6日に発売のKobo aura oneを、午前中に注文したら、昨日、到着。早!
確かに軽い。これなら持ちやすい。まずはセットアップ。これがネットにつながないとできず、しかも楽天にログインする必要がありうっとうしいですが、とりあえずインストールだけやって、WiFiを終了。とにかく自炊した本がどのように表示されるのかが気になり、気もそぞろにマイクロUSBでPCにつないで本を入れてみました。そういえば、これは確か、防水だったと思いますが、H2OのようにマイクロUSBのラバーカバーがなくなり、さしやすくなりました。
スキャンした本の解像度はとにかくスペック通り、1872x1454にして、ChainLPを使って、まずは、今まで同じ大きさのリーダーで愛用している、InkPadと同じくEPUBフォーマットに変換して入れてみました。ところが上下に無駄なスペースが出て、小さくしか表示されません。ネットで調べるとauraではKobo eReader.confのファイルの設定を書き換える必要があるとあって、TeraPadで書き換えてみましたが、だめ。ふと、KOBOだからaura H2Oと同じでcbzならどうだろうとやってみたところ、あっさり解決。全画面表示になりました。なかなか焦ります。
aura oneが売りにしてるものに色温度・明るさの自動調整というのがあります。なるほど暗いところでは赤っぽくなります。でも、普通、色温度が低いともっとオレンジ色になると思うのですが、ちょっと赤すぎて、あまり心地よいとは思えないので、これはちょっとだけ入れる程度にして、また、自動調整もうるさいのでオフにして、結局、ちょっとだけ赤い色調に固定しました。
さすがはcarta Ink、特にバックライトを少し入れたときのコントラストが高く、紙のように鮮明です。以前、InkPadを買ったときに撮影したのと同じくカフカ全集の日記で比較すると、
左がaura one、右は今で使ってたPocket bookのInkPad(英国経由で入手)。こうやっても左が赤く見えるだけであまりよくわからないですが、実際には鮮明さにかなり差があります。InkPadはPearl Inkなので、なんだかぱっとしない感じで、これがいまいち感を強めてました。また、解像度が高い分、精細感もあります、書きましたが、なぜでしょう、解像度はInkPadが1600x1200なのでたいして変わらないはずですが。Carta eInkのせいかな。
もう一つ、InkPadに比べて大きな差は速さ。解像度がでかい分、ファイルサイズはH2Oより77%大きいのですが、割と快適に動きます。起動も速いし。InkPadはなによりもそこが不満。まったりしすぎ。速さはH2Oとほぼ変わらないくらいかな。文字表示領域の広さはInkPadとほとんど同一です。
また、displayはH2Oとは違って、フラットで、ベゼルとの境の段差がなく、ざらざら感がH2Oから進化していて、なかなか新しい感じ。ただ、裏側の滑り止め、鉄の土瓶の表面にあるような小さなさざ波のような作りは、あまり快適では無いかな。慣れでしょうが。
当然ながらKOBOとはいえ表示は日本語にできるので、InkPadのように日本語が文字負けしたり(表示されなくて当然なのだけど、中途半端に漢字も出るので日本語も入れてます)、本の整理はH2Oと同じようにできます。というか、ソフトはほとんどH2Oと同じ。
最大の難点はmicroSDが差せないこと。8Gとはいえ、実質は6.7Gしかなくて、単行本100冊、削って200冊くらいですか。ま、そのころには別のが出るだろうからいいか。一台にすべてを放り込む必要は無いわけで。
Aura H2Oは女房がなかなか返してくれないので、これをデフォールトにしようかとも思ってます。これで電子ブックリーザーはキンドルからはじまって4冊目、と書いてましたが、よく考えると、5冊目になりました。2つのキンドルの方にはあわせて300冊くらい、端末には満タンになりました。auroH2Oに400冊ほど入ってます。これはさすがに文庫本専門で、128GmicroUSBにしてるのであと3000冊くらいは入る計算で、文庫はこちらにしてあとは壊れるまで十分。女房さえ返してくれれば。InkPadに単行本が200冊くらいか。
本の処分ができつつあるので、一室の壁を全面埋めていた書棚はバルコニーでの植物用の棚として活用されつつあります。地震が来ても本が倒れて生き埋めになることはなくなったかな。
さすがにこれは売れてるようですね。キンドルはハードはほぼあきらめてる印象があり、本格的電子本リーダー(というよりは本の電子リーダーか)はKOBOの独占になりつつあるのでしょうか。これはあまりよろしくないのですが。
付記
2017/2/11
この記事に、いまだに多くの方が訪問してくれていることに気がつきました。ので追加を。今では、すっかり私はaura one、女房はaura H2Oになりました。次の記事で書いたように、解像度を落とすことで、スキャンした本のサイズを減らせるので、メモリの制約は今のところまだ感じません。懸案だったブルーライト対策のうっとおしさは、自動設定を外し、適当な色温度に固定したら、なかなか良い感じになりました。
まったく何の問題もなく、どこに行くのもこれ一冊。文庫本からハードカバーまで無理なく読めます。2冊のキンドルはすっかり出番がなくなり、バッテリーも切れたままです。一度、aura oneを使うとキンドルはもう読めません。電子本さえ買わなければWiFiをつける必要は無いので切っておいて、毎日一時間開いたとすると、バッテリーは、公称の1ヶ月よりかなり長く持ちます。少なくとも6週間は持ってる印象です。もちろんどれくらい一日読むか、背景照明に寄りますが。薄いので持ちやすく、背広のポケットは無理でもジャンバーやコートなら楽に入るし、バックに滑り込ませるのも難なし。唯一の不満は大きな本になると読みづらいことですが、これは仕様。
この上の機種だとBOOX N96という9.6inchのが出てますが、解像度が1200×825と低く、BOOXはcarta inkでなくてpearlなのじゃないかな、とあまりそそりません。koboがこのサイズを出してくれないかな。
日本からは直接買えませんが、PocketBookはInkPad2というのを出しましたが、これもいまだにPearl eInk。同じ8インチ。MP3がついただけ?そんなにCarta inkはハードルが高いのかな。
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2016年9月8日木曜日
2016年7月15日金曜日
増殖欠損ウイルスから増えるウイルスができた
遺伝子組み換え生物を作ることは分子生物学で良く使う手法で、感染させるために組み替えウイルスも普通に使います。iPSの作成ではレトロウイルスが使われて、これはウイルスの高い感染能力を利用したものです。が、もちろん、こういうウイルスはツールとして使ってるだけなので、細胞に感染して外来遺伝子注入以外の機能は無用で、というより、あると困る場合が多いので、ウイルス本来の機能は極力少なくして使います。
増殖欠損はその大事な特徴で、そうでないと、組み替え体がやたらあちこちに感染して、組み込んだ別の遺伝子がそこで発現しかねないので危険です。それで組み替え実験に用いるウイルスはほとんどが増殖欠損で、特定の細胞や、特定のDNAを混ぜたときにだけ、ウイルスを増やせるようになっています。
ところが、今日出版されたMolecular Cellular Biologyという、米国微生物学会の雑誌で、ある論文が撤回されたのですが、またデータねつ造かと思って週刊誌的感覚で読んでみたら、全然違っていて、増殖できないはずの組み替えアデノウイルスが増殖できるようになった結果、おかしな結果が得られていた、ということでした。
撤回とはいえ、これを見つけたからには優れた研究者である事はわかりますが、問題は、なぜ増殖欠損ウイルスが増えてしまったか。著者らは、これは増殖欠損ウイルスを増やすために用いる専用細胞に発現する増殖欠損を補填する因子が、ウイルスに取り込まれてしまったためだろうと考えています。確かにそうとしか思えません。
そんなことが実際に起こりえるのか??ウイルスゲノムが細胞ゲノムに入り込むように、ウイルスゲノムの増殖の過程で、細胞のゲノムの一部がトランスポゾンなどで切り取られてウイルスの中に入り込むことはあるにしても、それがたまたまそのウイルスに必要な因子だったのか?
こんなことが起きるのなら、組換え実験の規制も考え直す必要があるし、そもそも、そんな危なくて不安定なツール、使えないことになってしまいます。遺伝子治療とも関わります。ほんとかということも含めて、これは学会をあげて検証が必要。
増殖欠損はその大事な特徴で、そうでないと、組み替え体がやたらあちこちに感染して、組み込んだ別の遺伝子がそこで発現しかねないので危険です。それで組み替え実験に用いるウイルスはほとんどが増殖欠損で、特定の細胞や、特定のDNAを混ぜたときにだけ、ウイルスを増やせるようになっています。
ところが、今日出版されたMolecular Cellular Biologyという、米国微生物学会の雑誌で、ある論文が撤回されたのですが、またデータねつ造かと思って週刊誌的感覚で読んでみたら、全然違っていて、増殖できないはずの組み替えアデノウイルスが増殖できるようになった結果、おかしな結果が得られていた、ということでした。
撤回とはいえ、これを見つけたからには優れた研究者である事はわかりますが、問題は、なぜ増殖欠損ウイルスが増えてしまったか。著者らは、これは増殖欠損ウイルスを増やすために用いる専用細胞に発現する増殖欠損を補填する因子が、ウイルスに取り込まれてしまったためだろうと考えています。確かにそうとしか思えません。
そんなことが実際に起こりえるのか??ウイルスゲノムが細胞ゲノムに入り込むように、ウイルスゲノムの増殖の過程で、細胞のゲノムの一部がトランスポゾンなどで切り取られてウイルスの中に入り込むことはあるにしても、それがたまたまそのウイルスに必要な因子だったのか?
こんなことが起きるのなら、組換え実験の規制も考え直す必要があるし、そもそも、そんな危なくて不安定なツール、使えないことになってしまいます。遺伝子治療とも関わります。ほんとかということも含めて、これは学会をあげて検証が必要。
2016年7月3日日曜日
デバスから離脱
これは辛かった。これはその記録。去年の今頃、前の年から続いたひどい睡眠不足で睡眠薬が不可欠になり、やめることができなくなってえらいめに。直接的な引き金は開業医からもらったブロチゾラム。レンドルミンと同じの。カテゴリー的にはそれほど強い薬では無いですが、それまでセルシンとデバスしか知らなかった身には十分強力。
眠れないと困るのでと飲んで次の日もそうかもと思って飲んで、の繰り返しで、忙しくて特に意識してなかったけど、気がついたら10日くらい経過。まずいかもと思ってやめると、眠れないのではという意識が残って、ほんとに眠れない。それでも寝てるんだからと思っても、ほぼ朝まで頭は冴えたまま、のように思えてました。
かといってブロチゾラムはどうも効き過ぎる感があり医者に言いにくいし、デバスは日本では長く使われてきたのでならばこちらにと替えて、割と眠れました。でも今度はデバスを飲まないと、不安が残り頭が熱くなって眠れない。これを飲まずに、いろんなグッズ、なんだか電気パルスで安眠を促すとかいうのなど、いろいろと試したけど、まったく効果なし。ハーブ、グリシン、なんかも全くだめ。そういう問題じゃないなと。
その頃、厚労省がこれまでの指針を改めて、GABA受容体に作用する薬はすべて他のに切り替えるべしという指針を出してきました。この根拠、論文などを見ても、いまいちはっきりしないところもあるのですが、とにかく世界的な流れに沿った形です。この告知も、デバスやめなければというプレッシャーになりました。デバスはベンゾジアゼピン系で、他に非ベンゾジアゼピン系のマンスリーが一般的らしいですが、所詮は同じくGABA受容体への作用薬物、有害性はやはりあるので、全く作用機序の違うロゼレムならよいだろうという内容でした。
それでロゼレムにしてみたところ、昼間の強烈な眠気という副作用を起こして、しかもこれがやめた後も長く引きずり、最悪なのは夜には眠れないという、なんで飲んでるのかわからない事になり、3日で断念、というのは、以前、ロゼレム、という題でこのブログで書きました。体質に寄るのでしょうが、この薬はヨーロッパでは使用が却下されたのは、そういう事情なのかもしれません。何でこんなのを推奨してるのか、厚労省。
ならば非ベンゾジアゼピン系のアモバンならどうだろうとやってみましたが、確かにこれもよく効きますし、ロゼレムのようなことはなかったが、ただ、妙な睡眠感覚で、寝てはいるけど寝た気がしない、夢を見た気がしないのは気のせいなのか、なんだか、これもやめたほうがいいという感じ。それにこの味はとても後を引き、断念。
文字通り、一睡もしない状態で朝日を迎え、次の日はさすがにうとうとくらいはできて、でもまたその次はほぼ一睡もできない、この一日おきの睡眠という状態。これで良く持つなとは思いましたが、どこかで寝てはいたのでしょう。でもそういう感覚はなし。しんどすぎて仕事にならないので、これは無理と、結局、デバスに戻るしかなかったわけですが、このときが一番辛かった。
どうやればやめれるのか。ふと気がついたのは、実はデバスは飲まないと眠れなくなってるけど、ほんとはその効果はたいしたことは無いのかもしれない、ということ。使ってる量も0.5mgと結構少ない。ならば、1錠でなく、3/4錠にしてもたいしてかわらないはず、とやってみたのが、結果的に正解。こうすることで自分を少しずつだますことができました。3/4錠は、1錠を半分にしてさらに半分にするので面倒ですが、眠れない苦労に比べれば、なんでもありません。
3/4錠でもぐっすり眠れました。だけど、このときは減らしてる感覚もあり、なんだか良い感じ。これでしばらく続けて、そろそろいいかと、半分にしてみました。 これも大丈夫。まだ飲んでる安心感。ならば1/4錠でどうだろう、とさらに減らしたときには、もう大丈夫。ほかに、ちょっと運動してできるだけ体をつかれるようにしたのもこのときは効果的だったのかもしれない。こうなる前も運動してみましたが、単に体が疲れるだけで頭はほてり、えらく辛かっただけでした。他に、寝る前に電子ブックを読むのもかなり有効でで、強烈に眠くなってきます。退屈な本を選ぶ必要はありましたが、逆に難易度の高い本を読むこともできました。面白い本にあたると困ったなあと思いつつも、本好きとしてはそれはそれでうれしいわけで。
デバス0.5mg錠の1/4錠なんて、ほとんど作用も実感ないくらいで、それで寝てるんだからとならばといつでもやめれるという気になり、結局、いつゼロにしたのか覚えてないですが、気がついたら飲まなくても眠ってました。減らし出してから2ヶ月くらいかかったかもしれませんが、それまでの辛さに比べれば、何でもありません。
難しかったのは、どうやれば自分の心をコントロールするか。研究者のせいか、あるいは持って生まれた疑い深い性格が研究者に向いてたのか、眠れるはず、とわかっていても、ほんとか、と心の底で疑ってます。これには少しずつ、実績を作ってなだめてやるしかなし。今にして思えば、ロゼレムが全くだめだったのは幸いだったかもしれない。
今でも、特に次の日に大事なことがあるときは眠れないかなと思うときもありますが、そのときはデバスを1/4錠でも飲めば良い。それにしても、辛い日々でした。
眠れないと困るのでと飲んで次の日もそうかもと思って飲んで、の繰り返しで、忙しくて特に意識してなかったけど、気がついたら10日くらい経過。まずいかもと思ってやめると、眠れないのではという意識が残って、ほんとに眠れない。それでも寝てるんだからと思っても、ほぼ朝まで頭は冴えたまま、のように思えてました。
かといってブロチゾラムはどうも効き過ぎる感があり医者に言いにくいし、デバスは日本では長く使われてきたのでならばこちらにと替えて、割と眠れました。でも今度はデバスを飲まないと、不安が残り頭が熱くなって眠れない。これを飲まずに、いろんなグッズ、なんだか電気パルスで安眠を促すとかいうのなど、いろいろと試したけど、まったく効果なし。ハーブ、グリシン、なんかも全くだめ。そういう問題じゃないなと。
その頃、厚労省がこれまでの指針を改めて、GABA受容体に作用する薬はすべて他のに切り替えるべしという指針を出してきました。この根拠、論文などを見ても、いまいちはっきりしないところもあるのですが、とにかく世界的な流れに沿った形です。この告知も、デバスやめなければというプレッシャーになりました。デバスはベンゾジアゼピン系で、他に非ベンゾジアゼピン系のマンスリーが一般的らしいですが、所詮は同じくGABA受容体への作用薬物、有害性はやはりあるので、全く作用機序の違うロゼレムならよいだろうという内容でした。
それでロゼレムにしてみたところ、昼間の強烈な眠気という副作用を起こして、しかもこれがやめた後も長く引きずり、最悪なのは夜には眠れないという、なんで飲んでるのかわからない事になり、3日で断念、というのは、以前、ロゼレム、という題でこのブログで書きました。体質に寄るのでしょうが、この薬はヨーロッパでは使用が却下されたのは、そういう事情なのかもしれません。何でこんなのを推奨してるのか、厚労省。
ならば非ベンゾジアゼピン系のアモバンならどうだろうとやってみましたが、確かにこれもよく効きますし、ロゼレムのようなことはなかったが、ただ、妙な睡眠感覚で、寝てはいるけど寝た気がしない、夢を見た気がしないのは気のせいなのか、なんだか、これもやめたほうがいいという感じ。それにこの味はとても後を引き、断念。
文字通り、一睡もしない状態で朝日を迎え、次の日はさすがにうとうとくらいはできて、でもまたその次はほぼ一睡もできない、この一日おきの睡眠という状態。これで良く持つなとは思いましたが、どこかで寝てはいたのでしょう。でもそういう感覚はなし。しんどすぎて仕事にならないので、これは無理と、結局、デバスに戻るしかなかったわけですが、このときが一番辛かった。
どうやればやめれるのか。ふと気がついたのは、実はデバスは飲まないと眠れなくなってるけど、ほんとはその効果はたいしたことは無いのかもしれない、ということ。使ってる量も0.5mgと結構少ない。ならば、1錠でなく、3/4錠にしてもたいしてかわらないはず、とやってみたのが、結果的に正解。こうすることで自分を少しずつだますことができました。3/4錠は、1錠を半分にしてさらに半分にするので面倒ですが、眠れない苦労に比べれば、なんでもありません。
3/4錠でもぐっすり眠れました。だけど、このときは減らしてる感覚もあり、なんだか良い感じ。これでしばらく続けて、そろそろいいかと、半分にしてみました。 これも大丈夫。まだ飲んでる安心感。ならば1/4錠でどうだろう、とさらに減らしたときには、もう大丈夫。ほかに、ちょっと運動してできるだけ体をつかれるようにしたのもこのときは効果的だったのかもしれない。こうなる前も運動してみましたが、単に体が疲れるだけで頭はほてり、えらく辛かっただけでした。他に、寝る前に電子ブックを読むのもかなり有効でで、強烈に眠くなってきます。退屈な本を選ぶ必要はありましたが、逆に難易度の高い本を読むこともできました。面白い本にあたると困ったなあと思いつつも、本好きとしてはそれはそれでうれしいわけで。
デバス0.5mg錠の1/4錠なんて、ほとんど作用も実感ないくらいで、それで寝てるんだからとならばといつでもやめれるという気になり、結局、いつゼロにしたのか覚えてないですが、気がついたら飲まなくても眠ってました。減らし出してから2ヶ月くらいかかったかもしれませんが、それまでの辛さに比べれば、何でもありません。
難しかったのは、どうやれば自分の心をコントロールするか。研究者のせいか、あるいは持って生まれた疑い深い性格が研究者に向いてたのか、眠れるはず、とわかっていても、ほんとか、と心の底で疑ってます。これには少しずつ、実績を作ってなだめてやるしかなし。今にして思えば、ロゼレムが全くだめだったのは幸いだったかもしれない。
今でも、特に次の日に大事なことがあるときは眠れないかなと思うときもありますが、そのときはデバスを1/4錠でも飲めば良い。それにしても、辛い日々でした。
2016年5月29日日曜日
アンダーアーマー、いわきFC
311のときには陸路の輸送がたたれて、多くの物資の輸送が滞りました。この結果、いろんな事が起きました。ちょっとできすぎた気もするわけですが、ともかく聞いたとおりに書くと、当時、宮城に物資を運ぼうとしていたunderarmourという会社の車が、いわきのところでそれから北に行けなくなり、立ち往生したそうです。当時のいわき市は大変なことになっていた原発に隣接し、危機的な状況でした。この会社はメリーランド大で元フットボールをしていたケビン・プランクが創設して、いまや世界的なブランドになったスポーツ下着のメーカーです。
そのときに車に乗っていたのがその日本総代理店となる「ドーム」の日本人COE。とにかく、いわきにとどまらざるをえなくなり、ふとあたりを見渡すと、ビジネスチャンスとしてのその土地、いわき市のメリットに気がついたということのようです。
たしかに輸送のことを考えるといわき市は東京に近く、冬暖かく夏涼しいので空調にかける費用が比較的少なくてすみ、港もあります。アンダーアーマーはそこに日本のビジネス拠点を置く決心をして、同時に自分たちの作るスポーツウェアを着るサッカーチームを育てることにしました。それだけでなく、その名の通り、ドーム型のスタジアムを作り、Jリーグを目指して、周囲には60店舗の店が並ぶモールをおいて、試合の日だけで無く、普通に人々で賑わう、街の拠点を作りたいという、夢のような構想を立てました。もちろん、いわき市はもろてをあげて支援を約束しています。
そこには、サッカーをエネルギーにした一つのコミュニティを作りたいという、元スポーツマンらしい願いもあります。そこで、いわきFCを買い取り、元オランダ代表のピーター・ハウストラを監督に呼び、地域リーグとして再出発することにしました。そして、チームを育ててスポンサーになるだけでなく、すべてのスポーツ選手の直面する最大の問題である、選手後のセカンドキャリアも同時に可能性を広げられるように、様々な仕掛けを考案してきています。今は選手は地域リーグでプロではないので、いわきFCの選手は彼らのスポーツウェアの会社で働けるようになっているというのもその第一歩。
また、郡山にある英会話を中心としたランゲージスクールもスポンサーにつけて選手たちが英語を学べるようにしています。同じようにJ1のベガルタ仙台もこの会社と契約して、選手たちは熱心に学んでいるとか。サッカーと英会話スクール、妙な感じもしますが、これにはいくつもメリットがあり、海外のチームとの交流において有効ですし、セカンドキャリアの可能性も広げます。
実際に、英国(スコットランド)グラスゴーのチーム、グラスゴーレンジャーズが日本の開拓にやってきていて、その英会話スクールの会社にまず日本の入り口としてコンタクトして、その社長が間に入って交渉を引き受けて、ベガルタといわきFCに選手を派遣し、また、スコットランドにも選手を送る事になったようです。この社長はグラスゴー出身で、震災でも日本にとどまり英語教育活動を活発にしているところが目にとまったらしい。
このとき、福島ユナイテッドにも交渉したそうですが、興味を示さなかったとのことです。とってもがっかり。選手にとっても福島市にとっても大きなチャンスだったのに。これは経営者のビジョンの問題。これまでユナイテッドのサポでしたが、いわきFCに乗り換えようかな。ともかく、福島に2つのチームが競合することになれば、それは素晴らしいですが。
そのときに車に乗っていたのがその日本総代理店となる「ドーム」の日本人COE。とにかく、いわきにとどまらざるをえなくなり、ふとあたりを見渡すと、ビジネスチャンスとしてのその土地、いわき市のメリットに気がついたということのようです。
たしかに輸送のことを考えるといわき市は東京に近く、冬暖かく夏涼しいので空調にかける費用が比較的少なくてすみ、港もあります。アンダーアーマーはそこに日本のビジネス拠点を置く決心をして、同時に自分たちの作るスポーツウェアを着るサッカーチームを育てることにしました。それだけでなく、その名の通り、ドーム型のスタジアムを作り、Jリーグを目指して、周囲には60店舗の店が並ぶモールをおいて、試合の日だけで無く、普通に人々で賑わう、街の拠点を作りたいという、夢のような構想を立てました。もちろん、いわき市はもろてをあげて支援を約束しています。
そこには、サッカーをエネルギーにした一つのコミュニティを作りたいという、元スポーツマンらしい願いもあります。そこで、いわきFCを買い取り、元オランダ代表のピーター・ハウストラを監督に呼び、地域リーグとして再出発することにしました。そして、チームを育ててスポンサーになるだけでなく、すべてのスポーツ選手の直面する最大の問題である、選手後のセカンドキャリアも同時に可能性を広げられるように、様々な仕掛けを考案してきています。今は選手は地域リーグでプロではないので、いわきFCの選手は彼らのスポーツウェアの会社で働けるようになっているというのもその第一歩。
また、郡山にある英会話を中心としたランゲージスクールもスポンサーにつけて選手たちが英語を学べるようにしています。同じようにJ1のベガルタ仙台もこの会社と契約して、選手たちは熱心に学んでいるとか。サッカーと英会話スクール、妙な感じもしますが、これにはいくつもメリットがあり、海外のチームとの交流において有効ですし、セカンドキャリアの可能性も広げます。
実際に、英国(スコットランド)グラスゴーのチーム、グラスゴーレンジャーズが日本の開拓にやってきていて、その英会話スクールの会社にまず日本の入り口としてコンタクトして、その社長が間に入って交渉を引き受けて、ベガルタといわきFCに選手を派遣し、また、スコットランドにも選手を送る事になったようです。この社長はグラスゴー出身で、震災でも日本にとどまり英語教育活動を活発にしているところが目にとまったらしい。
このとき、福島ユナイテッドにも交渉したそうですが、興味を示さなかったとのことです。とってもがっかり。選手にとっても福島市にとっても大きなチャンスだったのに。これは経営者のビジョンの問題。これまでユナイテッドのサポでしたが、いわきFCに乗り換えようかな。ともかく、福島に2つのチームが競合することになれば、それは素晴らしいですが。
2016年5月24日火曜日
感受体のおどり
abさんご以前と、以後とはまるで世界が違う可能性があるようにすら思えます。黒田夏子について、蓮實 重彦は、若い文学であることをこの前書いた会見の中で述べてました。そうかもしれない。
電子ブック、それもhontoで購入したものしか「abさんご」は持ってませんでした。ですが、あとで本も買いました。こんなことは初めて。普通は自炊して電子ブックで読んでも印象は変わらないものですが、abさんごは随分違う印象。おそらくそれは、あまりにも他の本と違っていて開かないとわからないからなのかもしれません。
13年の暮れに出された「感受体のおどり」は、最近になってはじめて知りました。「abさんご」は、ただただ奇跡としか思えませんでしたが、ここで黒田夏子が示したのは、「abさんご」とは文体を獲得した証であり、その記念日だった、ということでしょうか。「感受体のおどり」、この分厚い創作は、まさに源氏物語。あるいは聖書のよう。この世界は確実に存在し、100年たってもそれは古びないであろうことを確信させます。なぜか、この本は、この世界の救いのよう。
「・・・・まだ私のうしろに四つしか夏がなかった。五つ目の夏に識ったあのやるせなさを、あの土地に住んだ夏ごとに反芻した。太鼓がなつかしいのとも夏がなつかしいのともちがった。一つ幼かったじぶんがなつかしいというのでもなかった。はじめなければならない生を、耐えうるはるかさからよもしてきた宵の匂い、取って返すことのならない時間の哀しみにふと素手でさわってしまった宵の匂い、ただそのあえかさになぶられた。・・・」
はたしてこの本を裁断してInkPadにいれるものかどうか・・
電子ブック、それもhontoで購入したものしか「abさんご」は持ってませんでした。ですが、あとで本も買いました。こんなことは初めて。普通は自炊して電子ブックで読んでも印象は変わらないものですが、abさんごは随分違う印象。おそらくそれは、あまりにも他の本と違っていて開かないとわからないからなのかもしれません。
13年の暮れに出された「感受体のおどり」は、最近になってはじめて知りました。「abさんご」は、ただただ奇跡としか思えませんでしたが、ここで黒田夏子が示したのは、「abさんご」とは文体を獲得した証であり、その記念日だった、ということでしょうか。「感受体のおどり」、この分厚い創作は、まさに源氏物語。あるいは聖書のよう。この世界は確実に存在し、100年たってもそれは古びないであろうことを確信させます。なぜか、この本は、この世界の救いのよう。
「・・・・まだ私のうしろに四つしか夏がなかった。五つ目の夏に識ったあのやるせなさを、あの土地に住んだ夏ごとに反芻した。太鼓がなつかしいのとも夏がなつかしいのともちがった。一つ幼かったじぶんがなつかしいというのでもなかった。はじめなければならない生を、耐えうるはるかさからよもしてきた宵の匂い、取って返すことのならない時間の哀しみにふと素手でさわってしまった宵の匂い、ただそのあえかさになぶられた。・・・」
はたしてこの本を裁断してInkPadにいれるものかどうか・・
2016年5月18日水曜日
三島賞を蓮實重彦がもらうと
今年の三島賞に決まった蓮實重彦氏の会見が秀逸。かつて東大総長として入学式で、ほとんど字幕ルビ無しでは理解できないような難解な祝辞をおくった気骨の文学者らしい。
受賞を聞いてどのような感想を持ったかと聞かれて、「個人的なことなので申しあげません」。審査員の町田庸のコメントに対して感想はと聞かれ、「ありません」。記者団に他に質問はと司会がふると「ないことを期待します」。受賞について喜んでいらっしゃるんでしょうかと聞くと、「まったくよろこんでおりません。はた迷惑なことだと思っています」。この上ない。
その理由が説明されたので、ならば今の文化の状況にものたりなさをかんじているのかと聞かれて「いえ、それはありません」。それでも聞き出す司会がかろうじて引き出した、「『今晩だけはジャズのレコードを大きくかけるのはやめてくれ』と両親に言われたという話があり、その話を読んだときに、私はその方に対するおおいな羨望(せんぼう)を抱きまして」という、彼らしいコメントに、ではいつ頃書きたいと思ったのかと聞かれると、「書きたいなとは一度も思っておりません」。
かつて、ここまでの受賞コメントを述べた人はいないような気がする。奇妙な格好をしてみた人はいたが。それにしても、黒田夏子のabさんごの選考にも彼が関わったとは知らなかった。あれはすごい作品。いまだに新鮮で、たまに、その冒頭の文章が思い浮かびます。
蓮實重彦はかつてぱらぱらとめくっただけで、まともに読んだこともありません。ましてや小説を書いてるとも知らなかった。読んでみなければ。でも調べると、まだ出てなくてがっかり。ともかく、この人は、学問することはかっこいいことだと、80才の今でも全身で伝えている。最高だ。
受賞を聞いてどのような感想を持ったかと聞かれて、「個人的なことなので申しあげません」。審査員の町田庸のコメントに対して感想はと聞かれ、「ありません」。記者団に他に質問はと司会がふると「ないことを期待します」。受賞について喜んでいらっしゃるんでしょうかと聞くと、「まったくよろこんでおりません。はた迷惑なことだと思っています」。この上ない。
その理由が説明されたので、ならば今の文化の状況にものたりなさをかんじているのかと聞かれて「いえ、それはありません」。それでも聞き出す司会がかろうじて引き出した、「『今晩だけはジャズのレコードを大きくかけるのはやめてくれ』と両親に言われたという話があり、その話を読んだときに、私はその方に対するおおいな羨望(せんぼう)を抱きまして」という、彼らしいコメントに、ではいつ頃書きたいと思ったのかと聞かれると、「書きたいなとは一度も思っておりません」。
かつて、ここまでの受賞コメントを述べた人はいないような気がする。奇妙な格好をしてみた人はいたが。それにしても、黒田夏子のabさんごの選考にも彼が関わったとは知らなかった。あれはすごい作品。いまだに新鮮で、たまに、その冒頭の文章が思い浮かびます。
蓮實重彦はかつてぱらぱらとめくっただけで、まともに読んだこともありません。ましてや小説を書いてるとも知らなかった。読んでみなければ。でも調べると、まだ出てなくてがっかり。ともかく、この人は、学問することはかっこいいことだと、80才の今でも全身で伝えている。最高だ。
2016年5月4日水曜日
この横顔
この猫は横顔がかわいい。前住んでいた山の中の住宅地に捨てられてたこの兄弟たち、みんな真っ黒だったけど、この横顔はこの猫だけだった、かどうかはしりませんが。5匹くらいはいたと思います。集まったところなんか見たことないし、ありえないだろうし、わかるわけもないですが。
たぶん、山の中の、これだけ穏やかな住宅街なら誰か拾ってくれるんじゃないかということで捨てたのでしょう。どうしても飼えなくなったんでしょうね、ひどいけど、辛かったろうな。でも、どれだけ生き残ったんだろう。一番よく目にした活動的なかわいい猫は、早い時期に車にひかれて、とても辛い場面を目にしました。あと一匹、うちの住民となったこの子がまだ庭の温室住まいしてたころ、その餌を狙って何度も攻撃してきました。兄弟ながら、厳しい世界です。
あと一匹、首輪をしてたのもいました。その子は、少なくともどこかに引き取られてたはず。他に、ちらちら姿を現していたものもいました。でも、福島では、外猫に冬は厳しい。山に行けば食べるものは見つかっても、冬を切り抜けるのも、車を逃れるのも、そう長くは続きません。家猫になって幸せに暮らしてればと願うばかり。
兄弟の中で、一番小さくて弱かったのがこの猫でした。体のなりが小さく、筋力が無いので、ジャンプして飛べる高さも、せいぜい椅子くらい。5ヶ月間くらいを、外でよく生き延びたものです。小さくて活動的でなくて、何かあぶなそうなことを察知すると黙ってじっとしてるのが逆に良かったのでしょう。進化は必ずしも強くて大きなものが有利なわけではない、ということの生きる証のような(おおげさ)ものかと。
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