前まで、レッツノートのCF-J10をつかってました。ちいさくてとても使いやすく頑丈でよいサブノートでした。ただこれ、Windows10が出たときに、パナソニックは早々に更新対象にはならないことを宣言。新しいVaioに惹かれたせいもあるというのはさておき、さっさとVaioに乗り換えたので、CF-J10は棚の上で埃をかぶる(比喩)ことになってました。
だけど、もう一台、小さめのPCがほしくなって、新しいPCを買う気もせず、ふとこれを思い出し、そもそもほんとにWindows10がいれられないものかという気になりました。今なら、誰か人柱が出ているはず。CF-J10はとっても良い機種で、Windows7でも、今でも操作性は見劣りしません。ただ、今の最新Windows7に更新すると、再起動を繰り返してしまい、なぜか使えなくなってます。やむなく、セーフモードで過去の状態を復元させて、Windows10のインストールを試みることにしました。
当時、実際にどこまでやったのか記憶にないのですが、性分からして、 とにかく新しいOSを入れようとはしたはず。だけど完了できなくて、なるほどダメなのね、とやめていたのでしょう。WindowsUpdateを開くとWindows10への更新がでていました。そこで進めたところ、
Intel(R) Dynamic Power Performance Management
がWindows10とぶつかるのでアンインストールされないかぎり進めない、という表示。これがどうやってもできません。
そこでネットを調べたところ、この方
がレッツノートCF-S9でもWindows10が入れられました、という記事を書いておられました。あきらかに素人ではないお方。インストールの問題は全く同じで、上記のインテルのドライバが邪魔。この方は、それをWIndows8への更新に際してパナが出したドライバetm_6071084.exe をあてることで、同じように解決できることを見つけられてます。
S9でできたのならJ10でもできるだろうと、そこで素直に従い、さらに再起動後にもうワンステップの謎の操作を書いてあるとおりにやったところ、あっさりWindows10への更新がはじまりました。正常に何度も再起動を繰り返して、しばらくすると、なんのことなく、今では見慣れたWindows10の画面が出てきました。こんなやり方、素人には思いつきもしません。
Windows10の起動に際して認証も何もなかったので、おそらく無料で更新できた当時に更新のライセンスだけ取っていたようです。褒めてあげよう。
このWindows10になったCF-J10、まったく何の問題もありません。もちろん、前のソフトもそのまま使えます。Windows7よりも速くなって、しかも、OSがコンパクトになったせいか、ファイル整理のやり方が変わったのか、空きが増えました。とっても快適。 ディスプレイサイズが小さいこととバッテリーが長時間は持たなくなってること以外、Vaioと比べて何も見劣りしませんし、むしろさくさく度は上。
それにしても、なぜにパナソニックはこれをWindows10更新の適応外にしたのでしょう。新しいのを買ってくれ、てこと?でも、今どき、同じ機種にアップグレードする人の方が少ないだろうに。とくにレッツノートは高いし。
もう、長らくいわれているように、そろそろパソコンは機能的に飽和してきました。CF-J10は震災直後に買ったもので、8年前でしたが、すでにハード的にはほぼ十分なものになってきてるということでしょう。このときにすでにSSDにしていたのも正解でした。
追記
上のようにWIndos10のCF-J10にしてから5ヶ月が経ちますが、家で女房の愛用機になってます。一つだけ気になったのは温度。CPUの温度は常に80度越で、いつもファンが回っているため、膝の上だと夏は暑い。やはりWindos10はCPUには負荷をかけるのかな。だからパナはこれを入れられないようにしたとか?
そこで、電源やシステムの詳細設定で、なるべく熱を出さないように、つまりパフォーマンスを落として節電モードで使ってます。それでも速さは全然ストレスなし。SSDにしてたせいもあって。それでもCPUは80度をあまりきらないですが、新しいのを買う気もしないので、壊れるまで使いつぶす予定です。
しばらくして追記2020/06/10
このいつもCPUに負荷がかかってるようだという問題は、少なくとも2020MayのOS更新でなくなりました。今ではブラウザを見てるだけでは数% くらいしかCPUを使ってません。この辺は、次のブログサイトに書いてます。
https://ketupa-peeri.blogspot.com/2020/05/let-note-cf-j10windows10.html
だけど、もう一台、小さめのPCがほしくなって、新しいPCを買う気もせず、ふとこれを思い出し、そもそもほんとにWindows10がいれられないものかという気になりました。今なら、誰か人柱が出ているはず。CF-J10はとっても良い機種で、Windows7でも、今でも操作性は見劣りしません。ただ、今の最新Windows7に更新すると、再起動を繰り返してしまい、なぜか使えなくなってます。やむなく、セーフモードで過去の状態を復元させて、Windows10のインストールを試みることにしました。
当時、実際にどこまでやったのか記憶にないのですが、性分からして、 とにかく新しいOSを入れようとはしたはず。だけど完了できなくて、なるほどダメなのね、とやめていたのでしょう。WindowsUpdateを開くとWindows10への更新がでていました。そこで進めたところ、
Intel(R) Dynamic Power Performance Management
がWindows10とぶつかるのでアンインストールされないかぎり進めない、という表示。これがどうやってもできません。
そこでネットを調べたところ、この方
がレッツノートCF-S9でもWindows10が入れられました、という記事を書いておられました。あきらかに素人ではないお方。インストールの問題は全く同じで、上記のインテルのドライバが邪魔。この方は、それをWIndows8への更新に際してパナが出したドライバetm_6071084.exe をあてることで、同じように解決できることを見つけられてます。
S9でできたのならJ10でもできるだろうと、そこで素直に従い、さらに再起動後にもうワンステップの謎の操作を書いてあるとおりにやったところ、あっさりWindows10への更新がはじまりました。正常に何度も再起動を繰り返して、しばらくすると、なんのことなく、今では見慣れたWindows10の画面が出てきました。こんなやり方、素人には思いつきもしません。
このWindows10になったCF-J10、まったく何の問題もありません。もちろん、前のソフトもそのまま使えます。Windows7よりも速くなって、しかも、OSがコンパクトになったせいか、ファイル整理のやり方が変わったのか、空きが増えました。とっても快適。 ディスプレイサイズが小さいこととバッテリーが長時間は持たなくなってること以外、Vaioと比べて何も見劣りしませんし、むしろさくさく度は上。
それにしても、なぜにパナソニックはこれをWindows10更新の適応外にしたのでしょう。新しいのを買ってくれ、てこと?でも、今どき、同じ機種にアップグレードする人の方が少ないだろうに。とくにレッツノートは高いし。
もう、長らくいわれているように、そろそろパソコンは機能的に飽和してきました。CF-J10は震災直後に買ったもので、8年前でしたが、すでにハード的にはほぼ十分なものになってきてるということでしょう。このときにすでにSSDにしていたのも正解でした。
追記
上のようにWIndos10のCF-J10にしてから5ヶ月が経ちますが、家で女房の愛用機になってます。一つだけ気になったのは温度。CPUの温度は常に80度越で、いつもファンが回っているため、膝の上だと夏は暑い。やはりWindos10はCPUには負荷をかけるのかな。だからパナはこれを入れられないようにしたとか?
そこで、電源やシステムの詳細設定で、なるべく熱を出さないように、つまりパフォーマンスを落として節電モードで使ってます。それでも速さは全然ストレスなし。SSDにしてたせいもあって。それでもCPUは80度をあまりきらないですが、新しいのを買う気もしないので、壊れるまで使いつぶす予定です。
しばらくして追記2020/06/10
このいつもCPUに負荷がかかってるようだという問題は、少なくとも2020MayのOS更新でなくなりました。今ではブラウザを見てるだけでは数% くらいしかCPUを使ってません。この辺は、次のブログサイトに書いてます。
https://ketupa-peeri.blogspot.com/2020/05/let-note-cf-j10windows10.html
2019年4月12日金曜日
2019年3月27日水曜日
再び、研究棟の一室で
このNHKの番組、「そして、研究棟の一室で~九州大学 ある研究者の死」、見るのは3度目。同じ番組を2度見するのは好きじゃなく、つけたらたまたま放映されてたわけですが、それでもチャネルを替えることなく、最後まで見てしまいました。
前も書いた、この事件。憲法を専攻して研究を続けて、非常勤講師などで糊口をしのいできた一人の男性が、九大の建て壊しになる文系キャンパスの一室に火を放って自らの命に終止符を打ちました。番組で取り上げたのは、彼が通っていた整骨院とラーメン屋の話。それと友達と先輩の話。
こういう人生は無理だ、そう言っても、その言葉は、手から砂がすり落ちるようです。
だけど、やっぱり言わないといけない。研究者の人生が難しいとしたら、それはあまりに自由だからでしょう。サラリーマンと違って、研究者は日々の研究の中で選択を迫られます。これを、選べる、と思うか、選ばないといけない、と思うか。わずかな選択のミスが指数関数的に人生の大きな道筋を変えます。それはプレッシャーなのか、自由なのか。
すくなくとも、そこで一人で悩む必要はないのです。誰もが違う世界に生きているわけで、ほかの人生も周りが教えてあげることはできる。もちろん大学でも、あの番組で、言葉をかけなくて後悔している、と語ってくれた優しいラーメン店主でもよかった。本来、学問は、世界を切り開くためのもの。段々狭くなる世界に住むためのものではないんだよ、と。誰か、言ってくれなかったものか。
前も書いた、この事件。憲法を専攻して研究を続けて、非常勤講師などで糊口をしのいできた一人の男性が、九大の建て壊しになる文系キャンパスの一室に火を放って自らの命に終止符を打ちました。番組で取り上げたのは、彼が通っていた整骨院とラーメン屋の話。それと友達と先輩の話。
こういう人生は無理だ、そう言っても、その言葉は、手から砂がすり落ちるようです。
だけど、やっぱり言わないといけない。研究者の人生が難しいとしたら、それはあまりに自由だからでしょう。サラリーマンと違って、研究者は日々の研究の中で選択を迫られます。これを、選べる、と思うか、選ばないといけない、と思うか。わずかな選択のミスが指数関数的に人生の大きな道筋を変えます。それはプレッシャーなのか、自由なのか。
すくなくとも、そこで一人で悩む必要はないのです。誰もが違う世界に生きているわけで、ほかの人生も周りが教えてあげることはできる。もちろん大学でも、あの番組で、言葉をかけなくて後悔している、と語ってくれた優しいラーメン店主でもよかった。本来、学問は、世界を切り開くためのもの。段々狭くなる世界に住むためのものではないんだよ、と。誰か、言ってくれなかったものか。
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