前も書いた、この事件。憲法を専攻して研究を続けて、非常勤講師などで糊口をしのいできた一人の男性が、九大の建て壊しになる文系キャンパスの一室に火を放って自らの命に終止符を打ちました。番組で取り上げたのは、彼が通っていた整骨院とラーメン屋の話。それと友達と先輩の話。
こういう人生は無理だ、そう言っても、その言葉は、手から砂がすり落ちるようです。
だけど、やっぱり言わないといけない。研究者の人生が難しいとしたら、それはあまりに自由だからでしょう。サラリーマンと違って、研究者は日々の研究の中で選択を迫られます。これを、選べる、と思うか、選ばないといけない、と思うか。わずかな選択のミスが指数関数的に人生の大きな道筋を変えます。それはプレッシャーなのか、自由なのか。
すくなくとも、そこで一人で悩む必要はないのです。誰もが違う世界に生きているわけで、ほかの人生も周りが教えてあげることはできる。もちろん大学でも、あの番組で、言葉をかけなくて後悔している、と語ってくれた優しいラーメン店主でもよかった。本来、学問は、世界を切り開くためのもの。段々狭くなる世界に住むためのものではないんだよ、と。誰か、言ってくれなかったものか。