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2018年9月30日日曜日

1973年

1973年のピンボール、たぶん20年ぶりくらいに読みかえしました。若い頃は、これが一番好きでした。ベストな作品でないとはそのときから思ってましたが、これや、その前の風の歌に、漂う叙情と感傷が、やはり若い頃にはぴったりくるものです。たとえば、こんなところ。

 「様々な香りが鼠の鼻先を穏やかに漂い、そして消えていった。様々な夢があり、様々な哀しみがあり、様々な約束があった。結局はみんな消えてしまった。
・・・」

  改めて読んでも、やはりこういう表現はいいし、後年、深みを増すなかで失われていった部分もあるようには思います。何より、今回つよく感じたのは、これの前半は、この当時はやっていた、カート・ヴォネガットの特に、「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」との強い影響というよりは模倣。これは大金持ちの家に生まれ、貧しい人々にお金をばらまこうとするローズウォーターと財産管理しようとする周りの格闘を描いた、ユーモラスで苦く、心に残る物語。よく似たトーンで、なんだか、ハイホー、といいそう。そういえば、彼もどこで良く使ってなかったっけ。

1970年代、嵐が通り過ぎて、ギターを燃やすかわりに、放り投げてどこかにいってしまった時代。だけど、ギターは放り投げて、パスタをゆでてはいても、若者の心の中の嵐はいつの時代でも過ぎ去ることはなく、不安と焦燥がパスタをゆでるお湯の中に映っているだけ。カート・ヴォネガットが確立したスタイルはまさにその空気を的確に反映したものでした。

でも、この作品では後半になるにつれて、次第にその模倣は姿を薄めて、以降の村上春樹の向かう世界が少し現れてきます。新鮮さは風の歌ほどでもなく、完成度や深さは以降の作品ほどあるわけもなく、彼の代表作とはなりえないですが、でも 私はやはりこれは好き。

後年、芥川賞がこれや、最初の「風の歌を聴け」に与えられなかったことで、賞自体が批判されたこともあるようですが、どうでもいいこととはいえ、むしろ芥川賞には違和感があります。風の歌が群像の新人賞を受けたという結果が、一番相応しい。

なにげない、こんな表現がとても好き。彼はこれを掘り進めていった。

「・・・・・・
職人には二人の息子がいたが、どちらも跡は継がずにこの土地を出ていった。そして残された家は誰ひとり近寄るものもないまま廃屋になり、長い年月をかけてゆっくりと朽ち果てていった。そしてそれ以来、この土地では旨い水の出る井戸は得がたいものとなった。
・・・・」