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2016年11月29日火曜日

Philip Glass/ The Complete Piano Etudes Maki Namekawa

エストニアのKlassikaradioで耳にした演奏、明らかにPhilip Glassの曲だけど、ピアノの知らない曲。グーグル翻訳と想像力で局のサイトを読み解くと(というほどもないが)、これはNamekawa Makiという人の弾く Philip GlassのPiano etudeという曲らしい。アマゾンで検索すると発見。最近発売されたらしい。Youtubeでもいくつかありますが、全曲があるわけもなし。Glass本人による演奏もありますが、彼はピアニストではなく、指がまめらない。

久々にこの物理CDを購入しました(ダウンロードすると、PCの引っ越しで面倒なこともあるし、このジャケットもいいし)。これは素晴らしい。やはり餅は餅屋、演奏はピアニストに任せましょう。まったく知らない曲集でした。全20曲です。2枚組。

マンハッタンの地下鉄を思い出します。彼の曲を聴くといつでも。楽しいのかどうか、好きなのかどうか、それはわからない、でも確実にこの時代に、あのくすんだ匂いのする暗い地下鉄を持つ時代に我々は生きていることを思い出し、思わず聞きいってしまいます。

最近のCDらしくろくな情報も書いてないですが、この滑川真希という女性はペルトもレパートリーらしい。久々に胸を揺すぶられる想いをしました。我々は、この暗い地下鉄に乗り込んで、油なのかペンキなのかわからない、黒く塗られた無造作なベンチに座って、次に来る列車を待っています。 

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別にこの猫も待ってるわけではないが。お気に入りの座椅子でお花を眺めてます。なぜに、猫に座椅子がいるのかはさておき。

2016年10月28日金曜日

ゲール語の歌

「彼もまた、心のなかで、ゲール語の歌に似た自分だけの歌を歌っているのかもしれない。誰にも真意の届かない、古い言語で個人的な歌を歌っているのかもしれない。そして弁護士にしろ歯医者にしろ、われわれと同じように、彼らなりの深く暗いアフリカへはいっていくのかもしれない。」(アステリア・マクラウドの「夏の終わり」)

カナダの北の西の方、セントローレンス川が大西洋に出るところを塞ぐように横たわるノーバスコーシャ、その名の通り、スコットランドからの移民が多く住む地方を舞台にして、とても静かな物語を描いたアステリア・マクラウド。中でも、一番好きな短編がこの「夏の終わり」です。そういえば、同名の、胸を締め付けられるような美しさと哀しみに溢れる短編が、近藤紘一にありました。

彼は大学で教えていました。寡作で、アンソロジーの短編を除けば、日本では3冊しか出てません。それもそのはず、そもそも長編は1つ、短編も16個とあと少しあるかどうか。

一度だけ、ゲール語の会話を聞いたことがあります。モントリオールでポスドクをしてたころ、ラボに出入りしてた一人の学生がスコットランド出身で、自分はゲール語が通じる相手にはゲール語で話すんだと言ってました。授業の終わりだったか、彼がその数少ないゲール語のわかる友達に話してたのを、たまたま耳にしました。

とても不思議な響きでした。英語とはかけ離れた音で、いろんなヨーロッパ言語の元となったはずですが、どことも似てません。強いて言えば、ラテン語の響きを思い出しましたが、意味なんてわかるわけもなし。

上の短編は、これからアフリカの炭坑でウランを採掘に向かう前、ケープ・ブレトン、ノーバスコーシャの大きな島にある海岸沿いの白い家で、天候の変わるのを待つ父親の、つかの間の夏の休みのお話。

絶壁の上を歩きながら思い出す日々。サスカチュワンの炭坑で、自分の目の前で埋もれて死んでしまった弟のこと、遙か昔に過ぎた人生の夏。上の文章の箇所では遠くに散った子どもたちに思いをはせます。長年の激しい労働に痛めつけられた背中に時々走る激痛に身をよじらせながらも、それでも今なおアフリカに向かう自分。これも彼のゲール語の歌なのかもしれません。


2016年10月22日土曜日

寝てます

外野がどうのこうのいうものではないにしても、BobDylanがレスポンスしないのに対してノーベル賞選考委員が批判してるとか。ほんとにそう言ってるとして、これまた異例。彼が賞を辞退したことはなかったような気がするので、しれっと当日は出てきて受けると思ってましたが、こういう批判には結構、彼は弱い。ただ、それをしっかりと受け止めて、次に生かすことで、今の彼があるわけですが、それはともかく。

どんな賞でも選考してる人が勝手に選ぶもので、確かに連絡しろと言ってるのに無視されるのは選考委員は良い気分でないのはわかるが、レスポンスする義務もないだろうに。傲慢はどちらだ?スケジュールも年内なんてぎっしり埋まってるだろうから、迷惑には違いないだろうし。ひょっとして、選考委員が熱烈なファンで、電話をもらいたかったとか。

ノーベル賞に決まったという電話連絡に、寝てます、といって出なかったのは最高。いかにも彼らしい。こちらの喜びに拍車をかけましたが、選考委員会はこれを後味の悪いものにしてほしくない。相手が悪い、とあきらめましょう。

今後、日本からも、選考委員会から電話をもらっても、寝てます、あるいは、お経をあげてます、とでも答えてくれるような受賞者が出てくることを希望します。


2016年10月16日日曜日

ミルクの森で

そんなわけで、ディラン・トマスの「ミルクの森で」を読み返してると、ふと気がついたことがあります。このまえもかいたもう一人のDylanの2009年のクリスマスソング集、誰もがひっくり返ったに違いないこのアルバムで一番印象的な曲、must be a Santa、この中で、なにより耳に残るのは、リフレインのなんだか規則性がわからない繰り返し。

こんな野放図な繰り返しが、どこからこんなのが出てくるのか、これがいつも彼の謎で、魅力なのですが、このくりかえしは、「ミルクの森で」の中の、引退したキャット船長の夢の中で、溺死者1から5が次々に現れて歌うフレーズのリズムとよく似てます。

と書くと訳わからないですが。彼の書いたこの最高の戯曲は、「小さな町の月のない夜」に、町の人々が見る夢を描いた詩劇です。最初に登場してくるのが、隠退した盲目のキャット船長で、「とびきり上等で小ぎれいな船室の自分の寝台に眠って、夢を見ています」。
そのゆめのなかに、長い船長の人生の中で、おぼれ死んでしまった船員たちが次々に現れて、船長とにぎやかに歌います。
こんな感じ。溺死者1から5が交互に登場しての台詞、

どんなぐあいかね、陸の、娑婆の方は?

ラム酒やアオサ入りパンはあるかい

胸のふっくらしたコマドリちゃんは?

手風琴は?

エベネゼルの鐘は?

殴り合いとタマネギは?

それから、雀と雛菊は?

ジャム壺の中のトゲ魚は?

バターミルクとホイペット犬は?

ねんねんようの赤ちゃんは?

網につるした目障りな洗濯物は?

居心地の良い居酒屋の、あのなつかしい女どもは?

・・・・

延々と続く、この小気味よい歌、このリズム、まさに must be a Santa。彼の天才が一番発揮された作品かもしれない。

先に書いた、激しい雨が降る、の本歌だと書いた部分もキャット船長が
「太陽と、彼がまだ蒼い輝く目をして、ずっと昔、快走船を走らせた海に向かってパッと開け放たれた窓辺で、うとうとしながら航海の夢を見て」
いたときに、その中に現れた、かつて彼が手を出した早熟な娘、ローズィの歌の一節でした。

そもそも、Bob Dylanの特徴的な早口の畳語は、まさにこの「ミルクの森」ととてもよく似てます。意識しているとは思えないですが、50年を隔てて、Dylan ThomasはBob Dylanとなって、歌になり姿を現したのかもしれません。

2016年10月14日金曜日

激しい雨が降る

まだ興奮冷めやらぬ中、Dylan氏は昨夜のコンサートで一言も触れなかったとか。さっすが。かつてサルトルが受賞の打診を受けたとき、断ったという有名な話がありますが、それについでくらいcool。まさか断ったりして?どちらでもいい、彼らしく決めてくれれば。単純なこの喜びは、自分でなぜ?と思うくらい、ほんとうれしい。

Dylan Thomasはてっきり受賞してたのかと思ってましたが、違ったようです。また、昨日、ソールベロー以来かと書きましたが、トニー・モリスンという黒人女流作家がそのあとで受けてたのですね、この人全然知らない。(←嘘、本が実家の書棚にありました。若い頃読んで、ちっとも残ってないようです)

60年代、後半に入って急に難解な詩を書き出したDylanに、「Dylanologist」たちが出てきて、彼の詩の研究と解説を始めたことがあります。迷惑げなBobDylanは、そんなのやらないで、トルストイとかやればいいのにと、ドキュメンタリー版のBringing it all back homeのなかで語ってた、そんな記憶があります。

前も書きましたが、「激しい雨が降る」は、長らくどこかのフォークロアのスタイルかと思ってましたが、Dylan Thomasの「ミルクの森の中で」、彼の有名な戯曲というのか、詩劇というのか、あきらかにこれが元歌。ディラン・トマス全集を古本屋で見つけて喜んで買って、読んでたときに、気がつきました。詩劇の中で歌われる詩です。多くの彼の作品を訳してくれた松浦直巳氏の訳では
「トム・キャットさん
どんな海を見たの
遠い遠い昔の
あなたの船乗り時代に
あなたがわたしの船長であったころ
のたうつ緑の海原に
どんな海獣がいたの

ほんとのことをいうと
あざらしのように海は吠え
波は蒼くまた緑
海には鰻に
人魚い鯨が一杯

どんな海を渡ったの
ねえ お年寄りの捕鯨者さん
ウェールズからシスコまで
ふっくらふくらんだ波に乗り
あなたがわたしの甲板長であったころ

ここにいるほど確かなことは
かわいいおまえがトムキャットの女だったこと
海に不慣れのローズィよ
おまえ 気楽な恋人よ
わたしのとってもやさしい
私のほんとの恋人と
海は豆のように緑で
アザラシの吠える月の夜は
海に白鳥が浮かんでいたよ
・・・ 」

延々と続きます。激しい雨が降る、ではこれを、全然違う場面に置き換えて、ひとつの様式として使ってます。寺山修司にちょっと似たところがあるのかな。そういえば、風に吹かれては盗作だという話がずっと昔ありました。どこかの民謡のメロディののせたものかもしれない。でもパクるのは芸術の基本。

詩そのものとしては、DylanThomasにかなうものではないですが、彼はそれを他の方法で表現しました。きっともっと若い頃、ものすごく読んでいたに違いない。すっかり彼自身になってます。たとえばDylan Thomasはこうやって、言葉だけで劇場を作りますが、

I see the boys of summer in their ruin
Lay the gold tithings barren,
Setting no store by harvest, freeze the soils;
と歌い出して、

I see you boys of summer in your ruin.
Man in his maggot's barren.
And boys are full and foreign in the pouch.
I am the man your father was.
We are the sons of flint and pitch.
0  see the poles are kissing as they cross.

と終わるように。神々しいまでの圧倒的な言葉の劇場を。だけど、もう一人のDylanはそのように自分の声で表現できます。希有の存在。Royal Albert HalllでLove Minus zeroをうたう彼のテープを見てると、神がかって見えます。それにしても、こうしてDylanThomasの詩を書いてみると、言葉の選択が強い影響を受けてるのがよくわかります。

そんな意味で、まさに吟遊詩人、Minstrel Boy。もっとも、73年以降の彼にはあまり心動かされるものがなくなってしまって、もうでてくるなとすら思って、ボストンに住んでいた頃、近くの大学でコンサートがあったときには行きもしませんでしたが、心臓発作から復活した後はさらにすごさをましたものを感じました。Time out of mind、何十年ぶりの衝撃でした。ノーベル賞委員会を動かしたのはこの後の活動かもしれない。何しろ、クリスマスソング集を出すとは思いも寄らなかったし、そのできばえには、目眩がしました。詩は73年以降もひたすら伸び続けたのかもしれない。

でもやはり最高峰は、65年前後、ロックを手にした直後から、バングラデッシュまででしょう。Fourth time aroundなんて、ありえない歌。はじめて、中学校2年の時に聞いて以来、これがなんなのか、永遠の謎。


付記 と書きましたが、どうやら激しい雨が降るの本歌は、ロード・ランダルという、やはり伝承歌のことだとか。独教大の先生がそういわれてるという話がどこかに書かれてました。なるほど。トマスの方はそれに乗せたのかな。確かに、いかにもそんな感じですね。BobDylanは両方ともよく知っててあの作品ができたのかな。

2016年9月17日土曜日

cold fusion

モントリオールでポスドクをしていた頃、ボスが、すごい発見があった、これで資源を持たない日本は助かるぞ、ものすごいことだ、と興奮して話してくれたことがありました。ユタ大学で、当時は滅多になかった大学としての公式記者会見で、フライシュマンとポンス教授が、電気泳動で核融合ができた、ということを発表しました。核融合は人類の夢、太陽よりも高い温度で、とんでもない高圧下でのみ、重水素をヘリウムに変換できる、それを実現するために国際協力機関で膨大な費用を投じて長期にわたり開発を進めてきた究極のエネルギー開発。

そんなものが、いっては悪いですが、田舎の大学で(実は優れた大学です、ほんと)しかも普通の化学の実験室で、しかも学生がやるような電気泳動で実現できるわけないだろうと、専門家は即断し、猛烈な追及を受け、世界中で追試が行われてもほぼ再現できず、えせ科学とされてきました。ユタ大学は当初から熱心で、cold fusionの研究所まで作って支援を続けてましたが、2年のうちに閉鎖となりました。二人は耐えきれず、ヨーロッパに逃げ、TOYOTA等の財団の支援で研究を続けてましたが、フライシュマンだけが研究を続けて論文を発表し続けてましたが12年に亡くなったそうです。Wikiのこの記事を読むと、こんんなことになってたんだと、興味津々でした。

しかし、核融合に伴うはずの証拠が余りにも弱く、理論がなく、再現性も乏しい中、ただ全くできないわけではなく、入れたよりも余剰の熱が発生するという現象はどうも確かに起きることがあるようで、ほとんど一流紙には載りませんが、その可能性にかけて研究を継続してきた研究者たちがいるとのことを、ネットの記事で読みました。

以前、三菱関連会社が核廃棄物を、元素を変換して処理する技術を開発しているということは読んだことがありますが、原子を変換するとは核分裂か核融合しかないわけで、核融合??、それも小さなプラントで??という疑問符だらけでした。どうやら、他にもいくつもベンチャー企業が手がけていて、low energy nuclear reactions、略してLENRsと呼ばれているようです。ECATという会社のサイトによると、ごくわずかな燃料を使って、20cmx5cmという小さな反応コアでKWレベルのエネルギーを何ヶ月も安定して産生する、とか。簡単な装置のようで、簡易型でしょうが、核融合キット!すら売られてます。250ドル、なんと。
http://www.lookingforheat.com/shop/diy-kits/lenr-test-kit-mk1-model-t/
です。

日本では、これを凝縮体系核反応とよんでいるようですが、もともとユタ大学で用いられた電気分解を用いる方法のほかに、大阪大学の荒田吉明という人が高圧の重水素をパラジウムの中に吹き込むことでと、ヘリウムができて余剰熱が発生する、という現象を発見し、「エネルギーを使わずに酸化ジルコニウム・パラジウム合金の格子状超微細金属粒子内に重水素ガスを吹き込むことだけで、大気中の10万倍のヘリウムと30kJの熱が検出された」と日経新聞は報じています。公開実験も行っており、この方法の再現性は高いようです。ただ、ECATが言ってるレベルの再現性ある安定なエネルギー産生には、まだどこも到達していないらしい。多くのベンチャーは、立ち上げの期待に添って成果を上げているようにはあんまり見えません。

核融合で出てくるはずの中性子は、ユタ大学からの発表と一貫して、殆ど出ないわけですが、この現象は核融合ではなく元素変換であるということを北大の研究者は報告しており、それで説明がつくのかどうか。私がネットで見た記事は東北大の寄付講座に荒田法によりエネルギー産生を研究する企業がはいったというものでした。三菱系列だったかな。

何でも良いので、入れた以上の熱が出てくるのならば、それは確かに革命的になる可能性はあります。ただ、いずれも小規模、ベンチトップサイズのようで、実際に使えるエネルギー規模になりえるものなのか。そもそも、入れたエネルギー以上という、その計算が正しいのかも批判されてもいるようです。 理論がなく、研究成果がまともな雑誌に載らないことがなによりも辛いことでしょう。

少なくとも、失意のうちになくなったポンズ、フライシュマン教授の夢は、まだ途絶えていないことは確か。なにかはありそう。ほんものであってほしいものです。

2016年9月10日土曜日

aura one、ChainLPの設定

aura oneに入れる本のサイズをどこまで減らせるのか。ChainLPでは詳細設定>画像の本文で、PNGの形式の時に、色深度を選択できますが、これは本の場合、普通は2bit、つまり4階調にしてます。文字の識別に何の問題もありません。写真などの場合は挿絵のところで色深度を4bit、たまに8にすることもありますが、これはそのたびにページを指定しないといけないので、表紙や最初にでてくる写真だけにしか使いません。
ほんとかと、比較して見ると、



















左が3bit、つまり8階調、右が2bitにしたものですが、全く区別がつきません。大野 克嗣の有名な「非線形な世界」です。文字は4階調もあれば十分。


問題は解像度。「ジョイスのための長い夜」で、2つに変えて比較してみました。この2つ、並べても区別がつきませんが、左が1130*877、右が1872*1454の解像度でChainLPでCBZに変換したものです。サイズは左が22.8M、右が65.3Mと3倍違います。つまり、こういうサイズの文字の場合、1130*877で全く問題なし。


ただこれは文字が大きい。小さな文字の大野さんの本ではどうか。
 これは左が1130*877、真ん中が1454*1130、右が1872*1454の解像度にしたものですが、かなり差が出ました。どれでも苦もなく読めるには違いないですが、やはりフル解像度が一番。サイズは左から、18.5、27.2、42.3Mb。この文字サイズの本はあきらめてフル解像度を選択です。
 こちら、最近よく読む、トルコの作家、オルハン・パムクの「新しい人生」で、左が1130*877、右が1872*1454の解像度。これくらいの文字サイズなら差はそれほどみえません。少なくとも読むときの印象においては。サイズはそれぞれ18.9、52.8Mb。

大抵の単行本なら1130*877でいけそうですが、そこは中身と目的に応じて選択。ともかく、容量が6.7Gしかなくても300冊は入りそうな感じがしてきました。