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2016年11月29日火曜日

Philip Glass/ The Complete Piano Etudes Maki Namekawa

エストニアのKlassikaradioで耳にした演奏、明らかにPhilip Glassの曲だけど、ピアノの知らない曲。グーグル翻訳と想像力で局のサイトを読み解くと(というほどもないが)、これはNamekawa Makiという人の弾く Philip GlassのPiano etudeという曲らしい。アマゾンで検索すると発見。最近発売されたらしい。Youtubeでもいくつかありますが、全曲があるわけもなし。Glass本人による演奏もありますが、彼はピアニストではなく、指がまめらない。

久々にこの物理CDを購入しました(ダウンロードすると、PCの引っ越しで面倒なこともあるし、このジャケットもいいし)。これは素晴らしい。やはり餅は餅屋、演奏はピアニストに任せましょう。まったく知らない曲集でした。全20曲です。2枚組。

マンハッタンの地下鉄を思い出します。彼の曲を聴くといつでも。楽しいのかどうか、好きなのかどうか、それはわからない、でも確実にこの時代に、あのくすんだ匂いのする暗い地下鉄を持つ時代に我々は生きていることを思い出し、思わず聞きいってしまいます。

最近のCDらしくろくな情報も書いてないですが、この滑川真希という女性はペルトもレパートリーらしい。久々に胸を揺すぶられる想いをしました。我々は、この暗い地下鉄に乗り込んで、油なのかペンキなのかわからない、黒く塗られた無造作なベンチに座って、次に来る列車を待っています。 

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別にこの猫も待ってるわけではないが。お気に入りの座椅子でお花を眺めてます。なぜに、猫に座椅子がいるのかはさておき。

2016年10月28日金曜日

ゲール語の歌

「彼もまた、心のなかで、ゲール語の歌に似た自分だけの歌を歌っているのかもしれない。誰にも真意の届かない、古い言語で個人的な歌を歌っているのかもしれない。そして弁護士にしろ歯医者にしろ、われわれと同じように、彼らなりの深く暗いアフリカへはいっていくのかもしれない。」(アステリア・マクラウドの「夏の終わり」)

カナダの北の西の方、セントローレンス川が大西洋に出るところを塞ぐように横たわるノーバスコーシャ、その名の通り、スコットランドからの移民が多く住む地方を舞台にして、とても静かな物語を描いたアステリア・マクラウド。中でも、一番好きな短編がこの「夏の終わり」です。そういえば、同名の、胸を締め付けられるような美しさと哀しみに溢れる短編が、近藤紘一にありました。

彼は大学で教えていました。寡作で、アンソロジーの短編を除けば、日本では3冊しか出てません。それもそのはず、そもそも長編は1つ、短編も16個とあと少しあるかどうか。

一度だけ、ゲール語の会話を聞いたことがあります。モントリオールでポスドクをしてたころ、ラボに出入りしてた一人の学生がスコットランド出身で、自分はゲール語が通じる相手にはゲール語で話すんだと言ってました。授業の終わりだったか、彼がその数少ないゲール語のわかる友達に話してたのを、たまたま耳にしました。

とても不思議な響きでした。英語とはかけ離れた音で、いろんなヨーロッパ言語の元となったはずですが、どことも似てません。強いて言えば、ラテン語の響きを思い出しましたが、意味なんてわかるわけもなし。

上の短編は、これからアフリカの炭坑でウランを採掘に向かう前、ケープ・ブレトン、ノーバスコーシャの大きな島にある海岸沿いの白い家で、天候の変わるのを待つ父親の、つかの間の夏の休みのお話。

絶壁の上を歩きながら思い出す日々。サスカチュワンの炭坑で、自分の目の前で埋もれて死んでしまった弟のこと、遙か昔に過ぎた人生の夏。上の文章の箇所では遠くに散った子どもたちに思いをはせます。長年の激しい労働に痛めつけられた背中に時々走る激痛に身をよじらせながらも、それでも今なおアフリカに向かう自分。これも彼のゲール語の歌なのかもしれません。


2016年10月22日土曜日

寝てます

外野がどうのこうのいうものではないにしても、BobDylanがレスポンスしないのに対してノーベル賞選考委員が批判してるとか。ほんとにそう言ってるとして、これまた異例。彼が賞を辞退したことはなかったような気がするので、しれっと当日は出てきて受けると思ってましたが、こういう批判には結構、彼は弱い。ただ、それをしっかりと受け止めて、次に生かすことで、今の彼があるわけですが、それはともかく。

どんな賞でも選考してる人が勝手に選ぶもので、確かに連絡しろと言ってるのに無視されるのは選考委員は良い気分でないのはわかるが、レスポンスする義務もないだろうに。傲慢はどちらだ?スケジュールも年内なんてぎっしり埋まってるだろうから、迷惑には違いないだろうし。ひょっとして、選考委員が熱烈なファンで、電話をもらいたかったとか。

ノーベル賞に決まったという電話連絡に、寝てます、といって出なかったのは最高。いかにも彼らしい。こちらの喜びに拍車をかけましたが、選考委員会はこれを後味の悪いものにしてほしくない。相手が悪い、とあきらめましょう。

今後、日本からも、選考委員会から電話をもらっても、寝てます、あるいは、お経をあげてます、とでも答えてくれるような受賞者が出てくることを希望します。


2016年10月16日日曜日

ミルクの森で

そんなわけで、ディラン・トマスの「ミルクの森で」を読み返してると、ふと気がついたことがあります。このまえもかいたもう一人のDylanの2009年のクリスマスソング集、誰もがひっくり返ったに違いないこのアルバムで一番印象的な曲、must be a Santa、この中で、なにより耳に残るのは、リフレインのなんだか規則性がわからない繰り返し。

こんな野放図な繰り返しが、どこからこんなのが出てくるのか、これがいつも彼の謎で、魅力なのですが、このくりかえしは、「ミルクの森で」の中の、引退したキャット船長の夢の中で、溺死者1から5が次々に現れて歌うフレーズのリズムとよく似てます。

と書くと訳わからないですが。彼の書いたこの最高の戯曲は、「小さな町の月のない夜」に、町の人々が見る夢を描いた詩劇です。最初に登場してくるのが、隠退した盲目のキャット船長で、「とびきり上等で小ぎれいな船室の自分の寝台に眠って、夢を見ています」。
そのゆめのなかに、長い船長の人生の中で、おぼれ死んでしまった船員たちが次々に現れて、船長とにぎやかに歌います。
こんな感じ。溺死者1から5が交互に登場しての台詞、

どんなぐあいかね、陸の、娑婆の方は?

ラム酒やアオサ入りパンはあるかい

胸のふっくらしたコマドリちゃんは?

手風琴は?

エベネゼルの鐘は?

殴り合いとタマネギは?

それから、雀と雛菊は?

ジャム壺の中のトゲ魚は?

バターミルクとホイペット犬は?

ねんねんようの赤ちゃんは?

網につるした目障りな洗濯物は?

居心地の良い居酒屋の、あのなつかしい女どもは?

・・・・

延々と続く、この小気味よい歌、このリズム、まさに must be a Santa。彼の天才が一番発揮された作品かもしれない。

先に書いた、激しい雨が降る、の本歌だと書いた部分もキャット船長が
「太陽と、彼がまだ蒼い輝く目をして、ずっと昔、快走船を走らせた海に向かってパッと開け放たれた窓辺で、うとうとしながら航海の夢を見て」
いたときに、その中に現れた、かつて彼が手を出した早熟な娘、ローズィの歌の一節でした。

そもそも、Bob Dylanの特徴的な早口の畳語は、まさにこの「ミルクの森」ととてもよく似てます。意識しているとは思えないですが、50年を隔てて、Dylan ThomasはBob Dylanとなって、歌になり姿を現したのかもしれません。

2016年10月14日金曜日

激しい雨が降る

まだ興奮冷めやらぬ中、Dylan氏は昨夜のコンサートで一言も触れなかったとか。さっすが。かつてサルトルが受賞の打診を受けたとき、断ったという有名な話がありますが、それについでくらいcool。まさか断ったりして?どちらでもいい、彼らしく決めてくれれば。単純なこの喜びは、自分でなぜ?と思うくらい、ほんとうれしい。

Dylan Thomasはてっきり受賞してたのかと思ってましたが、違ったようです。また、昨日、ソールベロー以来かと書きましたが、トニー・モリスンという黒人女流作家がそのあとで受けてたのですね、この人全然知らない。(←嘘、本が実家の書棚にありました。若い頃読んで、ちっとも残ってないようです)

60年代、後半に入って急に難解な詩を書き出したDylanに、「Dylanologist」たちが出てきて、彼の詩の研究と解説を始めたことがあります。迷惑げなBobDylanは、そんなのやらないで、トルストイとかやればいいのにと、ドキュメンタリー版のBringing it all back homeのなかで語ってた、そんな記憶があります。

前も書きましたが、「激しい雨が降る」は、長らくどこかのフォークロアのスタイルかと思ってましたが、Dylan Thomasの「ミルクの森の中で」、彼の有名な戯曲というのか、詩劇というのか、あきらかにこれが元歌。ディラン・トマス全集を古本屋で見つけて喜んで買って、読んでたときに、気がつきました。詩劇の中で歌われる詩です。多くの彼の作品を訳してくれた松浦直巳氏の訳では
「トム・キャットさん
どんな海を見たの
遠い遠い昔の
あなたの船乗り時代に
あなたがわたしの船長であったころ
のたうつ緑の海原に
どんな海獣がいたの

ほんとのことをいうと
あざらしのように海は吠え
波は蒼くまた緑
海には鰻に
人魚い鯨が一杯

どんな海を渡ったの
ねえ お年寄りの捕鯨者さん
ウェールズからシスコまで
ふっくらふくらんだ波に乗り
あなたがわたしの甲板長であったころ

ここにいるほど確かなことは
かわいいおまえがトムキャットの女だったこと
海に不慣れのローズィよ
おまえ 気楽な恋人よ
わたしのとってもやさしい
私のほんとの恋人と
海は豆のように緑で
アザラシの吠える月の夜は
海に白鳥が浮かんでいたよ
・・・ 」

延々と続きます。激しい雨が降る、ではこれを、全然違う場面に置き換えて、ひとつの様式として使ってます。寺山修司にちょっと似たところがあるのかな。そういえば、風に吹かれては盗作だという話がずっと昔ありました。どこかの民謡のメロディののせたものかもしれない。でもパクるのは芸術の基本。

詩そのものとしては、DylanThomasにかなうものではないですが、彼はそれを他の方法で表現しました。きっともっと若い頃、ものすごく読んでいたに違いない。すっかり彼自身になってます。たとえばDylan Thomasはこうやって、言葉だけで劇場を作りますが、

I see the boys of summer in their ruin
Lay the gold tithings barren,
Setting no store by harvest, freeze the soils;
と歌い出して、

I see you boys of summer in your ruin.
Man in his maggot's barren.
And boys are full and foreign in the pouch.
I am the man your father was.
We are the sons of flint and pitch.
0  see the poles are kissing as they cross.

と終わるように。神々しいまでの圧倒的な言葉の劇場を。だけど、もう一人のDylanはそのように自分の声で表現できます。希有の存在。Royal Albert HalllでLove Minus zeroをうたう彼のテープを見てると、神がかって見えます。それにしても、こうしてDylanThomasの詩を書いてみると、言葉の選択が強い影響を受けてるのがよくわかります。

そんな意味で、まさに吟遊詩人、Minstrel Boy。もっとも、73年以降の彼にはあまり心動かされるものがなくなってしまって、もうでてくるなとすら思って、ボストンに住んでいた頃、近くの大学でコンサートがあったときには行きもしませんでしたが、心臓発作から復活した後はさらにすごさをましたものを感じました。Time out of mind、何十年ぶりの衝撃でした。ノーベル賞委員会を動かしたのはこの後の活動かもしれない。何しろ、クリスマスソング集を出すとは思いも寄らなかったし、そのできばえには、目眩がしました。詩は73年以降もひたすら伸び続けたのかもしれない。

でもやはり最高峰は、65年前後、ロックを手にした直後から、バングラデッシュまででしょう。Fourth time aroundなんて、ありえない歌。はじめて、中学校2年の時に聞いて以来、これがなんなのか、永遠の謎。


付記 と書きましたが、どうやら激しい雨が降るの本歌は、ロード・ランダルという、やはり伝承歌のことだとか。独教大の先生がそういわれてるという話がどこかに書かれてました。なるほど。トマスの方はそれに乗せたのかな。確かに、いかにもそんな感じですね。BobDylanは両方ともよく知っててあの作品ができたのかな。

2016年9月17日土曜日

cold fusion

モントリオールでポスドクをしていた頃、ボスが、すごい発見があった、これで資源を持たない日本は助かるぞ、ものすごいことだ、と興奮して話してくれたことがありました。ユタ大学で、当時は滅多になかった大学としての公式記者会見で、フライシュマンとポンス教授が、電気泳動で核融合ができた、ということを発表しました。核融合は人類の夢、太陽よりも高い温度で、とんでもない高圧下でのみ、重水素をヘリウムに変換できる、それを実現するために国際協力機関で膨大な費用を投じて長期にわたり開発を進めてきた究極のエネルギー開発。

そんなものが、いっては悪いですが、田舎の大学で(実は優れた大学です、ほんと)しかも普通の化学の実験室で、しかも学生がやるような電気泳動で実現できるわけないだろうと、専門家は即断し、猛烈な追及を受け、世界中で追試が行われてもほぼ再現できず、えせ科学とされてきました。ユタ大学は当初から熱心で、cold fusionの研究所まで作って支援を続けてましたが、2年のうちに閉鎖となりました。二人は耐えきれず、ヨーロッパに逃げ、TOYOTA等の財団の支援で研究を続けてましたが、フライシュマンだけが研究を続けて論文を発表し続けてましたが12年に亡くなったそうです。Wikiのこの記事を読むと、こんんなことになってたんだと、興味津々でした。

しかし、核融合に伴うはずの証拠が余りにも弱く、理論がなく、再現性も乏しい中、ただ全くできないわけではなく、入れたよりも余剰の熱が発生するという現象はどうも確かに起きることがあるようで、ほとんど一流紙には載りませんが、その可能性にかけて研究を継続してきた研究者たちがいるとのことを、ネットの記事で読みました。

以前、三菱関連会社が核廃棄物を、元素を変換して処理する技術を開発しているということは読んだことがありますが、原子を変換するとは核分裂か核融合しかないわけで、核融合??、それも小さなプラントで??という疑問符だらけでした。どうやら、他にもいくつもベンチャー企業が手がけていて、low energy nuclear reactions、略してLENRsと呼ばれているようです。ECATという会社のサイトによると、ごくわずかな燃料を使って、20cmx5cmという小さな反応コアでKWレベルのエネルギーを何ヶ月も安定して産生する、とか。簡単な装置のようで、簡易型でしょうが、核融合キット!すら売られてます。250ドル、なんと。
http://www.lookingforheat.com/shop/diy-kits/lenr-test-kit-mk1-model-t/
です。

日本では、これを凝縮体系核反応とよんでいるようですが、もともとユタ大学で用いられた電気分解を用いる方法のほかに、大阪大学の荒田吉明という人が高圧の重水素をパラジウムの中に吹き込むことでと、ヘリウムができて余剰熱が発生する、という現象を発見し、「エネルギーを使わずに酸化ジルコニウム・パラジウム合金の格子状超微細金属粒子内に重水素ガスを吹き込むことだけで、大気中の10万倍のヘリウムと30kJの熱が検出された」と日経新聞は報じています。公開実験も行っており、この方法の再現性は高いようです。ただ、ECATが言ってるレベルの再現性ある安定なエネルギー産生には、まだどこも到達していないらしい。多くのベンチャーは、立ち上げの期待に添って成果を上げているようにはあんまり見えません。

核融合で出てくるはずの中性子は、ユタ大学からの発表と一貫して、殆ど出ないわけですが、この現象は核融合ではなく元素変換であるということを北大の研究者は報告しており、それで説明がつくのかどうか。私がネットで見た記事は東北大の寄付講座に荒田法によりエネルギー産生を研究する企業がはいったというものでした。三菱系列だったかな。

何でも良いので、入れた以上の熱が出てくるのならば、それは確かに革命的になる可能性はあります。ただ、いずれも小規模、ベンチトップサイズのようで、実際に使えるエネルギー規模になりえるものなのか。そもそも、入れたエネルギー以上という、その計算が正しいのかも批判されてもいるようです。 理論がなく、研究成果がまともな雑誌に載らないことがなによりも辛いことでしょう。

少なくとも、失意のうちになくなったポンズ、フライシュマン教授の夢は、まだ途絶えていないことは確か。なにかはありそう。ほんものであってほしいものです。

2016年9月10日土曜日

aura one、ChainLPの設定

aura oneに入れる本のサイズをどこまで減らせるのか。ChainLPでは詳細設定>画像の本文で、PNGの形式の時に、色深度を選択できますが、これは本の場合、普通は2bit、つまり4階調にしてます。文字の識別に何の問題もありません。写真などの場合は挿絵のところで色深度を4bit、たまに8にすることもありますが、これはそのたびにページを指定しないといけないので、表紙や最初にでてくる写真だけにしか使いません。
ほんとかと、比較して見ると、



















左が3bit、つまり8階調、右が2bitにしたものですが、全く区別がつきません。大野 克嗣の有名な「非線形な世界」です。文字は4階調もあれば十分。


問題は解像度。「ジョイスのための長い夜」で、2つに変えて比較してみました。この2つ、並べても区別がつきませんが、左が1130*877、右が1872*1454の解像度でChainLPでCBZに変換したものです。サイズは左が22.8M、右が65.3Mと3倍違います。つまり、こういうサイズの文字の場合、1130*877で全く問題なし。


ただこれは文字が大きい。小さな文字の大野さんの本ではどうか。
 これは左が1130*877、真ん中が1454*1130、右が1872*1454の解像度にしたものですが、かなり差が出ました。どれでも苦もなく読めるには違いないですが、やはりフル解像度が一番。サイズは左から、18.5、27.2、42.3Mb。この文字サイズの本はあきらめてフル解像度を選択です。
 こちら、最近よく読む、トルコの作家、オルハン・パムクの「新しい人生」で、左が1130*877、右が1872*1454の解像度。これくらいの文字サイズなら差はそれほどみえません。少なくとも読むときの印象においては。サイズはそれぞれ18.9、52.8Mb。

大抵の単行本なら1130*877でいけそうですが、そこは中身と目的に応じて選択。ともかく、容量が6.7Gしかなくても300冊は入りそうな感じがしてきました。

2016年9月8日木曜日

Kobo aura one 到着!

6日に発売のKobo aura oneを、午前中に注文したら、昨日、到着。早!

確かに軽い。これなら持ちやすい。まずはセットアップ。これがネットにつながないとできず、しかも楽天にログインする必要がありうっとうしいですが、とりあえずインストールだけやって、WiFiを終了。とにかく自炊した本がどのように表示されるのかが気になり、気もそぞろにマイクロUSBでPCにつないで本を入れてみました。そういえば、これは確か、防水だったと思いますが、H2OのようにマイクロUSBのラバーカバーがなくなり、さしやすくなりました。

スキャンした本の解像度はとにかくスペック通り、1872x1454にして、ChainLPを使って、まずは、今まで同じ大きさのリーダーで愛用している、InkPadと同じくEPUBフォーマットに変換して入れてみました。ところが上下に無駄なスペースが出て、小さくしか表示されません。ネットで調べるとauraではKobo eReader.confのファイルの設定を書き換える必要があるとあって、TeraPadで書き換えてみましたが、だめ。ふと、KOBOだからaura H2Oと同じでcbzならどうだろうとやってみたところ、あっさり解決。全画面表示になりました。なかなか焦ります。

aura oneが売りにしてるものに色温度・明るさの自動調整というのがあります。なるほど暗いところでは赤っぽくなります。でも、普通、色温度が低いともっとオレンジ色になると思うのですが、ちょっと赤すぎて、あまり心地よいとは思えないので、これはちょっとだけ入れる程度にして、また、自動調整もうるさいのでオフにして、結局、ちょっとだけ赤い色調に固定しました。

さすがはcarta Ink、特にバックライトを少し入れたときのコントラストが高く、紙のように鮮明です。以前、InkPadを買ったときに撮影したのと同じくカフカ全集の日記で比較すると、
左がaura one、右は今で使ってたPocket bookのInkPad(英国経由で入手)。こうやっても左が赤く見えるだけであまりよくわからないですが、実際には鮮明さにかなり差があります。InkPadはPearl Inkなので、なんだかぱっとしない感じで、これがいまいち感を強めてました。また、解像度が高い分、精細感もあります、書きましたが、なぜでしょう、解像度はInkPadが1600x1200なのでたいして変わらないはずですが。Carta eInkのせいかな。

もう一つ、InkPadに比べて大きな差は速さ。解像度がでかい分、ファイルサイズはH2Oより77%大きいのですが、割と快適に動きます。起動も速いし。InkPadはなによりもそこが不満。まったりしすぎ。速さはH2Oとほぼ変わらないくらいかな。文字表示領域の広さはInkPadとほとんど同一です。

また、displayはH2Oとは違って、フラットで、ベゼルとの境の段差がなく、ざらざら感がH2Oから進化していて、なかなか新しい感じ。ただ、裏側の滑り止め、鉄の土瓶の表面にあるような小さなさざ波のような作りは、あまり快適では無いかな。慣れでしょうが。

当然ながらKOBOとはいえ表示は日本語にできるので、InkPadのように日本語が文字負けしたり(表示されなくて当然なのだけど、中途半端に漢字も出るので日本語も入れてます)、本の整理はH2Oと同じようにできます。というか、ソフトはほとんどH2Oと同じ。

最大の難点はmicroSDが差せないこと。8Gとはいえ、実質は6.7Gしかなくて、単行本100冊、削って200冊くらいですか。ま、そのころには別のが出るだろうからいいか。一台にすべてを放り込む必要は無いわけで。

Aura H2Oは女房がなかなか返してくれないので、これをデフォールトにしようかとも思ってます。これで電子ブックリーザーはキンドルからはじまって4冊目、と書いてましたが、よく考えると、5冊目になりました。2つのキンドルの方にはあわせて300冊くらい、端末には満タンになりました。auroH2Oに400冊ほど入ってます。これはさすがに文庫本専門で、128GmicroUSBにしてるのであと3000冊くらいは入る計算で、文庫はこちらにしてあとは壊れるまで十分。女房さえ返してくれれば。InkPadに単行本が200冊くらいか。

本の処分ができつつあるので、一室の壁を全面埋めていた書棚はバルコニーでの植物用の棚として活用されつつあります。地震が来ても本が倒れて生き埋めになることはなくなったかな。

さすがにこれは売れてるようですね。キンドルはハードはほぼあきらめてる印象があり、本格的電子本リーダー(というよりは本の電子リーダーか)はKOBOの独占になりつつあるのでしょうか。これはあまりよろしくないのですが。

付記
2017/2/11
この記事に、いまだに多くの方が訪問してくれていることに気がつきました。ので追加を。今では、すっかり私はaura one、女房はaura H2Oになりました。次の記事で書いたように、解像度を落とすことで、スキャンした本のサイズを減らせるので、メモリの制約は今のところまだ感じません。懸案だったブルーライト対策のうっとおしさは、自動設定を外し、適当な色温度に固定したら、なかなか良い感じになりました。

まったく何の問題もなく、どこに行くのもこれ一冊。文庫本からハードカバーまで無理なく読めます。2冊のキンドルはすっかり出番がなくなり、バッテリーも切れたままです。一度、aura oneを使うとキンドルはもう読めません。電子本さえ買わなければWiFiをつける必要は無いので切っておいて、毎日一時間開いたとすると、バッテリーは、公称の1ヶ月よりかなり長く持ちます。少なくとも6週間は持ってる印象です。もちろんどれくらい一日読むか、背景照明に寄りますが。薄いので持ちやすく、背広のポケットは無理でもジャンバーやコートなら楽に入るし、バックに滑り込ませるのも難なし。唯一の不満は大きな本になると読みづらいことですが、これは仕様。
 
この上の機種だとBOOX N96という9.6inchのが出てますが、解像度が1200×825と低く、BOOXはcarta inkでなくてpearlなのじゃないかな、とあまりそそりません。koboがこのサイズを出してくれないかな。

日本からは直接買えませんが、PocketBookはInkPad2というのを出しましたが、これもいまだにPearl eInk。同じ8インチ。MP3がついただけ?そんなにCarta inkはハードルが高いのかな。

2016年7月15日金曜日

増殖欠損ウイルスから増えるウイルスができた

遺伝子組み換え生物を作ることは分子生物学で良く使う手法で、感染させるために組み替えウイルスも普通に使います。iPSの作成ではレトロウイルスが使われて、これはウイルスの高い感染能力を利用したものです。が、もちろん、こういうウイルスはツールとして使ってるだけなので、細胞に感染して外来遺伝子注入以外の機能は無用で、というより、あると困る場合が多いので、ウイルス本来の機能は極力少なくして使います。

増殖欠損はその大事な特徴で、そうでないと、組み替え体がやたらあちこちに感染して、組み込んだ別の遺伝子がそこで発現しかねないので危険です。それで組み替え実験に用いるウイルスはほとんどが増殖欠損で、特定の細胞や、特定のDNAを混ぜたときにだけ、ウイルスを増やせるようになっています。

ところが、今日出版されたMolecular Cellular Biologyという、米国微生物学会の雑誌で、ある論文が撤回されたのですが、またデータねつ造かと思って週刊誌的感覚で読んでみたら、全然違っていて、増殖できないはずの組み替えアデノウイルスが増殖できるようになった結果、おかしな結果が得られていた、ということでした。

撤回とはいえ、これを見つけたからには優れた研究者である事はわかりますが、問題は、なぜ増殖欠損ウイルスが増えてしまったか。著者らは、これは増殖欠損ウイルスを増やすために用いる専用細胞に発現する増殖欠損を補填する因子が、ウイルスに取り込まれてしまったためだろうと考えています。確かにそうとしか思えません。

そんなことが実際に起こりえるのか??ウイルスゲノムが細胞ゲノムに入り込むように、ウイルスゲノムの増殖の過程で、細胞のゲノムの一部がトランスポゾンなどで切り取られてウイルスの中に入り込むことはあるにしても、それがたまたまそのウイルスに必要な因子だったのか?

こんなことが起きるのなら、組換え実験の規制も考え直す必要があるし、そもそも、そんな危なくて不安定なツール、使えないことになってしまいます。遺伝子治療とも関わります。ほんとかということも含めて、これは学会をあげて検証が必要。

2016年7月3日日曜日

デバスから離脱

これは辛かった。これはその記録。去年の今頃、前の年から続いたひどい睡眠不足で睡眠薬が不可欠になり、やめることができなくなってえらいめに。直接的な引き金は開業医からもらったブロチゾラム。レンドルミンと同じの。カテゴリー的にはそれほど強い薬では無いですが、それまでセルシンとデバスしか知らなかった身には十分強力。

眠れないと困るのでと飲んで次の日もそうかもと思って飲んで、の繰り返しで、忙しくて特に意識してなかったけど、気がついたら10日くらい経過。まずいかもと思ってやめると、眠れないのではという意識が残って、ほんとに眠れない。それでも寝てるんだからと思っても、ほぼ朝まで頭は冴えたまま、のように思えてました。

かといってブロチゾラムはどうも効き過ぎる感があり医者に言いにくいし、デバスは日本では長く使われてきたのでならばこちらにと替えて、割と眠れました。でも今度はデバスを飲まないと、不安が残り頭が熱くなって眠れない。これを飲まずに、いろんなグッズ、なんだか電気パルスで安眠を促すとかいうのなど、いろいろと試したけど、まったく効果なし。ハーブ、グリシン、なんかも全くだめ。そういう問題じゃないなと。

その頃、厚労省がこれまでの指針を改めて、GABA受容体に作用する薬はすべて他のに切り替えるべしという指針を出してきました。この根拠、論文などを見ても、いまいちはっきりしないところもあるのですが、とにかく世界的な流れに沿った形です。この告知も、デバスやめなければというプレッシャーになりました。デバスはベンゾジアゼピン系で、他に非ベンゾジアゼピン系のマンスリーが一般的らしいですが、所詮は同じくGABA受容体への作用薬物、有害性はやはりあるので、全く作用機序の違うロゼレムならよいだろうという内容でした。

それでロゼレムにしてみたところ、昼間の強烈な眠気という副作用を起こして、しかもこれがやめた後も長く引きずり、最悪なのは夜には眠れないという、なんで飲んでるのかわからない事になり、3日で断念、というのは、以前、ロゼレム、という題でこのブログで書きました。体質に寄るのでしょうが、この薬はヨーロッパでは使用が却下されたのは、そういう事情なのかもしれません。何でこんなのを推奨してるのか、厚労省。

ならば非ベンゾジアゼピン系のアモバンならどうだろうとやってみましたが、確かにこれもよく効きますし、ロゼレムのようなことはなかったが、ただ、妙な睡眠感覚で、寝てはいるけど寝た気がしない、夢を見た気がしないのは気のせいなのか、なんだか、これもやめたほうがいいという感じ。それにこの味はとても後を引き、断念。

文字通り、一睡もしない状態で朝日を迎え、次の日はさすがにうとうとくらいはできて、でもまたその次はほぼ一睡もできない、この一日おきの睡眠という状態。これで良く持つなとは思いましたが、どこかで寝てはいたのでしょう。でもそういう感覚はなし。しんどすぎて仕事にならないので、これは無理と、結局、デバスに戻るしかなかったわけですが、このときが一番辛かった。

どうやればやめれるのか。ふと気がついたのは、実はデバスは飲まないと眠れなくなってるけど、ほんとはその効果はたいしたことは無いのかもしれない、ということ。使ってる量も0.5mgと結構少ない。ならば、1錠でなく、3/4錠にしてもたいしてかわらないはず、とやってみたのが、結果的に正解。こうすることで自分を少しずつだますことができました。3/4錠は、1錠を半分にしてさらに半分にするので面倒ですが、眠れない苦労に比べれば、なんでもありません。

3/4錠でもぐっすり眠れました。だけど、このときは減らしてる感覚もあり、なんだか良い感じ。これでしばらく続けて、そろそろいいかと、半分にしてみました。 これも大丈夫。まだ飲んでる安心感。ならば1/4錠でどうだろう、とさらに減らしたときには、もう大丈夫。ほかに、ちょっと運動してできるだけ体をつかれるようにしたのもこのときは効果的だったのかもしれない。こうなる前も運動してみましたが、単に体が疲れるだけで頭はほてり、えらく辛かっただけでした。他に、寝る前に電子ブックを読むのもかなり有効でで、強烈に眠くなってきます。退屈な本を選ぶ必要はありましたが、逆に難易度の高い本を読むこともできました。面白い本にあたると困ったなあと思いつつも、本好きとしてはそれはそれでうれしいわけで。

デバス0.5mg錠の1/4錠なんて、ほとんど作用も実感ないくらいで、それで寝てるんだからとならばといつでもやめれるという気になり、結局、いつゼロにしたのか覚えてないですが、気がついたら飲まなくても眠ってました。減らし出してから2ヶ月くらいかかったかもしれませんが、それまでの辛さに比べれば、何でもありません。

難しかったのは、どうやれば自分の心をコントロールするか。研究者のせいか、あるいは持って生まれた疑い深い性格が研究者に向いてたのか、眠れるはず、とわかっていても、ほんとか、と心の底で疑ってます。これには少しずつ、実績を作ってなだめてやるしかなし。今にして思えば、ロゼレムが全くだめだったのは幸いだったかもしれない。

今でも、特に次の日に大事なことがあるときは眠れないかなと思うときもありますが、そのときはデバスを1/4錠でも飲めば良い。それにしても、辛い日々でした。

2016年5月29日日曜日

アンダーアーマー、いわきFC

311のときには陸路の輸送がたたれて、多くの物資の輸送が滞りました。この結果、いろんな事が起きました。ちょっとできすぎた気もするわけですが、ともかく聞いたとおりに書くと、当時、宮城に物資を運ぼうとしていたunderarmourという会社の車が、いわきのところでそれから北に行けなくなり、立ち往生したそうです。当時のいわき市は大変なことになっていた原発に隣接し、危機的な状況でした。この会社はメリーランド大で元フットボールをしていたケビン・プランクが創設して、いまや世界的なブランドになったスポーツ下着のメーカーです。

そのときに車に乗っていたのがその日本総代理店となる「ドーム」の日本人COE。とにかく、いわきにとどまらざるをえなくなり、ふとあたりを見渡すと、ビジネスチャンスとしてのその土地、いわき市のメリットに気がついたということのようです。

たしかに輸送のことを考えるといわき市は東京に近く、冬暖かく夏涼しいので空調にかける費用が比較的少なくてすみ、港もあります。アンダーアーマーはそこに日本のビジネス拠点を置く決心をして、同時に自分たちの作るスポーツウェアを着るサッカーチームを育てることにしました。それだけでなく、その名の通り、ドーム型のスタジアムを作り、Jリーグを目指して、周囲には60店舗の店が並ぶモールをおいて、試合の日だけで無く、普通に人々で賑わう、街の拠点を作りたいという、夢のような構想を立てました。もちろん、いわき市はもろてをあげて支援を約束しています。

そこには、サッカーをエネルギーにした一つのコミュニティを作りたいという、元スポーツマンらしい願いもあります。そこで、いわきFCを買い取り、元オランダ代表のピーター・ハウストラを監督に呼び、地域リーグとして再出発することにしました。そして、チームを育ててスポンサーになるだけでなく、すべてのスポーツ選手の直面する最大の問題である、選手後のセカンドキャリアも同時に可能性を広げられるように、様々な仕掛けを考案してきています。今は選手は地域リーグでプロではないので、いわきFCの選手は彼らのスポーツウェアの会社で働けるようになっているというのもその第一歩。

また、郡山にある英会話を中心としたランゲージスクールもスポンサーにつけて選手たちが英語を学べるようにしています。同じようにJ1のベガルタ仙台もこの会社と契約して、選手たちは熱心に学んでいるとか。サッカーと英会話スクール、妙な感じもしますが、これにはいくつもメリットがあり、海外のチームとの交流において有効ですし、セカンドキャリアの可能性も広げます。

実際に、英国(スコットランド)グラスゴーのチーム、グラスゴーレンジャーズが日本の開拓にやってきていて、その英会話スクールの会社にまず日本の入り口としてコンタクトして、その社長が間に入って交渉を引き受けて、ベガルタといわきFCに選手を派遣し、また、スコットランドにも選手を送る事になったようです。この社長はグラスゴー出身で、震災でも日本にとどまり英語教育活動を活発にしているところが目にとまったらしい。

このとき、福島ユナイテッドにも交渉したそうですが、興味を示さなかったとのことです。とってもがっかり。選手にとっても福島市にとっても大きなチャンスだったのに。これは経営者のビジョンの問題。これまでユナイテッドのサポでしたが、いわきFCに乗り換えようかな。ともかく、福島に2つのチームが競合することになれば、それは素晴らしいですが。

2016年5月24日火曜日

感受体のおどり

abさんご以前と、以後とはまるで世界が違う可能性があるようにすら思えます。黒田夏子について、蓮實 重彦は、若い文学であることをこの前書いた会見の中で述べてました。そうかもしれない。

電子ブック、それもhontoで購入したものしか「abさんご」は持ってませんでした。ですが、あとで本も買いました。こんなことは初めて。普通は自炊して電子ブックで読んでも印象は変わらないものですが、abさんごは随分違う印象。おそらくそれは、あまりにも他の本と違っていて開かないとわからないからなのかもしれません。

13年の暮れに出された「感受体のおどり」は、最近になってはじめて知りました。「abさんご」は、ただただ奇跡としか思えませんでしたが、ここで黒田夏子が示したのは、「abさんご」とは文体を獲得した証であり、その記念日だった、ということでしょうか。「感受体のおどり」、この分厚い創作は、まさに源氏物語。あるいは聖書のよう。この世界は確実に存在し、100年たってもそれは古びないであろうことを確信させます。なぜか、この本は、この世界の救いのよう。

「・・・・まだ私のうしろに四つしか夏がなかった。五つ目の夏に識ったあのやるせなさを、あの土地に住んだ夏ごとに反芻した。太鼓がなつかしいのとも夏がなつかしいのともちがった。一つ幼かったじぶんがなつかしいというのでもなかった。はじめなければならない生を、耐えうるはるかさからよもしてきた宵の匂い、取って返すことのならない時間の哀しみにふと素手でさわってしまった宵の匂い、ただそのあえかさになぶられた。・・・」

はたしてこの本を裁断してInkPadにいれるものかどうか・・ 

2016年5月18日水曜日

三島賞を蓮實重彦がもらうと

今年の三島賞に決まった蓮實重彦氏の会見が秀逸。かつて東大総長として入学式で、ほとんど字幕ルビ無しでは理解できないような難解な祝辞をおくった気骨の文学者らしい。

受賞を聞いてどのような感想を持ったかと聞かれて、「個人的なことなので申しあげません」。審査員の町田庸のコメントに対して感想はと聞かれ、「ありません」。記者団に他に質問はと司会がふると「ないことを期待します」。受賞について喜んでいらっしゃるんでしょうかと聞くと、「まったくよろこんでおりません。はた迷惑なことだと思っています」。この上ない。

その理由が説明されたので、ならば今の文化の状況にものたりなさをかんじているのかと聞かれて「いえ、それはありません」。それでも聞き出す司会がかろうじて引き出した、「『今晩だけはジャズのレコードを大きくかけるのはやめてくれ』と両親に言われたという話があり、その話を読んだときに、私はその方に対するおおいな羨望(せんぼう)を抱きまして」という、彼らしいコメントに、ではいつ頃書きたいと思ったのかと聞かれると、「書きたいなとは一度も思っておりません」。

かつて、ここまでの受賞コメントを述べた人はいないような気がする。奇妙な格好をしてみた人はいたが。それにしても、黒田夏子のabさんごの選考にも彼が関わったとは知らなかった。あれはすごい作品。いまだに新鮮で、たまに、その冒頭の文章が思い浮かびます。

蓮實重彦はかつてぱらぱらとめくっただけで、まともに読んだこともありません。ましてや小説を書いてるとも知らなかった。読んでみなければ。でも調べると、まだ出てなくてがっかり。ともかく、この人は、学問することはかっこいいことだと、80才の今でも全身で伝えている。最高だ。

2016年5月4日水曜日

この横顔


この猫は横顔がかわいい。前住んでいた山の中の住宅地に捨てられてたこの兄弟たち、みんな真っ黒だったけど、この横顔はこの猫だけだった、かどうかはしりませんが。5匹くらいはいたと思います。集まったところなんか見たことないし、ありえないだろうし、わかるわけもないですが。

たぶん、山の中の、これだけ穏やかな住宅街なら誰か拾ってくれるんじゃないかということで捨てたのでしょう。どうしても飼えなくなったんでしょうね、ひどいけど、辛かったろうな。でも、どれだけ生き残ったんだろう。一番よく目にした活動的なかわいい猫は、早い時期に車にひかれて、とても辛い場面を目にしました。あと一匹、うちの住民となったこの子がまだ庭の温室住まいしてたころ、その餌を狙って何度も攻撃してきました。兄弟ながら、厳しい世界です。

あと一匹、首輪をしてたのもいました。その子は、少なくともどこかに引き取られてたはず。他に、ちらちら姿を現していたものもいました。でも、福島では、外猫に冬は厳しい。山に行けば食べるものは見つかっても、冬を切り抜けるのも、車を逃れるのも、そう長くは続きません。家猫になって幸せに暮らしてればと願うばかり。

兄弟の中で、一番小さくて弱かったのがこの猫でした。体のなりが小さく、筋力が無いので、ジャンプして飛べる高さも、せいぜい椅子くらい。5ヶ月間くらいを、外でよく生き延びたものです。小さくて活動的でなくて、何かあぶなそうなことを察知すると黙ってじっとしてるのが逆に良かったのでしょう。進化は必ずしも強くて大きなものが有利なわけではない、ということの生きる証のような(おおげさ)ものかと。

2016年4月13日水曜日

ペンギンの憂鬱

このところ、床に入るのが楽しみでした。この本のおかげ。以前から目をつけておいた本で、ネットで買って、裁断してInkPadに入れて、ちびりちびり毎晩読んでました。読み終えた今、ペンギンロスで眠れなくなってしまった・・

ペンギンを部屋に飼ってる売れない作家、ただ、彼は死亡記事のストックを作っておくという新しい仕事で収入を得ている。こういう状況設定だけで、たぶん、ひとりでに物語が動き出したのかな。妙に現実感があり、寝る前に読んでるもので、物語と夢との境が曖昧になってました。最後の数十ページ、ペンギンが病気になってしまって以降は、読むのをやめることもできず、おかげでその日は夜明けを見ることに。

クルコフという、キエフ、ウクライナの作家です。この妙な現実感、おそらく次の画面に映るときに、普通なら段落を切り、スペースを空けるのに、この作品では、段落の間をおかずに説明も無しに全然違う場面に切り替わっていることによるのかな。まるで日常のように切れ目がない。独特です。現実がぐいぐい日常に入り込んできます。ほとんど、ペンギンが部屋の中にいるような日々でした。

それほどうまい文章でも見事な表現とも思えないのだけど、少々謎なストーリーに引きこまれます。やはりペンギンのミーシャは死んでしまったと見るべきなのでしょうが、その喪失感は半端ありません。もしかすると、ウクライナの作家の本を読んだのは、長い読書歴の中ではじめてかもしれない。ロシア文学としてイメージするものとはちょっと違いますが、アネクドートっぽいところもあり、なんとなくロシアの民話のトーンも備えた、物語を語る喜びに溢れた作品でした。

なんとも、終わってしまったのが残念。

2016年3月12日土曜日

cellvis

細胞生物学者なので、培養に使うディッシュの品質にはうるさいわけですが、ただ、お値段にうるさいのも当然。特に分子の動きなどを見るにはガラスを底に貼り付けたディッシュ、ガラスボトムディッシュというのを日々使いますが、これがなかなか高い。こんなもの何でと思うくらいします。前も書きましたが。

CellvisというLAにある中国の会社(というのも妙だけど、中国で作ってそこから発送して、このLAではそういう取り扱いだけやってるところ)があり、これが輸入商社を介さずに直接購入できて、画期的なお値段で、このところ使ってます。細胞の生え方、水のはじき具合も良く、なかなか好印象。これまで、デフォールトで使ってきたMatTekに比べてずっと良い。MatTekは、日本の専属代理店ができたようで、買う気も無くなりました。

たまたまついでがあったので、この細胞が生える表面を走査電子顕微鏡で見てみました。もちろん、何にもないのがベストですが、大抵は何か見えます。こちらがMatTek社のガラスの培養面
一万倍にあげてるので、なにかは見えますが、規則正しい感じ。良く洗って磨いてあります。ガラスの縁もきれいに丸く削っています。さすが。

ではcellvisはどうか。
む・・・ 洗ってないのか研磨が足りないのか。数ミクロンの長い結晶のようなのはガラスかな。最後の処理を省くことで安くしているのかもしれません。もっとも細胞はきれいな表面を好むとは限らず、実際に細胞の培養具合はCellVisのほうが良いので、何とも言えませんが、再現性や、場所の均一性という点で、ちょっと微妙。

2016年2月20日土曜日

我々はこの社会を選んできた

チェンバロによるフーガの技法の美しい演奏に、これは誰、とサイトを見ると、Mitsuko Uchida, Shubertとなってて、違う、と力が抜けてしまう、そんな週末。2月ですが、雨がひたひた降ってます。

日常ではほとんど意識しなくてもも、危機に面したときにその人の思想が良く現れるものです。哲学者でもない限り、思想なんてほんとに意識しないものですが、311のあとに必死に書き綴っていたブログを読み返していて、しきりに出てくるのが、それは我々の選択、という言葉。避難するのか、原発を止めるべきなのか。これからの福島をどうしていくのか。

この前、Eテレのサルトルの紹介番組を見ていて、思い出しました。高校時代、彼の「嘔吐」はバイブルでした。何があんなに高校性を惹きつけたのか、懸命に何度も何度も読んでました。参考書の傍らに抱えてました。それは、かっこいいからじゃなくて、そうする必要があった、から。

人間には選択する自由がある、あるいは、だからこその人間である、ということ、だからロカンタンくんは公園のベンチで、自分が座っているものに対して吐き気を催す。だから人間には希望がある、そう何度もつぶやくことが、ほとんど異国のような高校での自分にとって必須だった、のかもしれない。今はそう思えます。

311のとき、何度も確認したのは、我々はこの社会を選んできた、原発に支えられた社会を選択してきた、こと。これは私の自由な選択であり 原発が爆発するかもしれないという危機感があったときにも、ここまでの距離を考えれば、この程度の放射能の悲惨ですんでいる時点で避難する必要は無い、それは、それこそ現存在(違う分野ののtermですが)をかけた選択でした。それは、考えてみれば、その自由は正気を保つすべ、でした。

そうか、ロカンタンに教わったのか、今頃になって、Eテレの、良くできたサルトルの番組を見ながら、ようやく納得したものです。

それにしても、サルトルの最後のインタビュー、視力を失い、死の淵にたった彼のひとこと、「世界は醜く、不正で希望が無いように見える。そういったことが、こうした世界の中で死のうとしているひとりの老人の静かな絶望だ。だが、私はこれに抵抗し、自分の中ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これを作り出さねばならない。」、まったく、なんていう知性、この格闘こそが彼の魅力でした。我々はいつでも希望を獲得することができる、そんな自由がある。実に40年ぶりに思い出しました。

2016年1月25日月曜日

ちまたにて

もうとどかない花の日よりもさびしかつた


つかれのやうに羞んで


古い折返しの向ふへかくれたひとよ


もうとどかない花の日のやうにいつまでもぼくは考えてゐる


これは、森川義信の「あるひとに」。わずか4行しかないこの詩、おそらく亡くなった友を悼むものでしょう。彼は、鮎川信夫に強い影響を与え、ライバルのような友達だったようです。

そして森川が戦死したとき、鮎川は有名な「死んだ男」で彼のことを、彼らしい強い言葉で追悼します。

埋葬の日は、言葉もなく
立ち会う者もなかった
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった


よく知らないのですが、鮎川はこの森川のような詩を書きたかったのかもしれない。森川の詩の底に流れている、ひんやりとした透明なイメージは、初期の鮎川に繰り返し現れてきます。こんな雪の日に、ときどき、森川の詩がひどく読みたくなることがあります。



「虚しい街」、あるいは「衢にて」から


翳に埋れ

影に支へられ

その階段はどこへ果ててゐるのか

2016年1月10日日曜日

나윤선

この三文字で、ナ・ユンソンと読むらしい。パリで活躍している韓国人のジャズシンガー。エストニアのラジオ局の番組MMeditatsioonではじめて「Same girl」を聞いて、すぐにMP3をダウンロードしたものの、iTuneにはハングルしか書いてなくて読めず、私の中では謎のままでした。再び、同じ番組で流れてはじめてネットで調べて判明。

彼女の鳴らすカリンバ、ハンドオルゴールではじまるこの曲を、静かに、つぶやくように歌い上げる、彼女のせつなくやるせない声は、はっとするほどの美しさを持っています。彼女は27のときにフランス語も英語も知らないままパリに行き、音楽学校で学んだとのことです。言葉の通じない街での寂しさ、心許なさ、そしてそれに耐えた日々が、この曲を生んだのでしょう。

かつてうちのラボにいた女性が、次のステップをどうしようかというときに、他のお誘いを断って、私がけしかけたせいもあってか、フランスのラボに参加し、フランスの地で長い研究生活を過ごしたことがありました。ヨーロッパのラボではたぶんどこでもそうですが、英語も通じるとはいえ、やはり自国語ばかりです。辛かったとか、彼女の口からは一度も聞いたことないですが、楽な生活ではなかったはず。

それは、彼女の人生を大きく変えたことと思います。それが良かったのか。よく考えます。少なくとも、サイエンスを学べたことと、全く違う文化に若い時期にどっぷり浸れたことはかけがえのない財産になったはず、だけど、他の可能性と比べてどうなのか、それはいくら考えても答えは出ません。

ひとつだけ言えるのは、それはあのときだからできたこと、今は、とてもフランスに送る勇気はありません。世界は大きく変わってしまいました。ただでさえ、ポスドクを非正規雇用者と呼んだり、サイエンスに必要とされる競争力を得るためのプロセスが正しく認識されてない社会的風潮があります。加えて、欧米での治安のリスクの悪化は、若者が海外で勉強に行く気をひどくそぐものです。がんばってこいと、送り出す事もできなくなってしまいました。これからの日本のサイエンスはどうなるんだろう。それに、これはやはり、若者にとって不幸な状況。


5年経っての追記
このブログを終わるときに読み返していて、これを思い出し、検索したところ、Youtubeにありました。
https://www.youtube.com/watch?v=XhXCHYyHGLE

ハンドオルゴールと書いたもののよくわかりませんでしたが、手回しオルゴールのことか。だから、これだけ完璧に歌うことができるのか。相当な技量が必要と思いますが、そんなことは少しも感じさせず、ただただ、このパフォーマンスのあまりの美しさに思わず息を飲みます。

2016年1月8日金曜日

ガラスの製品

仕事柄、ガラスの製品を使うことが多く、細胞の培養のイメージングにはガラス底のお皿がかかせません。ただ、普通の培養ディッシュに比べてやたら高く、どのメーカーもほとんど同じ値段なので、けしからんと思ってましたが、ネットで探すとびっくりするくらい安いところが見つかりました。

Cellvisという、LAにある会社ですが、どうやら中国の工場から世界中に販売しているようです。お値段は、普通のディッシュだと単純に単価だけ比べると、1/2.5、お皿が4分割されたディッシュだと、1/5程度の値段と、思わず二度見しました。ガラスボトムディッシュに特化した会社なので、この値段にできてるのでしょう。サイトではしきりに製造過程の無塵さをアピールしてます。輸送費はかかりますが、代理店が入るよりはずっと安く買えます。早速買って試してみましたが、中国から来るので、国内と同じくらい早い。余りに早いせいか、注文後変更という融通は利きませんでしたが。このまま代理店がつかないことを願います。

使ってみると、なかなか水濡れが良く、MatTekや松浪のディッシュのように水を弾くことがありません。細胞の接着も良く、IWAKIのガラスボトムディッシュとよく似た感じです。かなりいい。Cellvisでは、他にガラスがそこについていない丸い穴の開いたディッシュ、つまり自分でカバーグラスをくっつけたい人用のや、逆にフタにもカバーガラスがついてて、マクロレンズなど作動距離の長いレンズで上から撮影するときに便利なようになっているものもあります。中国、恐るべし。
 

もう一つ、カバーガラスは大量に使う割に高い感じがしてますが、VWRという、何でも扱ってるアメリカの総合商社のようなところが自分のブランド名で出してるのは、枚数でなく、オンス単位で売ってて、たぶんいつも使ってる松浪の半分くらいのお値段。早速買ってみました。蛍光蛋白溶液を載せて、どれくらい一分子から光子を発生しているかを測定してみると、何の問題も無し。ただ、走査電顕で、ついでに、他のサンプルの間に載せて、表面をみると結構な違いがありました。

この倍率ではわかりにくいですが、拡大すると


何でしょう、これ。ピンセットでこすった部分だけ、この点がきれいに落ちてるので、なにかきれいにならんでいます。蛍光には影響ないようですが、余り観察には使わない方が良いかな。やはり松浪のはきれいです。