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2015年12月20日日曜日

ストーナー

ジョン・ウィリアムズの「ストーナー」、読了。床に入り寝付くまでの時間、このところ毎晩読んでましたが、ミズーリ大で古典を教えてる気分でした。作品社という聞いたこともない出版社の本。このまえ東京に行ったとき、丸善でアメリカ文学のところに山積みされていて、パラパラめくって即購入。

珍しい経緯の小説です。この作者はストーナーと同じ大学の古典の先生で、出版は50年くらい前。プロフェッショナルな作家ではないようです。出版当時はほとんど話題になることも無く忘れ去られていたそうですが、今世紀に入ってなぜか再版されたとき、ヨーロッパでよくあるキャッチコピーとともに随分話題になったとか。確かにアメリカで受けそうな本ではないです。日本では、翻訳大賞を受けたと、帯に書いてあったような気がします。

珍しく他の本に浮気することもなく、これだけに専念して、毎晩、寝るときにストーナーになってました。とにかく面白かったのは間違いありません。貧しい農家に生まれたストーナーが古典文学の世界に惹かれて学問の道に進み、大学で教えて死ぬまでの、特に何の変哲もない生涯が描かれています。何が面白いのかわからないですが、何か、惹きつけるものがあります。ただ、ちょっと引っかかったのは、むしろこの翻訳。この翻訳者のことが書かれた後書きを読むまでは、翻訳の世界にはまだそれほど経験のない、豊富な語彙を持ち文学を志す若者が気負って訳したのかと思っていました。が、なんと高名な翻訳者が亡くなる直前まで手がけていた作品だそうです。

そういうことを知るとなかなか書きにくいのですが、読んでいて、遙か昔に読んだトム・ウルフの「天使よ 故郷を見よ」を思い出しました。懐かしい本ですが、翻訳が妙に表に出てきて、違うだろう、という印象を持った記憶があります。同じように、これにもなんだこの訳はというところが結構あります。たとえば、学生だった彼が教授から大学に残るように薦められるときの台詞が「真摯なる文学の徒は、みずからの才が士の理法を読み解くには向かぬことを必ずや覚るものではないだろうか」。鼻白みます。原文はどうなってるんだろう。とても豊かな言葉を持っておられることはわかりますが、「「どういう意味です?」自分の声におののきの棘を感じる」、等、ちょっと時代がかってないか。

とはいえ、「遠い哀れみと、及び腰の友愛と、おなじみの敬意がわき起こってくる。そして、気鬱な悲しみ。」、など、確かに美しい文章にも多く出会います。どうも、翻訳者の強い思い入れが、このようなかなり気合いの入った文章になったのかもしれません。後書きはこの翻訳者のお弟子さんによるもので、彼女によるとこの小説にはストーナーの悲しみが底流にある、とのことでしたが(確か)、う~ん、そうかなあ。

作者は、ストーナーのことを、文学の世界を見いだした幸せな人間として描いてるように、私には思えました。奥さんと死の直前までうまく行かなかったり、学内抗争で昇進が妨げられたりしてはいても、そういうのは普通にあること。なにより、彼は貧しい農家の息子として生まれ、父親の期待を受けて入った大学で、少々道を踏み外してたまたま古典の世界を見いだして、のめり込み、死の前日まで研究を積み重ねることができ、彼を慕う学生たちがいたわけです。作者はむしろ大学人としての共感を込めて、ほとんど肯定的に描いたのではないのかな。

翻訳がどうも先に立って、なかなか微妙に、絶賛するわけにはいかないのではないですが、ともかく印象深い小説でした。


2015年12月5日土曜日

ブーレとドゥーブル、シンフォニエッタ

意外な人からCDを貸してもらってそのままかけ流しで論文書いてると、バッハの無伴奏バイオリンパルティータ第一番ロ短調のブーレとドゥーブル、サラバンドとドゥーブルに遭遇。思えば、これが最初のバッハでした。大学に入りたての頃、ジャズばかり聴いてました。ピアノは弾けず、ギターを弾いてたのですが、本屋さんで楽譜を手にして眺めたら、単音だけだったので、これなら簡単だろうと買ったのがきっかけ。これほどいい加減な理由もないもので。

夜に風呂から上がってギター用にアレンジされたパルティータ集の適当なところを広げて、ギターで音を出してみると、わずか2小節、その音の並びが衝撃。こんなパッセージは、コルトレーンも出せない(これが当時の最大の賛辞)、8分音符が並んでるだけなのに、こんなに胸ふるわせるような音には初めて出会いました。しばらく、寝ても起きても、頭の中はこればかり。

人の演奏するこの曲を最初に聴いたときのことは、あまり覚えていません。彼女の部屋で聞いたことは覚えているけど、はたして誰の演奏だったのか。誰のを聴いても、ギターで弾いて耳にした音だけが、きこえてました。

そのうち、バッハを次々に聴き出すようになり、特にヘルムート・ヴァルヒャのクラビコードによるバッハを、ほぼ毎月、買ってました。そんななかで出会った最高の旋律は、ヴァルヒャの演奏する、パルティータ第2番のシンフォニエッタ。

その頃、18、19歳。地獄を素足で歩いてるようなものです。音楽はそのために必須でした。だから、今でも、学生たちを見て、なんとかして越えろよ、とつい思ってしまうわけですが。

ヴァルヒャのバッハは、どんな宗教よりも救いでした。特にこの、シンフォニエッタ、序章の和声の混乱の中から抜け出してくる、一筋の透明な音の流れ、それがまるで鳥のようにたわむれ、とび上がり、空で遊び舞い降りる様。音楽が自らを引っ張って次から次へと惜しげもなく姿をさらしていく、限りなく細く、だけど決して途切れることのない旋律。息をのみました。この提示部を終えて対位法に入ると、それらは並び、確かめ合い、追いかけあいます。これは2声の単純なフーガ、だけど、その2つの音の流れだけで、広大な世界が広がっています。この2つの音で挟まれた世界、それがまるで車窓の景色のようにすぎてゆき、私はそれを見つめてる、そんなイメージをいつも抱いていました。

そう、こんな世界がある。全く知らなかった世界が、この世にあることを知りました。何があっても、こんな世界があるからなんとかなるかもしれない、そんな気がしました。バス停で雨の降る中、サークルを終えて、今日もつまらなかったとひとりで立っているとき、朝、目を覚ますと昨日のことや、誰彼の言ったことが突き刺さったことが瞬時に脳裏に浮かんだとき、そのバッハの音の作る世界を思い浮かべたからこそ、何とか次に進むことができたのかもしれない。

付記 ふと思ってネットで調べてみると、やはりみつかりました。この旋律ではじまります。ハ短調です。

どこにでもありそうな音、どうしてこれがこんな世界を作れるのか。

2015年11月28日土曜日

西ロシア

怒濤のような一週間。雪も降り出してきました。荒川洋治の若い頃の詩が良いなと思うのはこんなとき。1975年に発表された詩集『水駅』から。

「西ロシア、クイビシェフ湖。水のおもてには、雪景がふるえながらひたされる。・・・」 

そう、これが詩の言葉。おととい、東京の高架下につながる賑やかな通りを歩いていたとき、ふと、パリやベイルートのテロの映像がかぶって、つい早足になって、なんだか逃げるように北に向かう新幹線に乗り込みました。情けないとは思うものの、これは、自爆テロという、理解を超えた人の行動への、無意識のレスポンスです。

でも人はこうやって、ちょうど若い荒川洋治がロシアの湖の前にたたずんでいたように(実際に旅したのか、地図の上だけだったのか知らないけど)、眺めるときがあります。人は言葉を得て、記録することで、行動を拡張し、生物としての行動の範囲を超え、果てしなくなりました。これ自体は、自らのあり方を突き進める行いで、素晴らしいこと。しかし、世界を破壊することすらできるほどになって、当惑するほどになってきました。行動は生きるための能力だったはずなのに、

もはや行動が目的となり、立ち戻るすべをどこかで忘れ、ひどく混乱してしまい、すくんでしまう。どれだけ混乱しても、消してしまえばいいのだからとささやかれると、それが救いのようにきこえるのか。眺めることを忘れた生物。

再び、荒川洋治。
「ひとつの夜仕事であろうか。目をさました所員は、塗りおえたばかりの地図を再び灯火にひきだす。湖水の青い線の均衡はかすかにこわれ、いくらか肌の色をおびている。・・・」

2015年11月22日日曜日

詩を書く意味

この前に書いたジョアンナ・ラコスの本には、サリンジャーが実際に何度か登場します。ほとんどは、電話口で、ボスはいるか、という呼び出しだけど、次第にラコスにも話すようになります。あなたは詩を書くのか、と何度も聞き、大学で文学を専攻し、詩も書いていた彼女がそう答えると、満足したように、そうかそれはいい、と答える。しばらくして電話が来ると、また何度も同じようなやりとりが繰り返されて。

サリンジャーも詩集を出してました。邦訳は読んだことがないですが(どこかで目にしたような気もするけど)、確かに、そうかもしれない。

福島に来て間もない頃、鎌倉に住んでいた高齢の詩人に会いに行ったことがあります。全くミーハー以外の何物でもなく、今思うとあんな高名な詩人によくもまあ、と冷や汗が出ますが。いやな顔ひとつせずどころか、海岸に連れて行ってくれて、食事までおごってもらって、一体何をしに行ったのやら。

とても好きな詩人でした。谷川俊太郎が「20億光年の孤独」で華々しく登場して、鮎川信夫の詩が敗戦前後の社会の空気を言葉で表現することで人々に生きることの希望を抱かせていた頃、もう一人、失われた時代の景色を実に的確に描いて、現代詩の3本柱ともくされたのが平林敏彦でした。現代詩のもっとも実り豊かな一瞬でした。

だけど、彼は2つの輝くような詩集を出した後、詩をまったく発表しなくなりました。それから34年が経ち、発表された詩集が「水辺の春」。そしてそれから、溢れるように詩集を発表し続けます。すでの90を超えてますが、毎年のように詩集を出し、2-3年前には、鮎川らが活躍していた戦後詩の時代を記録した本まで出して、毎年のように賞をもらっています。奇跡としか思えない活動です。

なぜ会いに行ったのか、書くのも恥ずかしいけど、これだけの言葉を持ちながら、なぜ詩を止めたのか、知りたかった、それだけ。たまたま、知り合いのデザイナーが彼と本を作っていたのでお願いしました。彼によると、それはごく普通のことらしい。人は詩を書かなくなるもの、詩を再び書き出すことはまずないけど、と、彼は話してくれました。

では何が彼を書き出すようにしたかについて、彼は何も言いませんでしたし、聞きもしませんでした。それは会ったらすぐにわかりました。素敵な奥さんです。これもまたごく普通のことで、彼女が彼に詩を書く意味を与えているのでしょう。だから、水辺の春、なのです。これも高邁な文学的な理由ではないけど、人を駆り立てるのはそういうこと。

あなたは詩を書くのか、とは、たぶん、そういうことなのです。日々において詩を書く意味を持っているのか、ということ。先日、横浜に住んでおられる詩人から、詩集を戴きました。彼もまた、長く詩をやめておられた方。戴くのが申し訳ないくらい、とても素敵な詩集です。

・・・・
光る海面にそっと身を滑り込ませ
ひと夜だけ許された姿で
懐かしい仲間に会いにいく

海から追放された昔日を知らず
追憶すれば人という名によって
神に似ようとした罪の形にたどりつく

心は震えるはずのないものに震え
巨大なものを見ようとすればするほど
わずかしか見えなかった目

忌まれながらの燭台を手に
彷徨い続けた異邦も滅びた上の匂い
涙は一体何のためにあったのか
・・・

(布川鴇 「水底の挿話」より)

2015年10月30日金曜日

サリンジャーと過ごした日々

大学の帰り、週末に、そのまま帰るのが惜しく、立ち寄った、深夜もやってる書店で見つけた一冊、ジョアンナ・ラコフという、聞いたことも無い作家。何とも平凡な題名に、よくある薄いサリンジャー本かとは思いつつも、つい手に取ってしまう。パラパラめくると、一瞬、惹かれるものがあり、即購入、ではなく、家に着いて、ちょっとネットで調べてからアマゾンで購入。

聞いたことも無いのは当然で、これが邦訳初、小説はいくつかの賞をもらっているらしいが、まだ訳もない。忙しくて、まったくたびれ果てた一週間だったけど、寝る前限定で読んでるうちに読了。こんなとき、良い本に巡り会えて良かった。がさがさした本だと、悪い夢を見ます。

優れた書き手です。昔、栗本薫が若くて素敵なお話を書いていた頃、『私は書かなくてはならない、書くために生まれてきたんだ』、ということをはじめて自覚したときの記憶を、いきいきと描いた本がありました。この本も、どこかそんなところがあります。

大学を出て、アシスタントで働いた一年間、文学を専攻しつつもサリンジャーなど読んだこともなかった彼女が、全くの偶然でサリンジャーを担当する出版エージェンシーに勤めだし、彼への膨大で熱烈なファンレターをひたすら断る仕事をする中で、ついには御本人と電話で話し、紹介される羽目になり、フラニーとズーイに目覚め、シーモアの苦しみに涙するようになる。

一年が経つ頃、「わたしはもう女子学生ではない」、と格子柄のスカートとローファーを手放し、世の中はパソコンで原稿を書くのが普通になりつつある中、IBMの電動タイプライターが主役だった出版エージェンシーを卒業する。そんな、奇跡の一年が、とても丁寧に描かれています。真冬のマンハッタン、セントラルパークの池のカモたち、ウィリアムズバーグ橋をわたる車の音、いつも満員のカフェの窓際の席、電話機につないでパソコンを飛ばしてくれるモデムのこと。なんて賑やかでゆたかな世界。

「ここに描かれたひとつの世界は喪に服し、回復する日は決して訪れない」

ある日、ふと彼女に、彼のことを「わかる」瞬間が来ます。思わず空を見上げたほど、寂しく、つけ抜けるよう。だから、人々は、多くの手紙をサリンジャーに一生懸命書いて、フラニーは妊娠したのだろうか、シーモアは、と聞いてくる、だけど、それはその中にしかなく、そこに封じ込められたもの、その苦しみに、彼は自らを閉ざし、ニューヨークから離れざるをえなかった。

この翻訳も素晴らしい。井上里という若い人で、ラコフの色彩に満ちた伸びやかな感受性にぴったりな文体で仕上げています。強い共感を持って進めた翻訳というのがずんずん伝わってきます。例えばこんなところ、

「 わたしは目に涙をにじませながら、弧を描いて池に架かる小さな橋へ歩いていった。橋の上に立ち、顔をあげる。五番街に林立する大きなビル群がみえ、向こうへ続いていく森がみえ、動物園へ続く小道がみえた。その動物園は、ホールデンがフィーバーを連れていった場所であり、 わたしが、魚をもらおうと吠えるアザラシをみた場所でもあった。アザラシが吠えたはずみに、水槽のふちから水しぶきがあがったことを覚えている。ふいに北のほうから、水の揺れる音がはっきりときこえてきた。カモたちだ。 ・・・・・(中略)・・・ カモたちは池をまわりながら、昆虫や小魚がみつからないか、サンドイッチのかけらがーこの寒空の下でピクニックをしにきた元気な人たちが残していったものだー落ちていないか探していた。カモたちは美しかった。美しく、愛らしく、王者のような気品をたたえて、黒く澱んだ池を滑るように泳いだ。」 

いつまでも書き写したいくらい。素敵な文章と翻訳。ほんとうに幸せな出会い。

滅多にないけど、こんな本に出会うことがあります。こういうのは、やはり、夜中まで開けてくれる、物理本屋のおかげ。少しは売り上げに貢献しなければ。

2015年9月26日土曜日

コンピテントセル

研究のことはここに書かないようにしていますが、結構、無駄な時間を費やしたので備忘録。

市販のshRNAベクターではどうもsingle cell analysisに向かないし、そもそも効きも悪いので、いろいろと盛り込んで新しいベクターを作りました。これはなかなかのでき。単一細胞解析が容易で、複数個を同時にかなり良くつぶせます。かなりの数を調べないといけないことがあり2本鎖オリゴを一杯作ったのですが、問題は、これを組み込むところ。これらはどうしても立派なinverted repeatなので、配列によって絶対に入らないものが結構でてます。

たぶんこれは細胞がそういう配列を嫌ってる訳なので、 これはコンピテントセルの遺伝型を変えるしかない、と、どういうのが売られてるかを調べたところ、まず、SURE2、Stabl3は既にうちにあって、これらは効果なし。また、recAを含めて余計な遺伝子を削ってあるMDS42ΔrecAという、合成genomicsで作られた大腸菌も、ずっと以前、試しましたが、そもそも普通のベクターのtransformationで欠損を持つ妙なものが取れてくるという情けなさで、これは試すまでも無し。

他を調べると、NEBのStable Competent E. coliというのが、stbl3との比較もあってよさげ。そのほかに、SigmaからSteadyというコンピと、他の会社から、Enduraというコンピが売られてました。この2つ、stbl3に代わる、とあるけど、そのデータは示されておらず、?と思ってよく見ると、なんとこれはStble3と同じgenotype。サイトをよく読むとそのように書いてありましたが、勘違いしやすい。これが狙いか。Stble3は、これまで試した中でよかったという印象がありません。SURE2は確かに良い場合がありましたが。

genotypeは、以下の通りです。上の3つは全く同じ。Enduraは要するに安い、というのが売りらしい。Sigmaは6万もするし?
Endura
recA13 supE44 ara-14 galK2 lacY1 proA2 rpsL20(StrR) xyl-5 λ– leu mtl-1 F– mcrB mrr hsdS20(rB–, mB–)

Sigma Steady
recA13 supE44 ara-14 galK2 lacY1 proA2 rpsL20(StrR) xyl-5 λ– leu mtl-1 F– mcrB mrr hsdS20(rB–, mB–) -

Stbl3
 F– mcrB mrr hsdS20 (rB–, mB–) recA13 supE44 ara-14 galK2 lacY1 proA2 rpsL20 (StrR ) xyl-5 λ– leu mtl-1

NEB Stable
 F' proA+B+ lacIq ∆(lacZ)M15 zzf::Tn10 (TetR) ∆(ara-leu) 7697 araD139 fhuA ∆lacX74 galK16 galE15 e14-  Φ80dlacZ∆M15 recA1 relA1 endA1 nupG rpsL (StrR) rph spoT1 ∆(mrr-hsdRMS-mcrBC)

Sure2
SURE 2 株:e14– (McrA–)△(mcrCB-hsdSMR-mrr)171 endA1 supE44 thi-1 gyrA96 relA1 lac recB recJ sbcC umuC::Tn5 (Kanr) uvrC [F'proAB lacIqZ△M15 Tn10 (Tetr) Amy Camr]

他にみつけたAirBrownのTransforMax™ EPI300
F- mcrA Δ(mrr-hsdRMS-mcrBC) φ80dlacZΔM15 ΔlacX74 recA1 endA1 araD139 Δ(ara, leu)7697 galU galK λ- rpsL nupG trfA

比較のために
XLIBlue
recA1 endA1 gyrA96 thi-1 hsdR17 supE44 relA1 lac [F’proAB laclqZΔM15 Tn10 (Tetr)]

NEBのはSURE2と似てるけど、recB,recJではなくrecA1?なんだかレトロで、これで?という気はするけど、NEBだから、データを信じて、実感ではStbl3~SURE2なので、Stble3よりも良いのならば、試してみる価値はあるか、というところで、早速購入して使ったところ、これまでどのコンピでも全く生えなかった2本鎖オリゴを入れたものが、良い感じで沢山生えてます。さて配列チェック、どうなるか。

>>結果、効率は高いですが、妙な欠落がありました。やはり不安定な感じで、これでふやすのは危なそう。一応、一つは取れましたが、いつものコンピに入れ直して増やしました。 ボツ・・ やはりSURE2か。


 ずっとあとの後記
Stbl4というエレポ用のコンピが出ていたのでケミカル用に作り直して使ってみました。これは
mcrA Δ(mcrBC-hsdRMS-mrr) recA1 endA1 gyrA96 gal-thi-1 supE44 λ-relA1 Δ(lac-proAB)/F' proAB+lacIqZΔM15 Tn10 (TetR)

Stbl3よりは、SURE2と似てるのかなあ。同じではないですが。SURE2はKanプレートでは使えないので、そういうときに使ってますが、メーカーが言うように、確かにこのコンピは、他のでは増えてくれないでかいインサートを持つプラスミドを増やしてくれました。ありがたい。

ついでに、他のgenotype、S-Sを作らせることが可能といってるけど、あんまりそんなデータは見たことないのだがと思いつつも、RosettaGamiBは以下の通り。
F– ompT hsdSB (rB– mB–) gal dcm lacY1 ahpC (DE3) gor522::Tn10 trxB pRARE (CamR, KanR, TetR)
レアコドンの補充があってよかったという思いをしたことはないですが。 

>>ここを見る人が多いので、さらに補足
よくわからないのがAmy。多くのCompeで追加されていて、たとえばその昔一世を風靡したXL1-BlueはXL2-Blue、XL10Goldとなり、ひきつがれてますが、この1が2になったのはAmyCamRmつまり、amylaseの追加。ただこれはtransformation efficiencyを上げるためとの説明です。菌の細胞壁を脆くするとか?同じように良く使っているSURE2もSUREにAmyCmRを追加したもののように、遺伝子型だけを見ると見えます。ただ、これはTraD36、episomeの転移に関わる遺伝子周りも変わってるのかもしれません。どのコンピがいいのかは、使ってみないとわからないというのが正直なところです。

>>ついでにメモ
BL21-CodonPlus-RIL 菌株a: E. coli B  
大腸菌であまり使われないArgのためにAGA/AGGを発現するargUと、あとAUA, CUA を補填するようにileY、leuW とい3つのtRNA 遺伝子を入れた汎用菌株で、IPTGによる発現誘導ができる。ただこれらは落ちやすいのでコンピを作るにはクロラムフェニコールでselectionして取り直した方が良い。
F– ompT hsdS(rB– mB–) dcm+ Tetr gal endA Hte [argU ileY leuW Camr]*


2015年7月20日月曜日

Eleni Karaindrou

思い込みが激しいのは有名だが、Eleni Karaindrouが女性とは知らなかった。ギリシャ人の名前には苦労するが、ただ、確かに、このfirst name、どう読んでも女性。この思い込み、たぶん、「永遠と一日」、のジャケットのせい。

シンプルな、どちらかというとミニマルミュージックっぽいけど、たぶん、だいぶ違うし(いずれにしても意味ないが)、とにかくアンゲロブスの映画と一体だった作曲家。女性だったのか。。だからどうというのではないにしても、この意外感は、たぶん、作曲家、ここまで激しく引き込まれる曲を作ってくれた作曲は、これまですべて男性だったからかな。これもまた、なぜだろう?数学と音楽、の共通点?。

そういえば、アンゲロブスの映画は、学生時代に一つ見たきりのような気がする。滅多に映画館にも行かないし、スカパーで特集してたような気もするけど、長いからなあ。音楽ならいつでも流しておけるけど。

ミニマルミュージックとどうちがうのかと、Steve Reichを探して聞いてるうちに、納得。それにしてもたまたまYouTubeで見つけたが、PianoPhase、そのものすごさには絶句。位相をずらすことでここまでの音楽を作るということ。また、演奏する人間が要ると言うことも。フーガすらピアノで弾けない人間にとって、これを一人で演奏できる若者がいるなんて、脳の中を調べてみたい。

ただ、わたしはPhilipGlassのほうが好き。特に、震災の直後、毎朝、震えるような気持ちでUstreamをつけてニュースを聞いてた頃、頭の中ではいつも彼のバイオリンコンチェルトが流れてた。not to be insane、あの山があるから、逃げる必要は無い、そう考えつつも、この音楽は必要だった。あれから、4年。

2015年5月20日水曜日

スーパープレミアムソフトWバニラリッチ

この題名を書くのに二度もサイトを確認してしまった。

地方に住むと良いことも悪いこともあるが、最大の難点は、演劇、舞踏などをみる機会が無いこと。自然、TV、ほとんどEテレ、BSか、スカパーかが唯一の情報源。週末の夜、ボッと眺めていると、とっても妙な動きに、何か惹かれて見入ってしまいました。

なにぶん、研究しか知らない毎日。全く知らなかった、岡田利規。そして彼が主催するチェルフィッチュという、これまた覚えにくく書きにくい、劇団による、このタイトルを題名とした演劇。この単語は二度と書く気がしないですが、この3日間、毎夜見てます。録画をはじめたのが、途中、それもかなり後ろのほうになってしまいましたが。

この動きと、永遠に終わらない若者言葉と、バッハの平均律、これらがコンビニの安っぽい舞台の上で繰り広げられる。この劇団のサイトによると、平均律の通りに、24x2シーンあるらしい。しまった、最初から見ておくのだった。再放送は、この手のはほとんどないんだよなあ・・

平均律の24曲、前奏曲とフーガ合わせて48曲にあわせたシーンがあり、ただこれは、音楽とは違って、やはり演劇で、終曲の一つ手前には妙に胸に迫る場面があります。見ていて、相米慎二の「台風クラブ」の中の、印象的なシーン、少年が一人で、ドアを開けては締めて、「ただいま」「おかえり」を繰り返す、そんな世界を思い出しました。面白いのは、最後の48曲目、これで締めるか、という、これが彼のウィットというよりは、現代の「てれ」なんでしょう。

これは見たい、でも上演は昨年の暮れ。次には韓国に行くらしいが、関東、仙台くらいまでなら、見に行くのだが。どこかでやらないものか。それにしても、一体、どうやればこういう劇が成り立つのか、それに一人一人の、何とも表現しがたい魅力。みずたにさん、と店長、明日も見てしまいそう。

2015年3月16日月曜日

キンドルPWとKOBO H2Oを比べる

散々文句も書いたけど、並べて比較。左がH2O、右はKindlePaperWhite (2013)。
これはバックライトを消してフラッシュを使った撮影。左は単行本で、右は文庫本の「国境の南」。左のは「ジョイスのための長い通夜」という単行本。この本を右のキンドルPWで読もうとするとなかなか目が疲れます。本をpdfに自炊して、余白をChainLPでぎりぎりまでトリミングしてmobi(PW)、またはcbz(H2O)に変換してますが、それでも、キンドルPWでは文庫本限定かな。ブルーバックスでもちょっと厳しい。こうやって並べると、結構、大きさが違うものです。画質はほとんど同じで微妙に色合いが違う程度です。

自炊した本を入れるのは、結局、DropBoxでアカウント名を打ち込みやすいものにしてダウンロードするのがベストのようです。このブラウザ、1980年代くらいにあったような代物で、一度ダウンロードするとブラウザを勝手に終了してしまうので、複数冊を入れるのは面倒ではあります。でも、普通は一冊ずつ入れるからそれほど手間でもないかな。

このブラウザで一度、あちこちのオンラインストレージを試してたとき、途中で全く動かなくなってしまって、焦りました。電源ボタンの長押しも、出荷時に戻す、という隠れボタンもだめで、電源がなくなればいいのかも、と翌朝までほってましたが、だめ。結局、PCにつないで解消しました。たぶん、これは電源が切れていて、前の画面の状態が残ったため、かな。他に転送ではOneDriveも使えはしましたが、さらに動作が遅く、ダウンロードがあまりストレートでないので、メリットは無し。

ともかく、家でまじめに読むときは、H2Oになりそうです。外でもバッグを持ち歩くようなときは良いかな。ポケットに突っ込んで茶店で読書、なんていうときはキンドル。慣れれば、悪くない買い物でした。

2015年1月10日土曜日

聖灰水曜日

最近、気がついたらTSエリオットを読んでいる。夜中に、真っ暗な中でキンドルの薄い光の中で、ずっと昔に生きたこの詩人の格闘が、胸を打つ。

これは死と生のあいだの緊張のひととき
3つの夢が、青い岩のあいだをゆきかう
寂寥の場である
しかし、イチイの木から振りおとされた声が流れさるとき
他のイチイをゆりうごかして、答えを求めよう。
祝福された修道女、清らかな母,泉の精、園の心よ、
われらがいつわりで自分たちをあざけるのを許したもうな
思うて、しかも思わないすべを教え給え、
これらの岩のあいだにあって、しかも
静かにすわるすべをおしえたまえ、
主の御心のなかにわれらの安らぎを
これらの岩の中に座すとも
修道女よ、母よ、
河の精よ、海の心よ、私を手放したもうな

我が叫びを主のもとへとどかしめたまえ。


これは聖灰水曜日、Ash-Wednesdayの最後のところ。The Waste Landの数年後に発表された。


こちらは「東方の博士がした旅」という妙な題名の、だけどこの詩、一番好きかもしれない。

・・・・・
 そのうちに夜があけて、おだやかな谷間にでた、
水気があり、雪がもうなくなっていて、草木のにおいがしていた。そこには
一条の小川が流れ、水車が一つ、あたりの暗やみに、たたくような音をひびかせていた、
 また、
木が三本、雲の低くたれこめた空につったっており、
老いぼれた白い馬が一匹、蹄の音高く、牧場を駆け抜けていった。
やがて、われわれは、居酒屋が一軒あるところに来た。葡萄の葉が、その入り口におおいかぶさっており、
そのあけはなした戸口のところで、男が6人、銀貨をかけてさいころをころがし、
からっぽになった葡萄酒の革袋を足げにしていた。
だがそこでは何のたよりも得られなかった、それでまた旅を続け、夕方
ちょうど良いときに、探していた場所に行きつき、
そこでともかく満足したのだ。

忘れもしない、これはみんな昔のことだ、
それで、もう一度、わしはああした事を繰り返してやってみたいと思う、
だが次のことをかきとめてもらいたいのだ、次の事を、
われわれが、はるばると目指して行ったものは、生誕であったのか、それとも死滅であったのか。
・・・・

書き写しているうちに、涙がこみ上げてくる。そう、これは旅の詩だった。 もちろん、これはイエスのこと、だけど、これはわれわれの、長い旅のこと。