この三文字で、ナ・ユンソンと読むらしい。パリで活躍している韓国人のジャズシンガー。エストニアのラジオ局の番組MMeditatsioonではじめて「Same girl」を聞いて、すぐにMP3をダウンロードしたものの、iTuneにはハングルしか書いてなくて読めず、私の中では謎のままでした。再び、同じ番組で流れてはじめてネットで調べて判明。
彼女の鳴らすカリンバ、ハンドオルゴールではじまるこの曲を、静かに、つぶやくように歌い上げる、彼女のせつなくやるせない声は、はっとするほどの美しさを持っています。彼女は27のときにフランス語も英語も知らないままパリに行き、音楽学校で学んだとのことです。言葉の通じない街での寂しさ、心許なさ、そしてそれに耐えた日々が、この曲を生んだのでしょう。
かつてうちのラボにいた女性が、次のステップをどうしようかというときに、他のお誘いを断って、私がけしかけたせいもあってか、フランスのラボに参加し、フランスの地で長い研究生活を過ごしたことがありました。ヨーロッパのラボではたぶんどこでもそうですが、英語も通じるとはいえ、やはり自国語ばかりです。辛かったとか、彼女の口からは一度も聞いたことないですが、楽な生活ではなかったはず。
それは、彼女の人生を大きく変えたことと思います。それが良かったのか。よく考えます。少なくとも、サイエンスを学べたことと、全く違う文化に若い時期にどっぷり浸れたことはかけがえのない財産になったはず、だけど、他の可能性と比べてどうなのか、それはいくら考えても答えは出ません。
ひとつだけ言えるのは、それはあのときだからできたこと、今は、とてもフランスに送る勇気はありません。世界は大きく変わってしまいました。ただでさえ、ポスドクを非正規雇用者と呼んだり、サイエンスに必要とされる競争力を得るためのプロセスが正しく認識されてない社会的風潮があります。加えて、欧米での治安のリスクの悪化は、若者が海外で勉強に行く気をひどくそぐものです。がんばってこいと、送り出す事もできなくなってしまいました。これからの日本のサイエンスはどうなるんだろう。それに、これはやはり、若者にとって不幸な状況。
5年経っての追記
このブログを終わるときに読み返していて、これを思い出し、検索したところ、Youtubeにありました。
https://www.youtube.com/watch?v=XhXCHYyHGLE
ハンドオルゴールと書いたもののよくわかりませんでしたが、手回しオルゴールのことか。だから、これだけ完璧に歌うことができるのか。相当な技量が必要と思いますが、そんなことは少しも感じさせず、ただただ、このパフォーマンスのあまりの美しさに思わず息を飲みます。
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2016年1月8日金曜日
ガラスの製品
仕事柄、ガラスの製品を使うことが多く、細胞の培養のイメージングにはガラス底のお皿がかかせません。ただ、普通の培養ディッシュに比べてやたら高く、どのメーカーもほとんど同じ値段なので、けしからんと思ってましたが、ネットで探すとびっくりするくらい安いところが見つかりました。
Cellvisという、LAにある会社ですが、どうやら中国の工場から世界中に販売しているようです。お値段は、普通のディッシュだと単純に単価だけ比べると、1/2.5、お皿が4分割されたディッシュだと、1/5程度の値段と、思わず二度見しました。ガラスボトムディッシュに特化した会社なので、この値段にできてるのでしょう。サイトではしきりに製造過程の無塵さをアピールしてます。輸送費はかかりますが、代理店が入るよりはずっと安く買えます。早速買って試してみましたが、中国から来るので、国内と同じくらい早い。余りに早いせいか、注文後変更という融通は利きませんでしたが。このまま代理店がつかないことを願います。
使ってみると、なかなか水濡れが良く、MatTekや松浪のディッシュのように水を弾くことがありません。細胞の接着も良く、IWAKIのガラスボトムディッシュとよく似た感じです。かなりいい。Cellvisでは、他にガラスがそこについていない丸い穴の開いたディッシュ、つまり自分でカバーグラスをくっつけたい人用のや、逆にフタにもカバーガラスがついてて、マクロレンズなど作動距離の長いレンズで上から撮影するときに便利なようになっているものもあります。中国、恐るべし。
もう一つ、カバーガラスは大量に使う割に高い感じがしてますが、VWRという、何でも扱ってるアメリカの総合商社のようなところが自分のブランド名で出してるのは、枚数でなく、オンス単位で売ってて、たぶんいつも使ってる松浪の半分くらいのお値段。早速買ってみました。蛍光蛋白溶液を載せて、どれくらい一分子から光子を発生しているかを測定してみると、何の問題も無し。ただ、走査電顕で、ついでに、他のサンプルの間に載せて、表面をみると結構な違いがありました。
この倍率ではわかりにくいですが、拡大すると
何でしょう、これ。ピンセットでこすった部分だけ、この点がきれいに落ちてるので、なにかきれいにならんでいます。蛍光には影響ないようですが、余り観察には使わない方が良いかな。やはり松浪のはきれいです。
Cellvisという、LAにある会社ですが、どうやら中国の工場から世界中に販売しているようです。お値段は、普通のディッシュだと単純に単価だけ比べると、1/2.5、お皿が4分割されたディッシュだと、1/5程度の値段と、思わず二度見しました。ガラスボトムディッシュに特化した会社なので、この値段にできてるのでしょう。サイトではしきりに製造過程の無塵さをアピールしてます。輸送費はかかりますが、代理店が入るよりはずっと安く買えます。早速買って試してみましたが、中国から来るので、国内と同じくらい早い。余りに早いせいか、注文後変更という融通は利きませんでしたが。このまま代理店がつかないことを願います。
使ってみると、なかなか水濡れが良く、MatTekや松浪のディッシュのように水を弾くことがありません。細胞の接着も良く、IWAKIのガラスボトムディッシュとよく似た感じです。かなりいい。Cellvisでは、他にガラスがそこについていない丸い穴の開いたディッシュ、つまり自分でカバーグラスをくっつけたい人用のや、逆にフタにもカバーガラスがついてて、マクロレンズなど作動距離の長いレンズで上から撮影するときに便利なようになっているものもあります。中国、恐るべし。
もう一つ、カバーガラスは大量に使う割に高い感じがしてますが、VWRという、何でも扱ってるアメリカの総合商社のようなところが自分のブランド名で出してるのは、枚数でなく、オンス単位で売ってて、たぶんいつも使ってる松浪の半分くらいのお値段。早速買ってみました。蛍光蛋白溶液を載せて、どれくらい一分子から光子を発生しているかを測定してみると、何の問題も無し。ただ、走査電顕で、ついでに、他のサンプルの間に載せて、表面をみると結構な違いがありました。
2015年12月20日日曜日
ストーナー
ジョン・ウィリアムズの「ストーナー」、読了。床に入り寝付くまでの時間、このところ毎晩読んでましたが、ミズーリ大で古典を教えてる気分でした。作品社という聞いたこともない出版社の本。このまえ東京に行ったとき、丸善でアメリカ文学のところに山積みされていて、パラパラめくって即購入。
珍しい経緯の小説です。この作者はストーナーと同じ大学の古典の先生で、出版は50年くらい前。プロフェッショナルな作家ではないようです。出版当時はほとんど話題になることも無く忘れ去られていたそうですが、今世紀に入ってなぜか再版されたとき、ヨーロッパでよくあるキャッチコピーとともに随分話題になったとか。確かにアメリカで受けそうな本ではないです。日本では、翻訳大賞を受けたと、帯に書いてあったような気がします。
珍しく他の本に浮気することもなく、これだけに専念して、毎晩、寝るときにストーナーになってました。とにかく面白かったのは間違いありません。貧しい農家に生まれたストーナーが古典文学の世界に惹かれて学問の道に進み、大学で教えて死ぬまでの、特に何の変哲もない生涯が描かれています。何が面白いのかわからないですが、何か、惹きつけるものがあります。ただ、ちょっと引っかかったのは、むしろこの翻訳。この翻訳者のことが書かれた後書きを読むまでは、翻訳の世界にはまだそれほど経験のない、豊富な語彙を持ち文学を志す若者が気負って訳したのかと思っていました。が、なんと高名な翻訳者が亡くなる直前まで手がけていた作品だそうです。
そういうことを知るとなかなか書きにくいのですが、読んでいて、遙か昔に読んだトム・ウルフの「天使よ 故郷を見よ」を思い出しました。懐かしい本ですが、翻訳が妙に表に出てきて、違うだろう、という印象を持った記憶があります。同じように、これにもなんだこの訳はというところが結構あります。たとえば、学生だった彼が教授から大学に残るように薦められるときの台詞が「真摯なる文学の徒は、みずからの才が士の理法を読み解くには向かぬことを必ずや覚るものではないだろうか」。鼻白みます。原文はどうなってるんだろう。とても豊かな言葉を持っておられることはわかりますが、「「どういう意味です?」自分の声におののきの棘を感じる」、等、ちょっと時代がかってないか。
とはいえ、「遠い哀れみと、及び腰の友愛と、おなじみの敬意がわき起こってくる。そして、気鬱な悲しみ。」、など、確かに美しい文章にも多く出会います。どうも、翻訳者の強い思い入れが、このようなかなり気合いの入った文章になったのかもしれません。後書きはこの翻訳者のお弟子さんによるもので、彼女によるとこの小説にはストーナーの悲しみが底流にある、とのことでしたが(確か)、う~ん、そうかなあ。
作者は、ストーナーのことを、文学の世界を見いだした幸せな人間として描いてるように、私には思えました。奥さんと死の直前までうまく行かなかったり、学内抗争で昇進が妨げられたりしてはいても、そういうのは普通にあること。なにより、彼は貧しい農家の息子として生まれ、父親の期待を受けて入った大学で、少々道を踏み外してたまたま古典の世界を見いだして、のめり込み、死の前日まで研究を積み重ねることができ、彼を慕う学生たちがいたわけです。作者はむしろ大学人としての共感を込めて、ほとんど肯定的に描いたのではないのかな。
翻訳がどうも先に立って、なかなか微妙に、絶賛するわけにはいかないのではないですが、ともかく印象深い小説でした。
珍しい経緯の小説です。この作者はストーナーと同じ大学の古典の先生で、出版は50年くらい前。プロフェッショナルな作家ではないようです。出版当時はほとんど話題になることも無く忘れ去られていたそうですが、今世紀に入ってなぜか再版されたとき、ヨーロッパでよくあるキャッチコピーとともに随分話題になったとか。確かにアメリカで受けそうな本ではないです。日本では、翻訳大賞を受けたと、帯に書いてあったような気がします。
珍しく他の本に浮気することもなく、これだけに専念して、毎晩、寝るときにストーナーになってました。とにかく面白かったのは間違いありません。貧しい農家に生まれたストーナーが古典文学の世界に惹かれて学問の道に進み、大学で教えて死ぬまでの、特に何の変哲もない生涯が描かれています。何が面白いのかわからないですが、何か、惹きつけるものがあります。ただ、ちょっと引っかかったのは、むしろこの翻訳。この翻訳者のことが書かれた後書きを読むまでは、翻訳の世界にはまだそれほど経験のない、豊富な語彙を持ち文学を志す若者が気負って訳したのかと思っていました。が、なんと高名な翻訳者が亡くなる直前まで手がけていた作品だそうです。
そういうことを知るとなかなか書きにくいのですが、読んでいて、遙か昔に読んだトム・ウルフの「天使よ 故郷を見よ」を思い出しました。懐かしい本ですが、翻訳が妙に表に出てきて、違うだろう、という印象を持った記憶があります。同じように、これにもなんだこの訳はというところが結構あります。たとえば、学生だった彼が教授から大学に残るように薦められるときの台詞が「真摯なる文学の徒は、みずからの才が士の理法を読み解くには向かぬことを必ずや覚るものではないだろうか」。鼻白みます。原文はどうなってるんだろう。とても豊かな言葉を持っておられることはわかりますが、「「どういう意味です?」自分の声におののきの棘を感じる」、等、ちょっと時代がかってないか。
とはいえ、「遠い哀れみと、及び腰の友愛と、おなじみの敬意がわき起こってくる。そして、気鬱な悲しみ。」、など、確かに美しい文章にも多く出会います。どうも、翻訳者の強い思い入れが、このようなかなり気合いの入った文章になったのかもしれません。後書きはこの翻訳者のお弟子さんによるもので、彼女によるとこの小説にはストーナーの悲しみが底流にある、とのことでしたが(確か)、う~ん、そうかなあ。
作者は、ストーナーのことを、文学の世界を見いだした幸せな人間として描いてるように、私には思えました。奥さんと死の直前までうまく行かなかったり、学内抗争で昇進が妨げられたりしてはいても、そういうのは普通にあること。なにより、彼は貧しい農家の息子として生まれ、父親の期待を受けて入った大学で、少々道を踏み外してたまたま古典の世界を見いだして、のめり込み、死の前日まで研究を積み重ねることができ、彼を慕う学生たちがいたわけです。作者はむしろ大学人としての共感を込めて、ほとんど肯定的に描いたのではないのかな。
翻訳がどうも先に立って、なかなか微妙に、絶賛するわけにはいかないのではないですが、ともかく印象深い小説でした。
2015年12月5日土曜日
ブーレとドゥーブル、シンフォニエッタ
意外な人からCDを貸してもらってそのままかけ流しで論文書いてると、バッハの無伴奏バイオリンパルティータ第一番ロ短調のブーレとドゥーブル、サラバンドとドゥーブルに遭遇。思えば、これが最初のバッハでした。大学に入りたての頃、ジャズばかり聴いてました。ピアノは弾けず、ギターを弾いてたのですが、本屋さんで楽譜を手にして眺めたら、単音だけだったので、これなら簡単だろうと買ったのがきっかけ。これほどいい加減な理由もないもので。
夜に風呂から上がってギター用にアレンジされたパルティータ集の適当なところを広げて、ギターで音を出してみると、わずか2小節、その音の並びが衝撃。こんなパッセージは、コルトレーンも出せない(これが当時の最大の賛辞)、8分音符が並んでるだけなのに、こんなに胸ふるわせるような音には初めて出会いました。しばらく、寝ても起きても、頭の中はこればかり。
人の演奏するこの曲を最初に聴いたときのことは、あまり覚えていません。彼女の部屋で聞いたことは覚えているけど、はたして誰の演奏だったのか。誰のを聴いても、ギターで弾いて耳にした音だけが、きこえてました。
そのうち、バッハを次々に聴き出すようになり、特にヘルムート・ヴァルヒャのクラビコードによるバッハを、ほぼ毎月、買ってました。そんななかで出会った最高の旋律は、ヴァルヒャの演奏する、パルティータ第2番のシンフォニエッタ。
その頃、18、19歳。地獄を素足で歩いてるようなものです。音楽はそのために必須でした。だから、今でも、学生たちを見て、なんとかして越えろよ、とつい思ってしまうわけですが。
ヴァルヒャのバッハは、どんな宗教よりも救いでした。特にこの、シンフォニエッタ、序章の和声の混乱の中から抜け出してくる、一筋の透明な音の流れ、それがまるで鳥のようにたわむれ、とび上がり、空で遊び舞い降りる様。音楽が自らを引っ張って次から次へと惜しげもなく姿をさらしていく、限りなく細く、だけど決して途切れることのない旋律。息をのみました。この提示部を終えて対位法に入ると、それらは並び、確かめ合い、追いかけあいます。これは2声の単純なフーガ、だけど、その2つの音の流れだけで、広大な世界が広がっています。この2つの音で挟まれた世界、それがまるで車窓の景色のようにすぎてゆき、私はそれを見つめてる、そんなイメージをいつも抱いていました。
そう、こんな世界がある。全く知らなかった世界が、この世にあることを知りました。何があっても、こんな世界があるからなんとかなるかもしれない、そんな気がしました。バス停で雨の降る中、サークルを終えて、今日もつまらなかったとひとりで立っているとき、朝、目を覚ますと昨日のことや、誰彼の言ったことが突き刺さったことが瞬時に脳裏に浮かんだとき、そのバッハの音の作る世界を思い浮かべたからこそ、何とか次に進むことができたのかもしれない。
付記 ふと思ってネットで調べてみると、やはりみつかりました。この旋律ではじまります。ハ短調です。

どこにでもありそうな音、どうしてこれがこんな世界を作れるのか。
夜に風呂から上がってギター用にアレンジされたパルティータ集の適当なところを広げて、ギターで音を出してみると、わずか2小節、その音の並びが衝撃。こんなパッセージは、コルトレーンも出せない(これが当時の最大の賛辞)、8分音符が並んでるだけなのに、こんなに胸ふるわせるような音には初めて出会いました。しばらく、寝ても起きても、頭の中はこればかり。
人の演奏するこの曲を最初に聴いたときのことは、あまり覚えていません。彼女の部屋で聞いたことは覚えているけど、はたして誰の演奏だったのか。誰のを聴いても、ギターで弾いて耳にした音だけが、きこえてました。
そのうち、バッハを次々に聴き出すようになり、特にヘルムート・ヴァルヒャのクラビコードによるバッハを、ほぼ毎月、買ってました。そんななかで出会った最高の旋律は、ヴァルヒャの演奏する、パルティータ第2番のシンフォニエッタ。
その頃、18、19歳。地獄を素足で歩いてるようなものです。音楽はそのために必須でした。だから、今でも、学生たちを見て、なんとかして越えろよ、とつい思ってしまうわけですが。
ヴァルヒャのバッハは、どんな宗教よりも救いでした。特にこの、シンフォニエッタ、序章の和声の混乱の中から抜け出してくる、一筋の透明な音の流れ、それがまるで鳥のようにたわむれ、とび上がり、空で遊び舞い降りる様。音楽が自らを引っ張って次から次へと惜しげもなく姿をさらしていく、限りなく細く、だけど決して途切れることのない旋律。息をのみました。この提示部を終えて対位法に入ると、それらは並び、確かめ合い、追いかけあいます。これは2声の単純なフーガ、だけど、その2つの音の流れだけで、広大な世界が広がっています。この2つの音で挟まれた世界、それがまるで車窓の景色のようにすぎてゆき、私はそれを見つめてる、そんなイメージをいつも抱いていました。
そう、こんな世界がある。全く知らなかった世界が、この世にあることを知りました。何があっても、こんな世界があるからなんとかなるかもしれない、そんな気がしました。バス停で雨の降る中、サークルを終えて、今日もつまらなかったとひとりで立っているとき、朝、目を覚ますと昨日のことや、誰彼の言ったことが突き刺さったことが瞬時に脳裏に浮かんだとき、そのバッハの音の作る世界を思い浮かべたからこそ、何とか次に進むことができたのかもしれない。
付記 ふと思ってネットで調べてみると、やはりみつかりました。この旋律ではじまります。ハ短調です。
どこにでもありそうな音、どうしてこれがこんな世界を作れるのか。
2015年11月28日土曜日
西ロシア
怒濤のような一週間。雪も降り出してきました。荒川洋治の若い頃の詩が良いなと思うのはこんなとき。1975年に発表された詩集『水駅』から。
「西ロシア、クイビシェフ湖。水のおもてには、雪景がふるえながらひたされる。・・・」
そう、これが詩の言葉。おととい、東京の高架下につながる賑やかな通りを歩いていたとき、ふと、パリやベイルートのテロの映像がかぶって、つい早足になって、なんだか逃げるように北に向かう新幹線に乗り込みました。情けないとは思うものの、これは、自爆テロという、理解を超えた人の行動への、無意識のレスポンスです。
でも人はこうやって、ちょうど若い荒川洋治がロシアの湖の前にたたずんでいたように(実際に旅したのか、地図の上だけだったのか知らないけど)、眺めるときがあります。人は言葉を得て、記録することで、行動を拡張し、生物としての行動の範囲を超え、果てしなくなりました。これ自体は、自らのあり方を突き進める行いで、素晴らしいこと。しかし、世界を破壊することすらできるほどになって、当惑するほどになってきました。行動は生きるための能力だったはずなのに、
もはや行動が目的となり、立ち戻るすべをどこかで忘れ、ひどく混乱してしまい、すくんでしまう。どれだけ混乱しても、消してしまえばいいのだからとささやかれると、それが救いのようにきこえるのか。眺めることを忘れた生物。
再び、荒川洋治。
「ひとつの夜仕事であろうか。目をさました所員は、塗りおえたばかりの地図を再び灯火にひきだす。湖水の青い線の均衡はかすかにこわれ、いくらか肌の色をおびている。・・・」
「西ロシア、クイビシェフ湖。水のおもてには、雪景がふるえながらひたされる。・・・」
そう、これが詩の言葉。おととい、東京の高架下につながる賑やかな通りを歩いていたとき、ふと、パリやベイルートのテロの映像がかぶって、つい早足になって、なんだか逃げるように北に向かう新幹線に乗り込みました。情けないとは思うものの、これは、自爆テロという、理解を超えた人の行動への、無意識のレスポンスです。
でも人はこうやって、ちょうど若い荒川洋治がロシアの湖の前にたたずんでいたように(実際に旅したのか、地図の上だけだったのか知らないけど)、眺めるときがあります。人は言葉を得て、記録することで、行動を拡張し、生物としての行動の範囲を超え、果てしなくなりました。これ自体は、自らのあり方を突き進める行いで、素晴らしいこと。しかし、世界を破壊することすらできるほどになって、当惑するほどになってきました。行動は生きるための能力だったはずなのに、
もはや行動が目的となり、立ち戻るすべをどこかで忘れ、ひどく混乱してしまい、すくんでしまう。どれだけ混乱しても、消してしまえばいいのだからとささやかれると、それが救いのようにきこえるのか。眺めることを忘れた生物。
再び、荒川洋治。
「ひとつの夜仕事であろうか。目をさました所員は、塗りおえたばかりの地図を再び灯火にひきだす。湖水の青い線の均衡はかすかにこわれ、いくらか肌の色をおびている。・・・」
2015年11月22日日曜日
詩を書く意味
この前に書いたジョアンナ・ラコスの本には、サリンジャーが実際に何度か登場します。ほとんどは、電話口で、ボスはいるか、という呼び出しだけど、次第にラコスにも話すようになります。あなたは詩を書くのか、と何度も聞き、大学で文学を専攻し、詩も書いていた彼女がそう答えると、満足したように、そうかそれはいい、と答える。しばらくして電話が来ると、また何度も同じようなやりとりが繰り返されて。
サリンジャーも詩集を出してました。邦訳は読んだことがないですが(どこかで目にしたような気もするけど)、確かに、そうかもしれない。
福島に来て間もない頃、鎌倉に住んでいた高齢の詩人に会いに行ったことがあります。全くミーハー以外の何物でもなく、今思うとあんな高名な詩人によくもまあ、と冷や汗が出ますが。いやな顔ひとつせずどころか、海岸に連れて行ってくれて、食事までおごってもらって、一体何をしに行ったのやら。
とても好きな詩人でした。谷川俊太郎が「20億光年の孤独」で華々しく登場して、鮎川信夫の詩が敗戦前後の社会の空気を言葉で表現することで人々に生きることの希望を抱かせていた頃、もう一人、失われた時代の景色を実に的確に描いて、現代詩の3本柱ともくされたのが平林敏彦でした。現代詩のもっとも実り豊かな一瞬でした。
だけど、彼は2つの輝くような詩集を出した後、詩をまったく発表しなくなりました。それから34年が経ち、発表された詩集が「水辺の春」。そしてそれから、溢れるように詩集を発表し続けます。すでの90を超えてますが、毎年のように詩集を出し、2-3年前には、鮎川らが活躍していた戦後詩の時代を記録した本まで出して、毎年のように賞をもらっています。奇跡としか思えない活動です。
なぜ会いに行ったのか、書くのも恥ずかしいけど、これだけの言葉を持ちながら、なぜ詩を止めたのか、知りたかった、それだけ。たまたま、知り合いのデザイナーが彼と本を作っていたのでお願いしました。彼によると、それはごく普通のことらしい。人は詩を書かなくなるもの、詩を再び書き出すことはまずないけど、と、彼は話してくれました。
では何が彼を書き出すようにしたかについて、彼は何も言いませんでしたし、聞きもしませんでした。それは会ったらすぐにわかりました。素敵な奥さんです。これもまたごく普通のことで、彼女が彼に詩を書く意味を与えているのでしょう。だから、水辺の春、なのです。これも高邁な文学的な理由ではないけど、人を駆り立てるのはそういうこと。
あなたは詩を書くのか、とは、たぶん、そういうことなのです。日々において詩を書く意味を持っているのか、ということ。先日、横浜に住んでおられる詩人から、詩集を戴きました。彼もまた、長く詩をやめておられた方。戴くのが申し訳ないくらい、とても素敵な詩集です。
・・・・
光る海面にそっと身を滑り込ませ
ひと夜だけ許された姿で
懐かしい仲間に会いにいく
海から追放された昔日を知らず
追憶すれば人という名によって
神に似ようとした罪の形にたどりつく
心は震えるはずのないものに震え
巨大なものを見ようとすればするほど
わずかしか見えなかった目
忌まれながらの燭台を手に
彷徨い続けた異邦も滅びた上の匂い
涙は一体何のためにあったのか
・・・
(布川鴇 「水底の挿話」より)
サリンジャーも詩集を出してました。邦訳は読んだことがないですが(どこかで目にしたような気もするけど)、確かに、そうかもしれない。
福島に来て間もない頃、鎌倉に住んでいた高齢の詩人に会いに行ったことがあります。全くミーハー以外の何物でもなく、今思うとあんな高名な詩人によくもまあ、と冷や汗が出ますが。いやな顔ひとつせずどころか、海岸に連れて行ってくれて、食事までおごってもらって、一体何をしに行ったのやら。
とても好きな詩人でした。谷川俊太郎が「20億光年の孤独」で華々しく登場して、鮎川信夫の詩が敗戦前後の社会の空気を言葉で表現することで人々に生きることの希望を抱かせていた頃、もう一人、失われた時代の景色を実に的確に描いて、現代詩の3本柱ともくされたのが平林敏彦でした。現代詩のもっとも実り豊かな一瞬でした。
だけど、彼は2つの輝くような詩集を出した後、詩をまったく発表しなくなりました。それから34年が経ち、発表された詩集が「水辺の春」。そしてそれから、溢れるように詩集を発表し続けます。すでの90を超えてますが、毎年のように詩集を出し、2-3年前には、鮎川らが活躍していた戦後詩の時代を記録した本まで出して、毎年のように賞をもらっています。奇跡としか思えない活動です。
なぜ会いに行ったのか、書くのも恥ずかしいけど、これだけの言葉を持ちながら、なぜ詩を止めたのか、知りたかった、それだけ。たまたま、知り合いのデザイナーが彼と本を作っていたのでお願いしました。彼によると、それはごく普通のことらしい。人は詩を書かなくなるもの、詩を再び書き出すことはまずないけど、と、彼は話してくれました。
では何が彼を書き出すようにしたかについて、彼は何も言いませんでしたし、聞きもしませんでした。それは会ったらすぐにわかりました。素敵な奥さんです。これもまたごく普通のことで、彼女が彼に詩を書く意味を与えているのでしょう。だから、水辺の春、なのです。これも高邁な文学的な理由ではないけど、人を駆り立てるのはそういうこと。
あなたは詩を書くのか、とは、たぶん、そういうことなのです。日々において詩を書く意味を持っているのか、ということ。先日、横浜に住んでおられる詩人から、詩集を戴きました。彼もまた、長く詩をやめておられた方。戴くのが申し訳ないくらい、とても素敵な詩集です。
・・・・
光る海面にそっと身を滑り込ませ
ひと夜だけ許された姿で
懐かしい仲間に会いにいく
海から追放された昔日を知らず
追憶すれば人という名によって
神に似ようとした罪の形にたどりつく
心は震えるはずのないものに震え
巨大なものを見ようとすればするほど
わずかしか見えなかった目
忌まれながらの燭台を手に
彷徨い続けた異邦も滅びた上の匂い
涙は一体何のためにあったのか
・・・
(布川鴇 「水底の挿話」より)
2015年10月30日金曜日
サリンジャーと過ごした日々
大学の帰り、週末に、そのまま帰るのが惜しく、立ち寄った、深夜もやってる書店で見つけた一冊、ジョアンナ・ラコフという、聞いたことも無い作家。何とも平凡な題名に、よくある薄いサリンジャー本かとは思いつつも、つい手に取ってしまう。パラパラめくると、一瞬、惹かれるものがあり、即購入、ではなく、家に着いて、ちょっとネットで調べてからアマゾンで購入。
聞いたことも無いのは当然で、これが邦訳初、小説はいくつかの賞をもらっているらしいが、まだ訳もない。忙しくて、まったくたびれ果てた一週間だったけど、寝る前限定で読んでるうちに読了。こんなとき、良い本に巡り会えて良かった。がさがさした本だと、悪い夢を見ます。
優れた書き手です。昔、栗本薫が若くて素敵なお話を書いていた頃、『私は書かなくてはならない、書くために生まれてきたんだ』、ということをはじめて自覚したときの記憶を、いきいきと描いた本がありました。この本も、どこかそんなところがあります。
大学を出て、アシスタントで働いた一年間、文学を専攻しつつもサリンジャーなど読んだこともなかった彼女が、全くの偶然でサリンジャーを担当する出版エージェンシーに勤めだし、彼への膨大で熱烈なファンレターをひたすら断る仕事をする中で、ついには御本人と電話で話し、紹介される羽目になり、フラニーとズーイに目覚め、シーモアの苦しみに涙するようになる。
一年が経つ頃、「わたしはもう女子学生ではない」、と格子柄のスカートとローファーを手放し、世の中はパソコンで原稿を書くのが普通になりつつある中、IBMの電動タイプライターが主役だった出版エージェンシーを卒業する。そんな、奇跡の一年が、とても丁寧に描かれています。真冬のマンハッタン、セントラルパークの池のカモたち、ウィリアムズバーグ橋をわたる車の音、いつも満員のカフェの窓際の席、電話機につないでパソコンを飛ばしてくれるモデムのこと。なんて賑やかでゆたかな世界。
「ここに描かれたひとつの世界は喪に服し、回復する日は決して訪れない」
ある日、ふと彼女に、彼のことを「わかる」瞬間が来ます。思わず空を見上げたほど、寂しく、つけ抜けるよう。だから、人々は、多くの手紙をサリンジャーに一生懸命書いて、フラニーは妊娠したのだろうか、シーモアは、と聞いてくる、だけど、それはその中にしかなく、そこに封じ込められたもの、その苦しみに、彼は自らを閉ざし、ニューヨークから離れざるをえなかった。
この翻訳も素晴らしい。井上里という若い人で、ラコフの色彩に満ちた伸びやかな感受性にぴったりな文体で仕上げています。強い共感を持って進めた翻訳というのがずんずん伝わってきます。例えばこんなところ、
「 わたしは目に涙をにじませながら、弧を描いて池に架かる小さな橋へ歩いていった。橋の上に立ち、顔をあげる。五番街に林立する大きなビル群がみえ、向こうへ続いていく森がみえ、動物園へ続く小道がみえた。その動物園は、ホールデンがフィーバーを連れていった場所であり、 わたしが、魚をもらおうと吠えるアザラシをみた場所でもあった。アザラシが吠えたはずみに、水槽のふちから水しぶきがあがったことを覚えている。ふいに北のほうから、水の揺れる音がはっきりときこえてきた。カモたちだ。 ・・・・・(中略)・・・ カモたちは池をまわりながら、昆虫や小魚がみつからないか、サンドイッチのかけらがーこの寒空の下でピクニックをしにきた元気な人たちが残していったものだー落ちていないか探していた。カモたちは美しかった。美しく、愛らしく、王者のような気品をたたえて、黒く澱んだ池を滑るように泳いだ。」
いつまでも書き写したいくらい。素敵な文章と翻訳。ほんとうに幸せな出会い。
滅多にないけど、こんな本に出会うことがあります。こういうのは、やはり、夜中まで開けてくれる、物理本屋のおかげ。少しは売り上げに貢献しなければ。
聞いたことも無いのは当然で、これが邦訳初、小説はいくつかの賞をもらっているらしいが、まだ訳もない。忙しくて、まったくたびれ果てた一週間だったけど、寝る前限定で読んでるうちに読了。こんなとき、良い本に巡り会えて良かった。がさがさした本だと、悪い夢を見ます。
優れた書き手です。昔、栗本薫が若くて素敵なお話を書いていた頃、『私は書かなくてはならない、書くために生まれてきたんだ』、ということをはじめて自覚したときの記憶を、いきいきと描いた本がありました。この本も、どこかそんなところがあります。
大学を出て、アシスタントで働いた一年間、文学を専攻しつつもサリンジャーなど読んだこともなかった彼女が、全くの偶然でサリンジャーを担当する出版エージェンシーに勤めだし、彼への膨大で熱烈なファンレターをひたすら断る仕事をする中で、ついには御本人と電話で話し、紹介される羽目になり、フラニーとズーイに目覚め、シーモアの苦しみに涙するようになる。
一年が経つ頃、「わたしはもう女子学生ではない」、と格子柄のスカートとローファーを手放し、世の中はパソコンで原稿を書くのが普通になりつつある中、IBMの電動タイプライターが主役だった出版エージェンシーを卒業する。そんな、奇跡の一年が、とても丁寧に描かれています。真冬のマンハッタン、セントラルパークの池のカモたち、ウィリアムズバーグ橋をわたる車の音、いつも満員のカフェの窓際の席、電話機につないでパソコンを飛ばしてくれるモデムのこと。なんて賑やかでゆたかな世界。
「ここに描かれたひとつの世界は喪に服し、回復する日は決して訪れない」
ある日、ふと彼女に、彼のことを「わかる」瞬間が来ます。思わず空を見上げたほど、寂しく、つけ抜けるよう。だから、人々は、多くの手紙をサリンジャーに一生懸命書いて、フラニーは妊娠したのだろうか、シーモアは、と聞いてくる、だけど、それはその中にしかなく、そこに封じ込められたもの、その苦しみに、彼は自らを閉ざし、ニューヨークから離れざるをえなかった。
この翻訳も素晴らしい。井上里という若い人で、ラコフの色彩に満ちた伸びやかな感受性にぴったりな文体で仕上げています。強い共感を持って進めた翻訳というのがずんずん伝わってきます。例えばこんなところ、
「 わたしは目に涙をにじませながら、弧を描いて池に架かる小さな橋へ歩いていった。橋の上に立ち、顔をあげる。五番街に林立する大きなビル群がみえ、向こうへ続いていく森がみえ、動物園へ続く小道がみえた。その動物園は、ホールデンがフィーバーを連れていった場所であり、 わたしが、魚をもらおうと吠えるアザラシをみた場所でもあった。アザラシが吠えたはずみに、水槽のふちから水しぶきがあがったことを覚えている。ふいに北のほうから、水の揺れる音がはっきりときこえてきた。カモたちだ。 ・・・・・(中略)・・・ カモたちは池をまわりながら、昆虫や小魚がみつからないか、サンドイッチのかけらがーこの寒空の下でピクニックをしにきた元気な人たちが残していったものだー落ちていないか探していた。カモたちは美しかった。美しく、愛らしく、王者のような気品をたたえて、黒く澱んだ池を滑るように泳いだ。」
いつまでも書き写したいくらい。素敵な文章と翻訳。ほんとうに幸せな出会い。
滅多にないけど、こんな本に出会うことがあります。こういうのは、やはり、夜中まで開けてくれる、物理本屋のおかげ。少しは売り上げに貢献しなければ。
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